浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

IAMAS三輪眞弘教授の音楽を知る

2013-02-18 17:09:15 | 日記・エッセイ・コラム
 月1回の例会となっている勉強会にて、三輪教授の音楽や人柄を知ろうと言うことで、いままでに聞いたことのない現代音楽を知ることになりました。ご本人は不在でしたが、奥様が出席され、主催者中心にエピソードを交えた経歴や人柄を知り、作品である音楽を聞いたり発表会のビデオを見たりして、出席者の感想も含め2時間強にわたり勉強してきました。ちょうどその日にNHKで加納高校の生徒が先生の作品を演奏することもあり、その番組も見ました。

 率直に言えば、現代音楽そのものを全く理解していませんので、難解な世界でした。ちょうど現代美術を見て理解不可能になるような感覚です。私たちが慣れ親しんできた先入観で聞くと全く理解できないということになるでしょうし、ご本人もテレビでおっしゃっているように聞かせるものではないということなのでしょう(こういう言い方ではなかったかもしれませんが私はそう理解して聞いていました)。音楽形成のアプローつが全く違うわけですし、コンピュータのアルゴリズムが先にありそれを音として表現する(単に音にする?)という手法です。と書きましたが、ご本人に言わせれば全く違うでしょうけれども、とにかく私自身は全く整理できていません。

 アンチ権威主義であり、無駄を無駄であると知りつつそれを追求する自由人として、既成概念を打破しようとしている研究者であり哲学者、という表現は適切ではないかもしれませんが、人物像を語ればそうなる気がします。先日のクリムトの経歴でも語った様に現代芸術の中からブレークスルーする概念が生成されるとすればこうした発想の転換から出現してくるのかもしれません。

 そうした難解な形成過程を経てつくられた音楽を聞いた個人的感想をいえば、「どこか古代的・宗教的な懐かしさと未来や宇宙の未知を感じさせる音楽であり、違和感とともに共感も感じた」ということです。理屈ではなく聞いた感想がこのようなものだったとすれば、聞くためではなく作られた音楽をそう感じるとはなんと皮相な事かと思いますが、既成の音楽しか判断基準のない私としてはそのような感想が精いっぱいだということです。もちろんすべての作品を知っているわけではないので部分的な感想であるということですが。

以上