人生第二章 挑戦者

<左半身麻痺の機能回復と生活奮闘記>
脳卒中に倒れ、その後の障害、失われた機能、生活を取り戻す記録

★と☆ 天国の門

2016年10月29日 23時55分55秒 | 仕事
★と☆ 天国の門

来年からの定年後の生活を気持ちよくスタートさせるために、今月は、私のサラリーマン人生の総括を行いました。

今、私の心の中で、一生忘れる事のない出来事は2012に行われたリストラでした。その出来にかかわった★の人達は、その後の私を苦しめた多くの人たちです。
 
 こんな愚痴を、負け犬の遠吠えのような事は、絶対にブログに書いてはいけない事なのかもしれませんが、★の人達と☆の人達をこれからの私の未来の為に記録として残しておきます。今日は言いたい放題を叫びます。ワインを飲んだ後、深夜で気持ちが高ぶっているのかもしれません。


★の人達:私を苦しめた人達: K、I、T、K、S、S、H、H、K
この人達には、最後の審判では、天国の門は開かれません。地獄の門です。   

☆の人達:私の助けてくれた人達

S、A 

この人達には、最後の審判では、天国の門は開かれています。

 私は、リストラで、情けなくなって仕事をしている姿を妻や子供に恥ずかしくて絶対に見せられない思いでした。私を情けない姿に落とした原因は、★の人達です。★の人達には、本当に苦しめられました。電車に飛び込んで死ぬ一歩手前まで追い込んだ連中です。
 でも、私は、こんな★の人間の人達には、絶対に負けてはいけないと思い”臥薪嘗胆”の思いで今日までやってきました。
リストラを繰り返してきたこんな○○の会社には絶対に未来はあり得ないと確信しています。

私も心の広い人間ですので、★の人達には自分の胸に手を当てて行いを悔い改めて反省したなら、★の人達には私を苦しめた病気に罹らない事。そして、私と同じ障害を絶対に持たない事、障害の苦しみを味会わない事をおまじないしておきます。

 私は、毎朝4時半に起きて5時半過ぎには家を出て出勤して、雨の日、風の日、台風の日、寒い日、暑い日、雪の降る日、情けない思いをした日、悔しい思いをした日、危ない思いをした日、を乗り越えて、私は今日まで生きてきました。この生活も来年定年を迎えたらおしまいです。

定年後には私には、明るい未来があるのです。

”人間は忘れる動物”です。いつの日か、この憎しみを忘れてしまうと思います。 また、”人間は許すことの出来る動物”、いつの日か私にこの記事を書いた事が恥ずかしくなって削除する日がやって来ると願っています。

私は今まで、世の中の為に何もして来ていませんでしたので、私も過去の事を悔い改めて私の残された人生において一つでも世の中の為になる事をしたいと思う気持ちになっています。


挑戦者













10月は、電車に飛び込み・・・

2016年10月23日 23時55分04秒 | 仕事
 最近、電通で入社わずか1年目の若い女子社員が15年12月25日金曜日、都内にある電通の女子寮4階の手すりを乗り越えて飛び降りて亡くなったニュースを知って心を痛めてしまいました。
長時間労働と無理解な上司が原因で若い女子社員は自殺してしまいました。きっと、この若い女子社員は、逃げ場が無い、心身ともに追いつめられた状況だったのでしょう。

◆ 私のサラリーマン人生の総括 - 第二弾 

 さて、2012年10月は、私の心の中で、一生忘れる事のない年、月です。この事は、私のサラリーマン人生の総括として、これからの私の未来の為に記録として残しておきます。

 2012年6月からリストラが始まって、何とか、会社には残ったものの、管理職から降格させら、元の職務からも外され、非常に単純な仕事をさせられて、今まで会社の為に頑張ってきた人間に対して、こんな理不尽な事があっていいのか?、私に早く会社を辞めろ!!と言っているのか、と毎日思い悩んでいました。
もうこんな会社にいたくないと思っても、生活の為には、会社を辞められない。針のむしろに座っているような状態の我慢の重い日々でした。

