ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ モーツァルト・マチネ第1回を聴いて(東京交響楽団モーツァルトプレイヤーズ)♪♪

2010-05-30 11:47:07 | Weblog
 昨日、ミューザ川崎シンフォニーホールで開催された東京交響楽団モーツァルトプレイヤーズによるモーツァルト・マチネ第1回を聴いてきました。モーツァルトばかり4回の演奏が聴けるのでとても楽しみにしている演奏会です。

このモーツァルト・マチネは来年の3月までに計4回開催されるもので、今回が第1回でした。今回の演奏は、指揮がユベール・スダーンで、演奏曲目が、交響曲第1番変ホ長調K.16、オーボエ協奏曲ハ長調K.316、交響曲第36番ハ長調K.425の3曲でした。

今回注目した曲は2曲目のオーボエ協奏曲です。独奏は東京交響楽団の首席オーボエ奏者の荒絵里子でした。独奏者の荒絵里子ですが、2004年に東京音楽大学を卒業し、第73回日本音楽コンクールにて審査員満場一致で第1位を受賞するとともに岩谷(聴衆)賞、E.ナカミチ賞受賞しその後は国内の主要オーケストラと共演するなどし、2009年4月より東京交響楽団首席オーボエ奏者となった才能ある若手の演奏家です。

東京交響楽団の演奏は、これまでに何度も聴いてきましたが、いつも思う事は弦楽器が弱い印象を受けます。低音の弦楽器は気になりませんがヴァイオリンが輝いた音楽を奏でてくれません。1946年に創立したオーケストラですので、そこそこの歴史あるオーケストラなので、もう少し充実感のある演奏をしていただけたらと思っています。

今回の演奏も過去の演奏と同じ印象を受けました。指揮者のユベール・スダーンの指揮内容を観ていると特に問題なくモーツァルトに対する思いが全体に出ており、このように演奏するのかと新鮮さを感じる個所が何回もありました。とても好感が持てる指揮者です。多分ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の音楽監督を13年間行っていた経験が根底にある感じを受けました。

オーボエの荒絵里子ですが、とても綺麗な音色を表現する演奏家だと感じたのが第一印象でした。また独自の演奏スタイルがあって、若者にもかかわらず感心しました。カデンツァも普通のものと異なっていた感じを受けました。演奏技術は安定していて、聴いていて不安になることがありませんでした。裏を返せば、才能がある証拠だともいえます。

ただ一つ意地悪な意見を述べるとすれば、優しさの中にある厳しさが少なく、スパイスが少し効いていない感じを受けました。これは、これからの経験でいろいろなスパイスを使えるようになると思います。オーボエは池田昭子だと思っていましたが、その後を追う形になる演奏家であるとの印象を持ちました。

曲自体の話ですが、オーボエ協奏曲でけでなくモーツァルトの協奏曲の全体に関して言える特徴ですが、低音から高音へ音符の階段を流れるように駆け上がったかと思うと、現在の音から2オクターブジャンプしたり、あるいはその反対に下がったりと自由自在に飛び回りながら、心の動きを表現しています。また、強弱による繊細な表現をしたかと思うと音を美しく引き伸ばし無限の世界へ誘いでくれたり、大きな宇宙を自由自在に感じることができます。このようなところがモーツァルトの一つの魅力だと思います。

当日の演奏内容を全て聴いた感想ですが、荒絵里子の演奏が素晴らしかったのでオーボエ協奏曲が最も良かった思いました。次が交響曲36番でした。特に36番はモーツァルト生誕250年の際にリンツを訪れ、モーツァルトが立ち寄った館へ行きましたが、その時の館やリンツの街並みを思い浮かべながら聴きました。

次回の演奏会では、ヴァイオリンが良い演奏を奏で本来のモーツァルトの世界を表現してほしいと思いました。

■ 映画「RAILWAYS」(49歳で電車の運転士になった男の物語)を観て!!

2010-05-30 10:24:33 | Weblog

 先日、映画試写会で「RAILWAYS」(49歳で電車の運転士になった男の物語)を観てきました。映画のストーリーは分かっていましたが、いざ映画が始まると何度も自然に涙が出てきてしまい、自分としては恥ずかしい思いをしながらも真剣に映画を観ました。歳をとると涙腺が緩んでしまうといいますが、正にその通りで久しぶりに泣きました。

話は、単純明快なのですが全体の自然な流れの中で、本来人間として持っていなければならないもの、大切なものはなになのか、家族ってなんなのか、人生の幸せって何なのかを改めて考えそして認識することができる内容でした。

誰が見ても異論が無いと思いますが、実際に自分にこのような状況が降ってきたらどうするかを真剣に考えるべきだと思います。個人的には、会社人間からある年齢を過ぎたならば自分の正直なそして素直な人生を過ごすべきだと考えていますので特に共感した次第です。

