人生第二章 挑戦者

<左半身麻痺の機能回復と生活奮闘記>
脳卒中に倒れ、その後の障害、失われた機能、生活を取り戻す記録

頑張れ就活生 - 高い志を持って

2013年03月12日 22時39分11秒 | 出来事・記念日・来客・慶弔
就活生の君へ

就活は不安なことだらけだと思います。
どこからも内定がもらえなかったらどうしようと心配になって受身になってはいけません。不安な気持ちに負けず勇気を出して、高い志を持って堂々と自分の主張を述べて企業に自分の存在を知らしめて就活に挑戦してください。
最悪の結果はその時になって考えればよいのです。
”明日は明日の風が吹く”そのくらいの気持ちでポジティブに企業に対して自己主張してください。

松下幸之助さんの名言を贈ります。

”人は何度やりそこなっても、
「もういっぺん」の勇気を失わなければ、
かならずものになる。”

”こけたら、立ちなはれ。”

挑戦者より

就活は体力勝負です。これから季節の変わり目で体調を壊しやすいです。体調管理をしっかりして望んでください。


松下幸之助(まつした こうのすけ/1894年11月27日-1989年4月27日)は、和歌山県出身の実業家・発明家・技術者。日本を代表する電機メーカー「パナソニック」(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者であり、「経営の神様」とも称されている人物。16歳の時に大阪電燈(後の関西電力)に入社し、7年間勤務した後、妻や友人5人で電球ソケットの製造販売事業を開始(この時のメンバーには後に三洋電機を創業することとなる井植歳男がいる)。1918年に事業拡大に伴い「松下電気器具製作所」を創業。1935年に「松下電器産業株式会社」へと社名変更。1946年に「PHP研究所」を設立し倫理教育に乗り出す一方で、晩年は「松下政経塾」を立ち上げ政治家の育成にも力を注いでいた。(参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス)

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