旅と宝塚と写真好きジジ

現在、過去、未来の旅日記、花や風景写真、宝塚、相撲、ポケモン、ハリポタゲーム等について投稿しています。

シルクロードハイライトの旅(20020912ー19)⑧ TJ

2022-08-16 15:53:32 | 海外旅行

「さすが一番若い子は裸足になって頂上まで登り、稜線をトラバースして降りてきた。感心したのは60-70代のジーさん4人は階段を完登、女性は誰も登らなかったようだ。砂山の麓の「月牙泉」は3000年もの間枯れた事が無いとかですが一体誰が見ていたのろうか?夕食は始めての日本食だったが流石に「刺身」は無かった。「前回⓻の最後」

シルクロードハイライトの旅(20020912ー19)⑧ TJ

9月16日。快適な「太陽大酒店」を後に今回の旅の目玉の一つ「敦煌 莫高窟」観光へ。大きな荒れた河原を前にして、鳴沙山の東端の断崖におよそ750の石窟が穿たれているのが見える。そこが「莫高窟」だ。約490の石窟に壁画、仏像がぎっしりと詰まった世界遺産だ。4世紀から13世紀にかけて造営され、清朝時代に修復もされたとか。

自称「私はガイドではなくここの研究員です」と自己紹介した太目のおばさんが日本語で案内してくれる。でも最後はお土産屋へシッカリと案内されましたが… 見学出来る石窟は表面岩壁に似せたコンクリートで覆われ、サッシの扉も付き、通路や階段で結ばれ、ガイドさんと共に見る決まり。

最初の第96窟ではガイドが照らす懐中電灯に浮かび上がるのは7世紀に造営された巨大な弥勒大仏のお姿。後16,17窟と代表的なものを日替わりでガイドが選択案内してくれる。又有料で追加してみることも出来るので130窟の弥勒大仏や57窟の釈迦の涅槃像等を見学。興味のある方はもっと見たそうだったが、一般の方はコレで十分と言う感じだった。残念ながら内部の写真は撮影できませんでした。

何でもさる修行僧が今莫高窟のある山の頂に来迎する仏の姿を見てここを聖地と定め、仏像や仏画を穿ち、造営したとの伝説があるそうです。TJが思うに元々穴居民族が住んでいる所へ、通りがかりの僧が立ち寄り、宿泊や喜捨を受け、お礼に壁画などを描いたのが始まりではないかと… 

初期の岩窟仏画は、インドの影響を色濃く受けていたのか、お釈迦様も、菩薩も飛天も色が黒く、髪がちじれて描かれていました。コレでなるほど仏教はインドから来たモノなんだと何だか納得できました。後ロシア革命時には国境を越えてきたロシア難民が住み着き、ソノ所為で天井や壁が煮炊きしたすすで汚されたり、清朝時代の稚拙な修復が品位を落としたなんて事も知りました。

帰りは「田舎風レストラン」で昼食。サービスの音曲がやかましくてのんびり出来なかった。ソノ後は日本映画「敦煌」のロケ地跡が残されている所とか、今は「のろしを上げた建物の一部しか残っていない」かつてシルクロードの要衝だった漢代の関所後

とかバザールへ行った。敦煌は甘粛省だが、TVは衛星放送で中国各地のものが見られる。トルファンでは台湾の「中央電視台」の放送がライブで見られたのにはオドロイた。

荒れた水無川沿いに穿たれた岩窟が見える

昼食時のレストラン

 

日本映画「敦煌」のロケ地跡

「陽関」

 

店長さん 「シルクロート゛ハイライトの旅(20020912ー19)⓻ TJの記事」にコメントが届きました。有難うございます。「コメント  行って見たい・・! 凄い場所にでかけられていますね。私は飛行機の上からと鳥取の砂丘ぐらいしか知りません。凄い規模でびっくりです。行って自分の足で歩いてみたいですが‥もうこの歳では行くことはかないません。良い経験をされていますね!!経験しておくべきだったと悔やんだ次第です。次の紀行文も期待します。」

TJが行った2002年頃は日中の関係も緩やかだったからか一度も検査などで嫌な思いはしませんでした。この後パキスタンから桃源郷フンザの里を経由してカラコルムハイウエイ経由でヒマラヤを超えウルムチまで縦断する旅に行きシルクロードの違った面を見る積りでしたが、二国間の国境問題が悪化して願いがかないませんでした。これからはあるのはTJの時間だけであとは全部無理な日中関係の現状ですね。残念です。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする