「国民の意見を聞く」という言葉が安易に発せられ、氾濫しているような気がしてなりません。言葉そのものは、数多くの人たちから意見を聞くということですが、実際にどのように政治家は聞くべきなのでしょうか。
マスコミやテレビのコメンテーターは、事あるごとに「国民の声を聞いたか」という発言をしますが、それはあたかも「我々の言うことを聞け」と言っているように過ぎないような気がしてなりません。どんな意見も主観的なならざるを得ないことを念頭に置かなければならないのです。
国民から付託を受けた政治家である以上、判断の表明はその政治家も信念や負託の実現に向けて努力している結果であることも事実なのです。数多くの多様な民意の中で最終的に判断するのは政治家自身であり、その評価は選挙でしか判断できないという現実があるのです。100人いれば100の意見があるということです。無論、政治家の判断に、説明責任は必要となってきます。
「声を聞く」ということのむずかしさをつくづく感じると同時に、必ず判断に対する反対が常に存在するという精神的圧力に政治家は耐えなければならないということなのでしょう。
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