 そんな状態の10月のある日、その日の朝、電車がホームに到着しようとした時に、この電車に飛び込んだら、どんなに楽になるのだろうか、と思い近づいてくる電車に私は吸い寄せられ行きました。でも、その時、妻と子供の顔が浮かんで、立ち止まりました。電車には、飛び込めませんでした。

 障害を負った事も大きな傷ですが、それ以上にリストラの圧力は、私の心を苦しめていました。障害での”体の傷”より以上にリストラでの、”心の傷”の方が私にとって大きな傷になっていたのです。
”心の傷”は、”体の傷”より治す事は困難です。リストラは本当に恐怖です。この恐怖は、リストラを味わった者でないと判らない事だと思います。人間は、何て弱い動物なのでしょう。

 後日、妻に、この電車に飛び込こもうとした事の話をしたら叱責されました。そして、その叱責で目が覚めました。
その時以来、妻と子供の為に頑張って生きて行こうと決心し、今は未来を信じられるようになっています。

 その後、私は困難を乗り越えた偉人、哲学者、思想家、宗教を調べ、どのようにして障害を乗り越えて行ったかを参考にしました。偉人の言葉は、私の心に響き、直ぐに弱気になりやすい、気の小さい私に勇気を与えてくれました。
人間は、”たった一言の言葉”で強くなれる動物なのですね

 お金が少なくても、障害を持たずに健康で生きていれば希望があります。夢があります。楽しい事もあります。自殺した若い電通女子社員の人も、”希望の一言”を見つけて、ひどい労働環境の電通から飛び出して新しい世界に活躍の場を見つけてもよかったのではと思いました。

若い電通女子社員のご冥福をお祈りいたします。

病気で倒れて、不幸にも私は障害を持ってしまいましたが、この出来事で、どん底に落ちても、絶対に”転んでもただでは起きない”事を確信し私の気持ちは高まっています。



障害を負っていても頑張って生きていれば必ず幸運が来ます。必ず来ます。
これからの生活を"LA VIE EN ROSE"を信じましょう!!
でも、”油断大敵”は忘れ無いようにします。

挑戦者

X BK

2016年06月26日 09時47分53秒 | 仕事
絶対に許せないⅩBK

 定年が来年に迫り、私は、自分のサラリーマン人生を振り返る事が多くなっています。私も人間であります、神様のようにまだ、慈愛の心が出来ていませんので、昨年あったくだらないそして、最も嫌な出来事はまだ、絶対に許す事が出来ないので臥薪嘗胆の日々の記録に留めておきます。

 昨年、事務所移転に伴って駅改札から新事務所ビルまでの距離が700mも遠くなり、歩くのが遅い私にとって帰りの山手線に乗る時間が遅くなると帰宅時ラッシュアワーに巻き込まれて事故に遭遇する可能性が大きくなる事を心配して、退社時間の件でⅩBKに上申をしました。

上申:去年10月x日
・・・今日から新事務所ビルにての業務となりました。・・・。
私の歩行速度は普通の人より歩行速度より非常に遅いであります。
駅改札から新事務所ビルまでの距離が長くなりますので、
退社時におきましては、帰宅時のラッシュアワーを避ける為に
フレックスを使って15分ほど早い17:20に退社しますので
ご理解よろしくお願いします。


返信がありました。

ⅩBKよりの回答:去年10月x日

本件、すでに了承しているところではありますが、17:20でなければならないかは引き続き確認をお願いします。
また、バックアップへの負荷増は可能限なきよう留意願います。

 私は、この返信を受け取りⅩBKが障碍を持つ私の体の安全優先より部下の若い者の仕事の量の負荷を優先する態度に心底より怒りました。
 たった15分早く退社するだけですよ。このたった15分早く退社するだけで、私は、帰宅時ラッシュアワーに巻き込まれる事が減り、事故に遭遇する危険が回避されて、安全無事に帰宅できるのです。

