Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

旅日記その12(ナザレ4)

2016年04月07日 | イスラエルツアー2016
気づけば前回の投稿から一週間も経ってしまった。
まぁ、これも想定内だけど、旅の記憶が・・・あの感動が・・・段々と日常の垢にまみれて薄れて行く・・・嗚呼。

さて、ナザレの4回目だが、まだまだ当分ここに留まる事になりそう。

イスラエルと言えば、オリーブ


オリーブの樹には株の根元から若枝が出る事があるそうだ。下の写真はナザレではなくエルサレムのゲッセマネで撮したものだが、分かりやすいのでこちらを載せる。


本当に根元から若い枝が勢いよく・・・

そして、旧約聖書の有名な記述。

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。(イザヤ書1章1~2節 新共同訳)」

エッサイと言うのはダビデ王のお父さん。
これは将来、ダビデの家系からイスラエルに生まれると約束されたメシアの預言と言われている。

興味深いのは、ヘブル語で若枝は「ナツァール」と言い、ナザレ(ヘブル語でナツラット)の語源だそう。

新約聖書の福音書の記者の一人マタイは、ヘロデ大王の魔の手を逃れてエジプトへ行ったイエスの一家が、その後ナザレに来て住んだと書いている。

そして、
「『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。(マタイの福音書2章23節 新共同訳)」
と記して、自分の同胞にイエスこそ我々が待ち望んだメシアなのだと伝えようとしたのだった。


・・・つくづく不思議な気持ちに包まれる。
私はイエスの時代の約二千年後に生まれて、物語を言わば逆から読んでいるようなものだ。

私の場合は幼稚園がキリスト教だったので、子供の頃に最初から

「イエス様と言う方がいらして、この方が救い主なのよ。」

と教わった。そして後から、

「ほら、この事も、あの事も全部イエス様が生まれる何百年も前から預言されていたんだよ、聖書に書いてあるね。」

と知らされて、へぇ~そうなんだぁ~と納得して行ったのだ。

だが、当時のユダヤ人一般民衆はどうだったんだろう?
先祖代々、民族が受け継いで来た教えによれば、メシアが来れば神の国が到来してローマの圧政から解放されると望みを繋いでいた。
そして、メシアはこういう人で、こんな風に生まれて・・・と、たくさんの預言があってみんなそれを知っていた。

するとある時、イエスというナザレの田舎の大工の息子が現れて、多くの奇跡を行った。
これがメシアなのかと思いきや、えらい先生たちは、
「とんでもない、こいつは神を冒とくしている。」
と言って、ついに十字架にかけて殺してしまった。

そしたら、後からその弟子たちが、
「いや、実はイエスこそメシアだったんだ、聖書に書いてある預言とイエスの出自はピッタリ一致しているじゃないか。」
と言い出した・・・

宗教的主流派は、自分たちの非を認めるわけにはいかないから、イエスの弟子たちを激しく弾圧したが、目からウロコで入信したユダヤ人たちもたくさんいた。

もちろん、そんな事には全く興味のない現世的な人々も多かった事だろうが。


そんな事をあれこれ思い巡らしていると、何だか聖書の世界が、とても身近に感じられる。
(つづく)

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