城の記 2.0

気の向くままにふらふらと、
投稿日と記事との時系列は一致していません、あしからず。

神之峯城跡現地説明会

2012年12月01日 | Weblog
三遠南信自動車道の建設に伴う神之峯城跡の発掘調査の現地説明会が
本日(12月1日)開催ということで出かけてきました。




山頂から下る尾根それぞれに曲輪が設けられているのが良くわかります。


尾根の傾斜は急です。


発掘品の展示もされていました。

二度と見ることが出来ない貴重な遺構を堪能出来ました。


ジタジタ峠

2012年11月05日 | Weblog
ジタジタ峠とは、
案内板に拠れば、

天文二十三年(1554)武田信玄の引いる武田軍は、小笠原氏の鈴岡城を攻め落し、
その勢いをもって下久堅の文永寺を焼き払い、竜東の雄、諏訪氏の流れの知久
頼元の居城神の峯攻略のためここに立った。時に八月中頃である。
武田の将山本勘助は霧の晴れ間に床山城を眺め、この山城は水を断つことが一番
と計略し、眼下の玉川に兵を出し、城平が水汲みに来たらと待ち受けていたが、
五日たち六日たっても一人として城兵は表れなかった。

そうこうしていると、ある日の午後、神の峯の出丸篝岩の岩頭に兵が集まって
馬を洗つている姿が眺められた、実は城兵達は白米を使って馬を洗っているように
見せたのを武田軍は水で洗っていると思ったのである。これ程城内には水が
たくさんあるのか、それなら今までの兵略は無駄であったのかと思い、さすがの
智将山本勘助も、ジダジダを踏んで口惜しがつたという。そのためこの地を
ジダジダ峠と称し、草木も育たぬ所となったという。
昭和六十三年三月 飯田市・上久堅観光協会

と伝えられている所です。

国道256号線脇の標識に沿って小道を進むとまた標識と階段が現れます。
階段を上がると広場になっていて、玉川を挟んだ対岸に神之峰を望むことが出来ます。

神之峰出郭付近、電波塔の下に小さくベンチも見えます。


神之峰から見るジタジタ峠。