映画の主人公は、会社のリストラを企画推進する中心人物として、何ら疑問を持たずにそれが正しいことであると信じてリストラされる同期の工場長に切々と語り理解を求めましたが、人間的な生き方を忘れかけている主人公に対して同期からは理解を得られなかったのです。

しかし、その同期の工場長が不慮の交通事故で亡くなってしまったことを契機にして人生とは何なのかを考え始め、そして生まれ育った故郷の電車の運転士になることが子供のころからの夢であったことが、心の底からじわじわと熱い情熱として込上げて、ついには会社の約束されていたポストを蹴って49歳にして故郷の電車の運転士になる話です。

これらの過程の中で、忘れかけていた、家族とは、親とは、地域の人とは、自分の人生とは、を問いかけながら小さなころの夢の実現を通じて暖かく、そして人間として立派にまっとうする生き方が示されていました。

全体を通して感じたことは、人間としての暖かさでした。全ての人がこのような考え方で生きていけば、日本の世の中もまた地球規模で考えても気持ちよく行動できると思いました。

現代の多くの人が忘れているものに、今回の小さな時の夢があるのではないかと思います。個人的ですが、あなたの夢は何ですか?と尋ねられれば、学校の先生になることですと素直に言える今の自分がいますし、今回の映画を観てさらにその想いが強くなり実現に向けて頑張ろうと気合を入れ直したところです。

「好きなことをするのが一番の親孝行」と言う母親の発言の中に、素直な真実が隠されていると思いました。RAILWAYSは正に人生の線路だと思います。皆さん是非ともこの映画を観ていただき、清々しい涙を流していただければと思いますし、一人でも多くの人がこのような考え方で行動に移すと日本の国が変わるとも思いました。

■ メルマガ発行10年目と秩父34所観音巡礼を終えて考えたこと!!

2010-05-05 16:48:17 | Weblog

 2001年5月5日に第1号のメルマガを発行して、今日で10年目を迎えました。今回
のメルマガが318号ですから9年間で317号を発行した計算になるので、年平均35号
を発行したことになります。よくもまぁここまで続けられたと自分でも驚いています。

 何事もこつこつと積み重ねると、ある時に形としてまとまるものだと思います。過去発行
したメルマガの中で自分でも内容的に気に入っているものがある程度ありますので、時期が
来たら内容を再度精査し、まとまった形の本にでもしようと思いながら今日まで来てしまい
ました。しかしある程度の年齢に達したし、そろそろ本当に実行に移さないと未完成のまま
終わってしまうのではないかと危惧しています。

 過去9年間の内容を振り返って感じることは、根本的な考え方に変わりはありませんが、
物事の見方というか視点が変化してきたと思います。昔はどちらかというと自分勝手なもの
でしたが、現在は人生の終着点がおぼろげに見えてきた年齢に達したこともあり、普遍的な
よりどころに立って意思決定する動きとなってきています。現在の大きな支えが仏教である
ことは間違いない事実です。

 それまでは、自分自身が哲学だなどと生意気なことを考えていましたが、仏教を少しずつ
学ぶことを通じて物事に対して偏ったり、拘ったり、囚われたりしないことが重要であるこ
とに気づくと、生きること自体に感謝する気持ちが自ずと出てくるようになりました。

 人間が住む世界にはいろいろな宗教がありますが、仏教ほど広い考え方で対応するものは
ないと思います。数年前までは宗教に興味を持たない人間でしたが、いまやひたすら仏教を
よりどころとして生きているだけでなく、4月下旬の日曜日に秩父34所観音巡礼を全て終
えました。

 昨年の10月から巡礼を始めてから半年の間に8回秩父を訪れ、延べ100kmの巡礼古
道を歩きました。室町時代以降にどれだけの人が、自分が歩いている同じ巡礼古道を歩きな
がら何を思ったのかを考えると、一挙に自分が室町時代や江戸時代にタイムスリップしたよ
うな感覚に陥りました。

 また、ある時は田圃の畦道をまたある時は国道を、そしてまたあるときは江戸時代の巡礼
古道で熊が出ると言われた沢沿いの山道やアップダウンの厳しい修行道のような山道を歩き
ました。

 特に山道では誰にも会うことなく独りでただひたすら歩きました。「同行二人」とはこの
ことだと思います。俗世間から遮断されたこれらの巡礼古道を歩きながら思ったことは、何
事も精一杯取り組んだあとは、祈ることを通じて自分を信じることしかなく、またそのこと
が非常に重要であることに気づきました。