ⅩBKは身内に障碍者がいるにもかかわらず障害を持つ私の身の安全優先を考えていないのです。慈愛の心が無い人間で無い動物だったのでした。

 私は、毎日通勤の際には家族の為に身の安全を考えてしまい通勤をしていています。

こんなⅩBKの心無い回答くらいで、私も頭にくるようでは、まだ、まだ、人間として心に余裕が無いですね。こんな些細な事をブログの記事にしているようでは、私もⅩBKと同じレベルの人間になっていますね。
 私を長年苦しめたこの件も時間が過ぎれば忘れてしまいます。

 もう私の時代は終わった。 、臥薪嘗胆の日々も定年まであと1年・・・。

この過去の出来事は忘れて、もっと未来を明るくします。

挑戦者

臥薪嘗胆の日々でした

2016年06月26日 09時31分51秒 | 仕事
 さて、今週で6月も終わりです。月日が過ぎるのが非常に早く感じます。今年もあと半年になってしまいましたね。それに比べて私の機能回復の遅さは????
 半身麻痺に効く特効薬があればよいのにといつも思ってしまいます。でも、半身麻痺に効く特効薬はありませんから毎日リハビリトレーニングを積み重ねて行くしかないですね。
 リハビリの進歩を感じるのは、時間が過ぎて振り返った時に進歩の度合いを感じますからこれからも地道にリハビリを積み重ねて行きましょう。

 今週末からは7月に入ります。7月は梅雨明けの月になり、その後には、真夏日がやってくる月になります。夏好きの私にとっては嬉しい月ですが、毎年7月になると思い出すのは、2012年の7月です。この年の7月は悪い思い出の多い7月でしたので思い出したくないですが、私の”臥薪嘗胆”の思いを込めて記録しておきます。


私の”臥薪嘗胆”の日々

 経営危機に落ちた会社を”構造改革”という美名に基づいて、この年の6月からリストラ宣言があり、”早期退職”の募集が始まりました。更にそれに続き7月は”早期退職”の応募の締め切りのあった月でした。この”早期退職”の応募者は定員をはるかに超える応募者がありました。

 会社の業績悪化は、経営陣の経営責任であり、会社を経営危機に落としたのに経営陣は、経営危機の原因を総括する事なく安易にリストラに走り、責任のない多くの社員が会社を去る結果となりました。このリストラで私と同年代(50代)の人はすっかり消えて行きました。

 私も健康な体であれば、きっと”早期退職”に応募していたことでしょう。障碍を持つ私としては、辞めた後の就職の困難さを考えると辞めたくても辞めるわけにはゆかず。”早期退職”の圧力がありましたが、耐えて、耐えて、耐え忍んで今の会社に残ることにしました。
 この年の7月は辞めるも地獄、残るも地獄の思いの日々でした。当時、リストラに応じた同僚とのやり取りを涙の思い出として残しておきたいと思います。


”同僚との思い出”

Sent: Wednesday, July 04, 2012
Subject: RE: 体調大丈夫?

XXさん

返信ありがとうございます。

早期退職に応じたのですか。
私も同様に悩みました。
不条理な降格と早期退職の勧奨等相当圧力を受けました。

4回も面談を受け、部が無くなり、
今行っている仕事が無くなる可能性が大で、
そうなるとXX勤務、BB勤務となるが
それでも良いかといわれました。(これ脅迫ですよね)
20年間会社に貢献してきたのに血も涙もない会社です。
障害者に早期退職の奨励する人間は人間でないと思いました。
私の最終結論は、会社に残るを伝えました。

4月16日会社復帰からストレスを溜めずに順調に出勤していましたが
6月8日降格発表、その後の早期退職の奨励と続きストレスが溜まっていました。
特に面談を受けた日は今後の生活が不安になり将来への恐怖感で
歩行する時に注意が散漫になる時がありました。通勤が危ない日もありました。
会社からは考えないでくださいと言われても、これだけ重大な事ですので
考えないわけには行きません。毎晩リストラの事で眠れずノイローゼになりそうでしたが
社外で私を応援してくれる人達から激励、応援を受けて今日までやってこれました。

