「勝てるから解散」は正しいか 本日の小田嶋隆の日経ビジネスOnLine(NBOnLine)の記事からの所感であるが結局よく分からなかったのであるが、安倍総理が帰国後、臨時国会冒頭で衆議院解散表明する予定表明に対して、ネット民の反応と解散行為に対しての、行政の長である総理大臣がこの時点で解散することの有無についての様々な見方を並べて、「われわれは、局面によって、リアルであることを重んじる場合もあるし、倫理的であることを心がける場合もある。 結局、正しいかどうか判断せず、「私は、今回の解散について、人々の考えの違いが表面化して、その考え方の違いが、選挙の結果を分かつことになるだろうと考えている。」とした。最終行は「それ以前に、案外結果を左右するのは「ずるいとかずるくないとか以前に、そもそも選択肢が無いじゃないか」と考える人たちなのかもしれない。」と結んでいる。ちょっと今日のコメントは感想であったので切れ味不十分ですね。
選挙を支配する要因
- 日本人特性を考えるとき、このリアルと倫理的でない場合が以外の要件で決まることが多い。
ネット民でないおらが村の代議士様の血筋がものをいう封建的考えの人が基礎票になっていることが多い。 - 選ぶ人がいないということで投票を棄権する人、ダサイと言って投票しない人、遊びに行くことで忙しいというという投票の大事さを理解していない人たちの投票拒否。
- 都知事選のようにイメージだけで投票する人
- 意味もなく前回と同じ人に投票
- 宗教団体の指示によって考えもなしに投票する人
これらの1.4.5.は基礎票が強く、小選挙区制に有利である。
2.のひとたちが重要な役割を果たすが、3の人たちになる可能性が高い。つまりイメージ選挙が怖いわけである。
これはドイツのヒットラーが政権を担った時の現象である。雰囲気で投票させるため国外の危機を煽り。国粋主義、人種差別を煽り、不平不満のスケープゴート(英: scapegoat 意味:身代わり)を仕立てるのが常道である。
野党、新党、がまだ不十分なこの機会に米国に北朝鮮を締め付けさせることにより悪のターゲットとし、憲法改正を狙う。ついでに森友学園、加計学園で過度の忖度をさせる裏の行動を消し、選挙の公認を得るための踏み絵として健保改正を前面に出す等の1石3~5鳥をねらった高度の作戦である。実にリアルな判断である。
そもそも、自衛隊を憲法に明記する必要があるのかどうかということである。これまでウン十年憲法解釈上自衛隊が問題としながら、今更ながら地栄太が違憲にならないため憲法改正するとはこれまで自民党政権は違憲状態で政治を取ってきたことになり。まことにおかしな政党である。しかしながら民進党は政権政党を目指すと言いながら自民党と変わら主義主張で自民党と代わり映えせず選択肢が無いことに変わりがない。
選択肢が無いのに変わりがないとなるとこのまま自民党が政権を取ったならば、憲法改正が本当になってしまう。自民党案では強大な力を持つ軍隊をシビリアンコントロールすることができないことが予想され大英帝国憲法化が懸念される。
シビリアンコントロールの問題は強権を持つ天皇でさえ、関東軍の中国進出をやめさせることができなかったことを頭に入れたうえ憲法を作る必要がある。また、第二次インパール攻撃のように、ただただ威勢がよく、人ができたことは自分もできるという傲慢の参謀が根拠ない計画を立て、強権をもって作戦を成し遂げ、惨敗で舞台をほとんど失ってもふんぞり返っていたことが事実である。こういう軍隊幹部を作らないようにする必要がある。背景はは軍の幹部を教育するとき精神主義が闊歩した教育システムになったことが原因である。大村益次郎が作った軍隊が、日清、日露の大戦を経て、関東軍が闊歩し、はびこってきたことである。
田母神氏などコメントを見るたび、戦前の軍隊教育を受けたのではないかの如く見えるのは、防衛大学で戦前の軍隊教育を受けた為ではないかと思われる節がある。とどのつまり、自衛隊の教育の在り方についてシビリアンコントロールのため国会で議論されないまま時が過ぎたことが問題である。失われた何十年である。
=====<byやじさん>======