浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

ダグラス・マレー「狂気の大衆」から

2022-10-10 08:55:48 | 国際・政治
最近の風潮を思うとき、まさに含蓄のある文章だと思い、紹介します。
この本の副題は、ジェンダー、人種、アイデンティティとあるように、差別に関す本です。
その中の「間奏 マルクス主義的な基盤」で述べています。少し長いのですが、内容を理解するためにはと思いました。
 「自分ではそのような傾向があるとは認めていないとしても、政治的左派の学者にマルクス的あるいはポストマルクス主義的傾向があるかどうかは、その学者がどのような思想家を崇拝・参照しているか、どのような思想家の理論をあらゆる分野や階層に当てはめようとしているかで判別できる。例えば、これらの学者は、社会に対する考え方を、ミシェル・フーコーから学んでいる。つまり社会を見る際に、時代とともに進化してきた信頼と伝統からなる極めて複雑なシステムと考えるのではなく、「権力」というプリズムを通してすべてを見るような、不寛容な視点でとらえようとする。そんな視点からあらゆる人的交流を見れば、その姿が明確になるどころか歪んでしまい、真実味のない社会解釈になる。もちろん、権力はこの世界の一勢力として存在するが、同じように慈悲や寛容、愛も存在する。社会において何が重要かと尋ねられて、「権力」と答える人はほとんどいないだろう。その人たちがフーコーを学んでいないからではなく、そのような変質的なレンズを通じて社会全体を見るのは、ひねくれた見方だからだ。
 それでも、この世界から寛容よりも非難を見出すことに熱心な人たちから見れば、フーコーの思想はあらゆるものを説明するヒントになる。だから、フーコーやその支持者が個人的な関係において説明していることを、壮大な政治的レベルにまで敷衍しようとする。そういう人たちにとっては、社会のすべてが政治的選択であり、政治的行為なのだ。」



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