本日で早期退職者募集を終了しましたが、
これから組織の再編があるので私にとっては、その後の新組織が
どうなるか非常に気になるところです。
会社に残る場合は地方勤務もありと脅されているので心配です。

今は地方勤務も覚悟しています。何処でも言ってやるー!
そこで、事故したり、病気が再発したら、会社を訴えてやるー!!
の心境です。

もし、会社が倒産して今回の好条件な早期退職支援を受けられなくとも、
私はこの困難から逃げたくありません。
私は厳しい状況でも家族の生活の為にこの会社に残って頑張ります。

誰か著名な方の言葉ですが、今の私の心境です。

 人生はいいことも悪いことも連れ立ってやってきます。
 不幸が続けば不安になり、気が弱くなるのです。
 でも、そこで運命に負けず勇気を出して、
 不運や不幸に立ち向かってほしいのです。

XXさんのこれからの道は厳しいものが予想されます。(私も同様ですが)
次の就職活動がうまく行くように祈っています。苦しい時には上の言葉を
思い出してください。
・・・・・・・・・・・・・・・。

”応援団との思い出”

-----Message-----
Sent: Friday, June 22,
Subject: 本日は来社ありがとう

ZZさん

本日は来社してくれてありがとうございます。
貴君の元気なお顔を拝見できて嬉しく思いました。

また、本日は今、私が置かれている状況を聞いて
頂きストレスも少し軽くなりました。
降格になってから、早期退職の勧めの圧力が強く、毎日ストレスが溜まります。

昨日は三回目の面談がありました。
私の結論は、会社に残るを伝えました。が、
この部が無くなり、今行っている仕事が無くなる可能性が大で、
そうなるYY勤務、KK勤務となるが
それでも良いかといわれました。(これって脅迫ですよね)
次の就職先が決まっていればサッサとこんな会社は辞めます。

来週、4回目があります。
これから心理的に怖がらせるような締め付けが強くなりますが、
家族ためにここで辞めるわけには行かないです。
一度死にかけた私は、命は惜しくないので、いざとなったら会社の関係者を巻き込んで
死ぬ覚悟もしています。
これ位の覚悟がないと、このプレッシャーには負けてしまいます。
社内の人は助けてくれませんが、幸い私には社外の知人が
辞めないようにと応援してくれているのでこの応援団が
心を支えてくれているので助かっています。
降格、早期退職のプレッシャーを一人で乗り切って行くには、相当の精神力が
必要です。私を支えてくれているこの応援団に感謝です。

さて、貴君の今後の仕事は・・・・・・・、新分野で大いにご活躍ください。
営業の仕事もそうですが、全てにおいて人間関係での信頼が大切と思います。
仕事上、仕事をはなれても信頼関係が出来れば困った時、人は助けてくれます。
今回の病気、今回の件では、随分助けられています。
この会社、視界不良で墜落の可能性は否定できません。
Sはどうか判りませんが・・・・・良いと思います。
貴君は優秀な人材なので、まだまだチャンスはあると信じています。
私は愛社精神でやってきましたが、最後は役に立たなかったですね。
最後は自分の身は自分で守るしかないです

 あの頃は、毎日通勤の際にはリストラの事を考えてしまい通勤をしていて、危ない日がありました。

あれから4年が過ぎようとしていて、時間が過ぎて振り返った時、毎日忍耐の日々で今日までやってきて、ここに来てようやく、心に体に余裕を感じるようになりました。
リハビリでの進歩を感じるのは、時間が過ぎて振り返った時に進歩の度合いを感じますから。私にとってこの”リストラ”は、”リストラ”という名の心身の”リハビリ”だっと思えます。 
 私を長年苦しめてきたこの問題も4年が過ぎようとしています。ここまで、私は、毎日、臥薪嘗胆の日々でやってきました。

