ガイドの享子さんの説明を聴きながら、写真を撮って、時にはメモなんかもとって、歩きながら、あ、でも足下にも気をつけないと
などなど・・・
いっぺんにやる事が多過ぎて貴重な情報の多くは右から左。
でも享子さんはおっしゃった。
「一回で何もかもと思わないで下さい。今回は皆さん、初めてのイスラエルなんだから、五感をフルに使って、見て、聞いて、嗅いで、味わって、肌で感じて下さい。」
そうですね、あまり欲張ると逆に大切な事をキャッチ出来ないかもしれない。
でもねー。
みんな一生に一回だと思うから一生懸命になる。
だけど私は素直に享子さんのお勧めに従う事にした。
そしたら案の定、後から撮った写真を見ても意味不明のものばかり。
例えばこれとか、
これとか、
これ。
え~~~~っと。
何でしたっけ
・・・まぁ、円形劇場と競技場だけでも心に残ったから良しとしよう。
ただ、カイザリヤと言えば、日本人クリスチャンとしては大切な所だ。
イエスはユダヤ人だし、地上生涯の間はユダヤ人の弟子しか持たなかった。
十字架にかかり、死んで葬られ、三日目に蘇り、40日間弟子たちの前に姿を現した後、弟子たちの見守る中で天に昇ったと聖書は証言している。
イエスは天に昇られる前、弟子たちに、全世界に出て行って、すべての民族をご自分の弟子とするようにと命じられた。
ところが弟子たちはユダヤ人以外にはイエスの事を伝えようとはしなかった。
何故なら彼らは異邦人(ユダヤ人以外)と交流すると宗教的な汚れを受けると思っていたからである。
異邦人さえも神の愛の対象となり救いを受けるとは、彼らにとってはにわかに信じがたい事であった。
しかし、ついに一番弟子であったペテロが、カイザリヤに住むローマの百人隊長であるコルネリオを訪ね、イエスにまつわる出来事を一部始終話し、コルネリオはイエスの弟子となるのである。
異邦人クリスチャン第一号誕生である。
聖書には、ペテロの話を聴いているうちに、コルネリオとそこに集まっていた一同の上に聖霊が下ったと書いてある。
私たち日本人は、異邦人だ。
だから、このコルネリオの系譜に連なる者たちだ。
そんな訳で、カイザリヤは私にとって意味深い場所である。
などなど・・・
いっぺんにやる事が多過ぎて貴重な情報の多くは右から左。
でも享子さんはおっしゃった。
「一回で何もかもと思わないで下さい。今回は皆さん、初めてのイスラエルなんだから、五感をフルに使って、見て、聞いて、嗅いで、味わって、肌で感じて下さい。」
そうですね、あまり欲張ると逆に大切な事をキャッチ出来ないかもしれない。
でもねー。
みんな一生に一回だと思うから一生懸命になる。
だけど私は素直に享子さんのお勧めに従う事にした。
そしたら案の定、後から撮った写真を見ても意味不明のものばかり。
例えばこれとか、
これとか、
これ。
え~~~~っと。
何でしたっけ
・・・まぁ、円形劇場と競技場だけでも心に残ったから良しとしよう。
ただ、カイザリヤと言えば、日本人クリスチャンとしては大切な所だ。
イエスはユダヤ人だし、地上生涯の間はユダヤ人の弟子しか持たなかった。
十字架にかかり、死んで葬られ、三日目に蘇り、40日間弟子たちの前に姿を現した後、弟子たちの見守る中で天に昇ったと聖書は証言している。
イエスは天に昇られる前、弟子たちに、全世界に出て行って、すべての民族をご自分の弟子とするようにと命じられた。
ところが弟子たちはユダヤ人以外にはイエスの事を伝えようとはしなかった。
何故なら彼らは異邦人(ユダヤ人以外)と交流すると宗教的な汚れを受けると思っていたからである。
異邦人さえも神の愛の対象となり救いを受けるとは、彼らにとってはにわかに信じがたい事であった。
しかし、ついに一番弟子であったペテロが、カイザリヤに住むローマの百人隊長であるコルネリオを訪ね、イエスにまつわる出来事を一部始終話し、コルネリオはイエスの弟子となるのである。
異邦人クリスチャン第一号誕生である。
聖書には、ペテロの話を聴いているうちに、コルネリオとそこに集まっていた一同の上に聖霊が下ったと書いてある。
私たち日本人は、異邦人だ。
だから、このコルネリオの系譜に連なる者たちだ。
そんな訳で、カイザリヤは私にとって意味深い場所である。
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