この頃茂木健一郎さんのツイートに示唆を受ける事が多いのです。
一昨日は才能について書いておられました。
茂木さんは勉強には全く苦労しなかった、
そういう事は、だいたい小学校の低学年くらいで分かるもんじゃないか、と。
一方でスポーツや絵が得意な友人たちがいて、劣等感を感じていたそう。
それぞれ違った所が得意で、それでこそ全体として豊かな世界が生まれる、
だから、直線的な競争の原理で考える事は間違っている、と。
そして、その得意な事と言うのは、つまりは脳の個性で、
「才能」とはすなわちニッチ(生態的地位)だと書いておられました。
よく、隙き間ビジネスなんかでニッチな市場なんて言葉が使われますけど、
やりたい事と得意な事が必ずしも一致するとは限らない。
だから、それぞれがそれぞれのニッチを探し続けるのが、人生だと言うのです。
音楽をやっていると、才能ないなぁ~と感じる事がしょっ中あります。
周りにすごい方たちがいっぱいいますしね。
時に、私は何か間違った人生の選択をしてしまったんじゃないか、とか、
ホントはもっと合ってる事があって、そっちの方面に注力していれば、
もっともっと世界が広がったんではないか、とか
どよ~んと落ち込んだり(笑)。
で、振り返ってみました。
子どもの頃の事。
その頃の私と音楽の関係。
すると、色んな記憶がよみがえって来ました。
そういえば、初めて人前で歌ったのは幼稚園のクリスマス降誕劇の時です。
イエスの母、マリアの役で讃美歌をソロで歌うと言う場面がありました。
母は子どもの晴れ舞台に心配したようです。
声が出ないんじゃないか?つっかえるんじゃないか?
でも、当の本人の私はまったく平気でした。
6歳になるちょっと前にピアノを習い始めました。
同年代では遅めのスタートでしたが、楽しくて楽しくてすいすい進み、
先に始めた友人たちをどんどん追い抜いて行きました。
そして難しい課題であればあるほど、闘志を燃やしていました。
当時のピアノの先生の所では月に1度、同年代の生徒たちを集めて聴音のクラスがありましたが、
何故かいつも不思議と音が分かりました。
単音でも、二つ、三つと音が重なっても聴き分けられるのです。
音の早当てクイズがありましたが、いつも最後までついて行けるのは
私と、もう一人の友人だけでした。
初めて渡された譜面を歌う事も簡単でしたし、
大学受験で高三の秋になってから音楽系を受験しようと決めた時も
それまで化学やら英語やらの勉強は全く進まなくて惨憺たるものだったのに
音楽理論の勉強になった途端、すぅっと身体に染み込むように理解できました。
こういう事は一生懸命努力して出来た、と言うよりも、
当たり前にごくごく自然にしていた事でした。
そして、私が簡単だと感じる事に苦労する人たちがいる、また逆も、という事も知りました。
してみると、私のニッチは確かに音楽方面なのです。
では、時折感じる自分へのこの失望感は?と問うてみると、
それこそが、直線的な競争の思考だと気づくのです。
結局・・・音楽という中にもやはりニッチがあって、
それを探して行くのが人生なのかなぁ。
一昨日は才能について書いておられました。
茂木さんは勉強には全く苦労しなかった、
そういう事は、だいたい小学校の低学年くらいで分かるもんじゃないか、と。
一方でスポーツや絵が得意な友人たちがいて、劣等感を感じていたそう。
それぞれ違った所が得意で、それでこそ全体として豊かな世界が生まれる、
だから、直線的な競争の原理で考える事は間違っている、と。
そして、その得意な事と言うのは、つまりは脳の個性で、
「才能」とはすなわちニッチ(生態的地位)だと書いておられました。
よく、隙き間ビジネスなんかでニッチな市場なんて言葉が使われますけど、
やりたい事と得意な事が必ずしも一致するとは限らない。
だから、それぞれがそれぞれのニッチを探し続けるのが、人生だと言うのです。
音楽をやっていると、才能ないなぁ~と感じる事がしょっ中あります。
周りにすごい方たちがいっぱいいますしね。
時に、私は何か間違った人生の選択をしてしまったんじゃないか、とか、
ホントはもっと合ってる事があって、そっちの方面に注力していれば、
もっともっと世界が広がったんではないか、とか
どよ~んと落ち込んだり(笑)。
で、振り返ってみました。
子どもの頃の事。
その頃の私と音楽の関係。
すると、色んな記憶がよみがえって来ました。
そういえば、初めて人前で歌ったのは幼稚園のクリスマス降誕劇の時です。
イエスの母、マリアの役で讃美歌をソロで歌うと言う場面がありました。
母は子どもの晴れ舞台に心配したようです。
声が出ないんじゃないか?つっかえるんじゃないか?
でも、当の本人の私はまったく平気でした。
6歳になるちょっと前にピアノを習い始めました。
同年代では遅めのスタートでしたが、楽しくて楽しくてすいすい進み、
先に始めた友人たちをどんどん追い抜いて行きました。
そして難しい課題であればあるほど、闘志を燃やしていました。
当時のピアノの先生の所では月に1度、同年代の生徒たちを集めて聴音のクラスがありましたが、
何故かいつも不思議と音が分かりました。
単音でも、二つ、三つと音が重なっても聴き分けられるのです。
音の早当てクイズがありましたが、いつも最後までついて行けるのは
私と、もう一人の友人だけでした。
初めて渡された譜面を歌う事も簡単でしたし、
大学受験で高三の秋になってから音楽系を受験しようと決めた時も
それまで化学やら英語やらの勉強は全く進まなくて惨憺たるものだったのに
音楽理論の勉強になった途端、すぅっと身体に染み込むように理解できました。
こういう事は一生懸命努力して出来た、と言うよりも、
当たり前にごくごく自然にしていた事でした。
そして、私が簡単だと感じる事に苦労する人たちがいる、また逆も、という事も知りました。
してみると、私のニッチは確かに音楽方面なのです。
では、時折感じる自分へのこの失望感は?と問うてみると、
それこそが、直線的な競争の思考だと気づくのです。
結局・・・音楽という中にもやはりニッチがあって、
それを探して行くのが人生なのかなぁ。