 愚妻に作ってもらった握り飯を頬張りながら、ポットに入れた暖かいほうじ茶を飲むとき
のあの美味しさは、どんな高級料理にも勝るものです。贅沢で余分なものをすべて削ぎ落と
したシンプルであるがゆえの純粋な美しさとして、表現できるのだと思います。音楽で言う
とより多くの音で構成される音楽ではなく、シンプルな構成となっているモーツァルトの音
楽そのものです。

 今回初めて観音巡礼にチャレンジし、巡礼しながらいろいろな経験をし以前よりも精神的
に成長したと感じています。今後は武蔵野33所観音巡礼と坂東33所観音巡礼を通じてさ
らに人間的に成長したいと感じています。今更ですが仏教は偉大であると思います。合掌

■ 紀尾井シンフォニエッタ東京演奏会を聴いて(紀尾井ホール)♪♪

2010-05-02 20:23:26 | Weblog

 4月2日に紀尾井ホール開館15周年記念演奏会に出掛けました。演奏は室内オーケスト
ラの「紀尾井シンフォニエッタ東京で、指揮が高関健、ソプラノ:天羽明恵、ピアノ独奏:
田部京子で、演奏曲目はJ.シュトラウス2世:ワルツ「春の声」作品410、モーツァル
ト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537「戴冠式」、マーラー:交響曲第4番ト長調で
した。

 これまでに紀尾井ホールでコンサートを聴いたのは、今回が2回目でした。こじんまりと
したホールで音が良く響くホールの印象を持っています。今回のコンサートに出かけたのは
モーツァルトのピアノ協奏曲を聴きたいとの思いがあったからです。さらに田部京子のピア
ノをいままで聴いたことがなかったので、是非とも聴きたいと思い紀尾井ホールへ出かけま
した。

 指揮者もまた室内オーケストラも今回初めて聴く組み合わせでしたので、とても期待して
いました。最初の曲であるJ.シュトラウス2世のワルツ「春の声」は、とても楽しく聴け
たので、モーツァルトとマーラーにも必然と期待が高まりました。

 ピアニストの田部京子に関して、現在までの演奏経歴をプログラムで読みましたが、凄い
経歴の持ち主で常に高い評価を得ているとのことでしたたので、どのようなモーツァルトを
聴かせてくれるのか楽しみにしながら曲が始まるのを待ちました。

 ところが、モーツァルトのピアノ協奏曲が始まって田部が引き出したモーツァルトは自分
がイメージしていたモーツァルトと異なりました。モーツァルトの曲なのですが、内容がモ
ーツァルトらしくなく、さらに田部の演奏が通り一遍の内容でがっかりしました。

 有名なオーケストラとの共演があり、かつCDを30枚程度出している演奏家であるのに、
なぜこのようなモーツァルトの弾き方なのかと思いました。極端な良い方をすれば感情が殆
ど入っていない表面的な演奏だといえると思いました。

 音の強弱や感情に従ったリズムやさらに楽想の微調整がなく、ただひたすらに楽譜通りに
弾いている印象でした。このような印象を持ったのは、以前にNHK交響楽団でラフマニノ
フのピアノ協奏曲を弾いた中村紘子の演奏と同じ感覚を持ちました。

 田部ですが、モーツァルトではなくシューマンやシューベルト、メンデルスゾーン等の作
曲家の音楽の方が会うのかも知れません。折角才能があるのですから、それを最大限に発揮
する曲を選択すべきだと思いました。今回の演奏を聴きながらピアニストに合う作曲家は確
実にあることを痛感しました。

 最後の曲はマーラーの交響曲第4番でしたが、いつもお話しているようにマーラーの曲を
演奏する際には結果は良かったかあるいは駄目であったかの2極化に落ち着きます。今回は
残念ながら後者の方でした。

 折角ソプラノの天羽明恵が良かったのに、高関健の指揮による紀尾井シンフォニエッタ東
京のマーラーは退屈な演奏内容になりました。問題は、弦楽器のヴァイオリンのパートにあ
るような気がしました。音が一つになっていない響きだったのです。

 多分エキストラを入れた分だけ意思の疎通が完全に取れるまで行かない状態で本番を迎え
たような印象を受けました。演奏が終わった際の拍手はかなりありましたが、聴衆は本当に
あのマーラーの演奏に満足したのでしょうか。儀礼だけの拍手は演奏する側にもまた聴く側
にとっても不幸な結果を招くことになります。

 アンコールは、グスタフ・マーラー:歌曲集「子供の不思議な角笛」から「ラインの伝説」
でした。皮肉なことにこの演奏が力が入らない点が良かったのかもしれませんがこの日の演
奏の中で最も良かった内容でした。

 演奏後、四谷の駅まで歩きましたが、ちょうど桜が咲いており金曜日の夜もあっていたる
ところで夜桜を見ながらの宴会が開かれていました。夜桜は綺麗で美しかったですが、モー
ツァルトのピアノ協奏曲が花開かなかったことが残念でした。