梅雨の末期に毎回起きる豪雨禍。最近は観測精度が上がったせいなのか、お天道様のご機嫌が悪過ぎるのか50年に一度の大雨とかの特別情報が出る位の災害でしたね。被災された方、これから後片付けなどで大変でしょうが健康にご留意され一日も早く元の生活に戻れますよう祈念いたします。
前回までに書いた「北信濃への旅」に今までになく大ぜいが足跡を残して下さり感謝です。又イイネも1件、アリガト。
今回は大いに古いもので恐縮です。
「サンクト・ペテルスブルグ”エルミタージュ美術館“と北欧4カ国ぐるり周遊の旅」(20010705-0717)
一般的に時差解消には時差時間の日数倍だけかかるって言われていますが(今回は7時間だから7日間)、そう言えば帰国してから1週間たち、ようやく普段ベースに戻った感じがします。帰ってからすぐは暑さ続きで、疲れも出て集中力が出ないので、メールもダンスもしばらくはお休みでした。でようやく書いた旅行記をお送りします。(当時の感想です)
今回も団体旅行でしたから、色気のある話は皆無です。初めて買ったデジカメ持参なので使い方が慣れるまでどうかなと思いつつ出掛けましたが使ううちに大分慣れました。まだ画素数も小さく、メディアも高くって容量も少ない。で最小で撮ると約1000枚撮れました。今思えば結果きめが粗くて残念でした。思いがけない効果は室内でライトを使わなくても結構明るく撮れるという発見でした。それと10倍ズームで盗み撮りなんかできたことかな?ハハハ。
7月5日は朝5時半頃家を出ました。幸い直ぐバス道でタクシーが拾えたので、6時の空港行き一番バスに間に合いました。関空行きは6割くらいでしたが、伊丹行きは満杯でした。
平日、木曜にも拘らず関空の国際線ロビーは比較的混んでいました。団体カウンターはそれほどでもなかったけれど、7時35分の集合時間には全員が遅れることも無く集合。皆さん穏やかそうな方々で一安心です。
夫婦が6組、女性5人グループ、一人参加男2名、女3名。後添乗員の増田さんは最近珍しい黒髪にストレートパーマをかけただけの賢そうでテキパキした30代前半の既婚女性でこれまたグー。総勢23名のご一行は手頃な団体規模。
今回は団体ながら、希望すればビジネスも使えたので、不整脈持ちとしては13時間のフライトが心配でケチらずコレにしました。ヤッパリ楽ですねー。食事も美味しい和食がコースで出るし… ルフトハンザはサービスもアテンダントの感じも良かった。
定刻9時35分に出発、直ぐに大津あたりで前方に富士が見えた。日本海上でかなり揺れながら昼食、最初の宿泊地ドイツ・フランクフルトには定刻14,20分着。十分日のある内に空港近くのホテルにチェックイン。暑い!冷房なし。超清潔。
ヨーロッパは夏時間中で時差は7時間。で中々日が暮れない。する事が無いので近くの町をぶらぶらしたがナーンにも無い静かな所で団体旅行の初日にこんなにゆっくり出来たのは始めての経験です。
今回のプランではフランクフルトで乗り換え、一挙にロシア・サンクトペテルブルグへ深夜到着の予定だったが、これはしんどいのでかえって良かったと思った。
7月6日は13時45分最初の訪問地サンクト・ペテルブルグに到着。ココも暑い。当初予定より半日ずれている為、休む間もなく観光開始。まず手始めは郊外の「エカテリーナ宮殿」見物。
車窓から見るサンクス・ペテルブルグはかって帝政ロシア時代の首都としての重厚な都市の面影は十分に残っているが、いかんせん旧ソ連時代に十分都市機能強化の投資が行われていなかったように見受けられ、疲弊した街の印象がそこかしこに見られたのはこちらの先入観のせいだろうか…
それに引き換え「エカテリーナ宮殿」は金ぴかに復元され、観光目的の建築物は概ね修復がされているようだ。建物はロシア風と言うより西欧風。ヨーロッパの東端に位置していても他のヨーロッパ諸都市に負けないぞと言う気概があちこちに見られるがコピーとの感じも否めないディスプレーが多かったように感じた。
ガイドの20代前半、スッピンロシアのお嬢さんは品のいい方だが、たどたどしい日本語で懸命に説明。おっとりとしているので他のグループにおされ気味。我が増田嬢は夜のオペラ見物に遅れまいよやきもきするが、結果市街地の交通渋滞に巻き込まれホテル到着時は既に5時半。
直ぐ食べるはずの夕食「ビーフストロガノフ」は準備されておらず、流石ののんびりガイド嬢や食堂のスタッフも走り回って食事を配るけなげなさ。それほど慌てていても一品ずつしか運ばないのもロシア流か?食べ物はまず美味しかったが肝心のオペラの開演時間7時には当然ながら間に合わなかった。
