久々に政治問題ではなく社会問題を取り上げた討論を見て、現代社会に潜む核心の課題に触れた番組だったのではないかと思います。
話題は、高齢者の孤独死や子どもの虐待の個人、家族、地域、または組織の社会の在り方を論じた(前半は見ることができなかったのでその内容だと思いますが)討論でした。
宇野、雨宮の若い世代を代表する現実論と、知識層を代表する西部の理想論との対立が際立っており、興味深く聞きました。世代の違いを如実に表しているとか、意見が対立しているとかという問題ではなく、政治がどう対応すべきかという問題を、浮き彫りにしているのではないかと思います。
現況の課題を、制度やシステムの転換によって対応すべきとする現実的な意見と、根本的な社会思想の転換を望む理想的な社会実現の必要性を望む意見の違いは、どこにあって、どのように解決していくかが、まさに政治の役割であるはずです。
行き過ぎた効率主義が、また広がりすぎた個人の自由主義が、人間の生活からゆとりを奪い、社会に向き合うことのできない個人の集合体だけの社会を形成しているという実態だけは、間違いのない社会問題であると言えるのではないでしょうか。
昨日、地元のある地区の盆踊り大会に参加してきました。地元の人たちが、踊ったり、挨拶をしたり、言葉を交わしたりする何気ない行事も、社会を支える貴重なコミュニティの一つとして大事にしなければならないと思っています。物質的な何かを求めるということではなく、積極的な何かをするという行動が大切なのではないでしょうか。
以上
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