マックス・ウェーバーを持ち出すまでもなく、政治に「情熱」が必要だとはよく言われる言葉です。そこには自らの思いを実現するための「熱意」、つまり「情熱」がなければ、職業としての政治家になりえないということです。
しかし、実現のための熱意が、本来の民意を問う議論が置き去りにされ、単に対立を生む方向へと進んでしまうことに、議会制民主主義の崩壊の危うさを感じてなりません。
名古屋の河村市長のマニフェストは絶対だとする議会解散への熱意は、実現のための対立を生んでいることになっても、マニフェストの是非を問うことになっていないのではないでしょうか。仮にリコールが通ったとしても、このような対立が絶えず起こりうることになってしまうとすれば、市民は疲れてしまうのではないかと思うのです。あらゆる政策判断において、市民を巻き込んでの議論をすべきなのでしょうか。
実現のための熱意が、全知全能でもない限り、多様な民意の中で絶えず正しい方向に向かっているとは言えないのです。何のために議会があるのか、河村市長は説明すべきなのではないかと思います。
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