このホテル「ブリバルチスカヤ」は旧ソ連時代国営インツーリストに所属していたまるで軍艦のような外観をした巨大で、無味乾燥な建物。3000人収容、1600室あるとか。清潔、冷房あり、陰気。バルト海に面したよい立地だか、回りのアパート群を垣間見ると結構傷んでいて修理が十分出来ていないようだ。それでも家賃は何処でも殆ど同じとか。
夜のオペラ鑑賞は「カルメン」。願わくロシア風の重厚なオペラを聴きたかったが夏場とてやむをえないか… 劇場は格式のある「ミハイロフスキー」劇場だが、中は相当荒れており、案内係もグズグズノロノロ。開演中なので遅れてきた我々はひとまず第一幕を天井桟敷で見る羽目に。
ドレスアップする積りだった女性群は着替えが出来ず不満そう。おまけに天井桟敷は文字通り天井近くで、立たないと舞台が見えないし暑い。それでも音響は素晴らしくささやくようなピアニッシモの歌声がはっきり聞こえるのに感銘を受けた。
第2幕目からは1階の良い席に移ったが座席が天井桟敷と同じガタガタのイス席で動かないように足の部分がロープで結びつけられているのには心底おどろいた。出演者もソコソコの方々だったし、照明も古臭いが、衣装と装置の色彩感覚にロシアの伝統を見た思いがしました。
帰り10時頃に時間があるので午前中割愛された、聖イサク寺院、宮殿広場等マダマダ明るいので十分観光できたし地元の人達も短い夏をいとおしむ様に散策していた。最後に見たバルト海に沈む夕日が印象的!12時近くだった。
7月7日、朝の食事は1Fの大食堂。何しろ3000人近くが泊まれるホテルだからナント向こう側が見えないくらい広い。バイキングだから人手は少ないが、中には仕事をおっぽりだした従業員が、主にアジア人相手に琥珀や輝石等を客席で売り歩いている。旧ソ連が崩壊して数年立つが今でもサービスすると言う発想は希薄なようだ。劇場でも案内するより、切符拝見が主。博物館でも案内より見張り感覚。駅にはポーターや物売りがいない。
午前中「ピヨートル大帝夏の宮殿」観光。バルト海沿いの郊外に立地し、規模は「エカテリーナ宮殿」とほぼ同じだが庭園が立派、装飾は渋め、おとなしめだった。昼食は「ボルシチとピロシキ」。日本で食べるほうが美味しかった。
午後はイヨイヨ待望の「エルミタージュ美術館」観光。でも、ウーン何と言っていいか… まずネヴァ河沿いの街のど真ん中にあった事。鬱蒼とした森の中をイメージしていたのでそれが意外。
元々ロマノフ王朝の宮殿の建物だから、建物自体に美術的な意味はあっても、金に飽かせた収集美術品は余りにも多岐にわたる為、おまけに展示がごちゃごちゃしているので見難い。それに夏休みのため人人人でごった返し、子供達の歓声が響いたり何だか夢が壊れました。
そこで気付いたのはロシアには意外に高名な画家がいなかった?事。音楽、小説、バレエ等の芸術分野では結構活躍しているのに何故だろうか?
夕刻フインランドの「シベリウス号」で一路ヘルシンキへ。車両はソコソコだったけど、綺麗で早い日本のに慣れた身にはのろくて、快適ではなかった。
頂けなかったのはポーターがいない上、荷物置き場が無いので全員の重い荷物を乗せるのが大変だった事。夕食が汚い黒いビニール袋に詰められた不味い弁当?ものでサイアク。で僕は食堂車で美味しいサンドイッチとコーヒーを飲みましたが…
おまけに珍しく順調に発車したとかだったのに、突然の大雨で木が倒れたとかで2時間も立ち往生。加えて今でも国境通過時のパスポートコントロールは念が入っており2名の方が荷物を全部空けさせられました。税官吏と軍の関係者らしき数人は服装も不統一で態度もデカイ。
ロシアは今でも何故かキャッシュを¥178.000以上持ち込むと申告しなければなりません(当時は)。ナントご一行の半数はこれ以上キャッシュをお持ちでした。で夫々が分担して、4名の方がスケープゴート風に申告し、2名が犠牲になったと言うわけです。現金を沢山持ってきてドンドン買い物してくれればかえって喜ばなくってわと思うんだけど…
国境を越えフィンランドに入ると何だかホッとするし、沿線の住宅のレベルが違うのがはっきり判る。で薄暮の首都ヘルシンキに着いたのは12時近くでした。ヤレヤレ。

初めて買ったデジカメで琵琶湖機上から撮った富士山(嬉しかった)

フランクフルト空港近くの教会

サンクトペテルスブルグの空港(当時)

エカテリーナ宮殿

エカテリーナ宮殿内の舞踏会ホール

カラフルなお土産屋さん

ミハイロフスキー劇場(旧レニングラード劇場)

劇場内A

劇場内B

サンクトペテルブルグ夕景

聖イサク寺院

ピヨートル大帝像のある宮殿広場

聖イサク寺院のアップ

サンクトペテルブルグ薄暮

宿泊したホテル

ピヨートル大帝夏の宮殿

夏の宮殿見事な噴水

ピヨートル大帝夏の宮殿内部

エルミタージュ美術館A

エルミタージュ美術館 エカテリーナ女王絵