 もう私の時代は終わった。 定年まであと1年・・・。

定年までのカウントダウンは始まりました。これからはこの過去の出来事は忘れて、もっと未来を楽しむ計画を考えて行きます。

挑戦者



会社復帰三年になりました

2015年04月15日 05時24分30秒 | 仕事
私の応援団の皆さまへ

三年前の今頃は会社復帰に向けて何かとお世話になりました。ありがとうございました。
さて、今日4月15日は、2012年4月16日会社復帰してから数えて三年となりました事ご報告致します。
 この間、休んだのは、GW・夏季・冬季の休暇と病院に行くための休暇と降雪、台風の日でした。
会社復帰して、三年になり出勤時の新宿駅の移動は随分慣れましたが、帰宅時の新宿駅は帰宅者が色々な
方向から来るのでまだまだ、気が抜けないですね。

この三年間無事通勤できた事、皆さんさんのご支援に感謝致します。
明日から四年目に入りますが、来年の今も皆さんさんに無事故、無病で通勤できた事を報告できる
ように生活管理をしっかりとやって行きます。

これからもよろしくお願いします。

挑戦者

総括 - 検証 ”自信を取り戻すこと”

2014年06月29日 06時01分29秒 | 仕事
 今月は久しぶりに海外に駐在されていますYLKの青年OさんNNRのOKさん、MSIのUさんにメールをしてみました。皆さん駐在地で国際物流の業務に頑張っていて羨ましく思いました。病気に倒れていなければ、私も国際物流管理の業務に頑張っていたことを思うと残念です。

 私はリストラされそうになってから仕事では、失意の不遇の日々を過ごしていますが、海外で活躍されている皆さんのご活躍の近況を聞きますと私も仕事ではこのままでは終われないと思い奮起しなくてはとの思いにさせられました。
 今は、定年後の何をして行くかの生活設計を考えていますが、可能なら、もう一度、国際物流管理の業務に復帰したいと思うようになりました。ただし、今の会社は駄目です。どこかで私の力を必要とする会社があるならば、もう一度行ってやってみたいです。
 その為には、私がこれまでやってきた仕事を総括して、障害のある体で出来る事、出来ない事を検証する作業をしなくてはと思いました。これからの三年間は定年後の生活設計も考えながら、可能であれば定年後の復活も選択肢として考えてこれからの三年は今までの仕事に関する総括と検証することをしたいと思い出し始めました。私は、20年間国際物流をやってきたのです。物流の仕事は裏方仕事で会社では地味な存在で何をやっているのか、わかりにくい分野の仕事ではありますが、私は会社の業績に貢献してきました。必ず、どこかで、誰かが私の力を必要としている人がいると信じています。復活です。
 トヨタ、ホンダの一流といわれる企業は国際物流を重要性を非常に理解にして発展してきました。どこかのアホな会社は国際物流をわかっていないくてつぶれかかっています。
私には、知識も経験も十分あるのです。自分自身に自信を無くす必要はないのです。病気に倒れるまでは、国際物流の分野では、誰にも負けなかったのです。私の力ですべてのFWを従えさせていたのです。私の力で今の会社の国際物流の体制を作ったのです。
私のことを軽くみている人には、『あなた、私と同じ体になって生活してみてください』と言ってあげたいと思います。私のことを軽くみていた人は私と同じ体になって生活してみたら、負った障害の重さできっと絶望することでしょう。死ぬことも考えるでしょう。この障害の重さによる、肉体と心への試練は、決して誰にも絶対にわかるものではないのです。この苦しみは私と同じ障害にならないことにはわからないことです。
 自分に自信を持ちましょう。私は今は重い障害と闘ってその障害に負けずに毎日生きているのです。私は毎日戦っているのです。障害を持って多くの失望、困難がありましたが、障害持って得たことは、あきらめない心、希望を持つこととそれを実現させる挑戦心と困難への闘争心だと思いました。
 会社を発展させるのも、あきらめない心、希望とそれを実現させる挑戦心と困難への闘争心だと思い始めています。私の力を必要としている会社があればそこで復活です。

私をこのような前向きの気持ちにさせてくれた海外に駐在されています方々に感謝の思いです。そして、毎日私を支えてくれている家族に感謝の思いです。

挑戦者