「さらば友よ」 1968年 フランス
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監督 ジャン・エルマン
出演 アラン・ドロン
チャールズ・ブロンソン
ブリジット・フォッセー
オルガ・ジョルジュ=ピコ
ベルナール・フレッソン
マリアンナ・フォーク
ストーリー
戦争も末期のある寒い朝アルジェリア帰りの兵士たちを乗せた船が、マイセイユについた。
その中にいた軍医のディノ・バランに「モツアルトの友人のバランさんでしょ?」と若い女が話しかけてきた。
同じ船からアメリカ人軍曹で、戦争を商売にしてきたフランツ・プロップも降りた。
彼は部下をかきあつめ一稼ぎしようと企んでおり、それには軍医が必要とバランをくどいていた。
女はイザベルといい、彼女はモツアルトに頼んでおいた約束を、バランに代行して欲しいと頼んだ。
イサベルはパリの広告会社に働いているが、会社の債券をひそかに持ちだし利用していた。
年末の決算も近づいたので、それを金庫に返さなければならない。
モツアルトのいた医務室の隣りに金庫がありクリスマスの連休の間に、それを返してほしいというのだ。
バランは医務室にハイスピード分解写真装置のついたカメラを持ち込み、金庫室の見通せる小窓にそれをセットして、金庫の七つのダイヤルの組合せ番号を盗み出そうとした。
金庫には社員のボーナス、月給を含めて二億フランの現金がしまわれるのを知って、バランの目的は債券を返して同時に中身をいただこうに変わった。
だが、カメラは七つのダイヤルのうち、三つしか写してなかった。
組合せは無数にあり、時間は三日三晩しかない。
バランが作業を開始したとき、ふらりとプロップがあらわれた。
いまさら彼を追いかえすわけにもいかず二人は一緒に、仕事をはじめた。
が、ふとしたことから金庫室の中に二人はとじこめらわてしまった。
寸評
兎に角チャールズ・ブロンソン、そしてラスト。
冒頭で二人が港に降り立つシーンの描き方は非常に格好いいし、この時に流れる音楽もよくて期待を持たせる。
しかし、その後の展開はいただけなくて、見ていてもしっくりこないものがあり映画に乗り切れない。
バランが女の奇妙な申し出を受けることになるのだが、彼が危険な仕事を引き受ける動機が弱すぎる。
後半でその動機が明かされるのだが、引き受ける前に描いておくべきだ。
そうすれば彼がその仕事を引き受けた理由を観客も納得できただろうし、彼が犯す犯罪につながる行動も違和感のないもになっていただろう。
プロップは軍医を探していて、コンゴで外人部隊として一儲けしようと企んでいるようなのだが、それにしてもバランにストーカーの様に付きまとうのも不思議な感じである。
色々と描かれるのだが、どれもが違和感を感じるもので、どうも居心地が悪い。
本当ならビルに2人が閉じ込められるシーンは、もっとスリルを感じる出来栄えになっても良い筈なのだが、これが意外に盛り上がらない。
巡回する警備員ものんびりした動きで、二人との緊迫した時間もない。
見ていると二人が警備員によって発見されるという感じが全くしないことに演出力不足を感じさせる。
その中で、二人がイジワルをやりあって相手を締め出す様子は楽しめるものとなっている。
ドロンが自販機で飲み物や食料品を買い占めてしまい、ブロンソンが行った時には全くなくて困り果てる場面などは笑ってしまう。
心理学的に犯人と人質が長時間いっよに居ると心を通わせる側面があると聞いたことがあるのだが、二人の関係もそのようなものを感じるので、それならば、いがみあっている二人がやがて友情を感じていく様子をもう少し突っ込んで描いて欲しかったという気持ちがある。
二人は金庫室で犯罪に及ぶが、僕はここで2点ほど疑問に思ったことがある。
一つは金庫のダイヤルを合わせる場面。
金庫の数字は3個は分かっているが残りは不明なので、バロンたちは順番に組み合わせていく。
その場面で彼らはダイヤルをすべて回しているのだが、普通なら他は固定しておいて1個のダイヤルを順番に回していくのではないかなといこと。
もう一つは空気抗を破壊して脱出するのだが、いくらビルとは言え静かなビルでコンクリートの破壊を行えば、騒音がビル内に響き渡り警備員に悟られるのではないかということ。
映画ファンがよくやる茶々入れの部類に入るものだろうが、前半の違和感を引きずっていたのかもしれない。
バランは警部に「約束を守らない奴は卑怯者だ」とののしるが、それはプロップが約束を守ったこととの対比であることは明白なのだが、それに応えるようにバランがプロップのタバコに火をつけてやるシーンはカッコいい。
このシーンの為の映画だったように思う。
二枚目のアラン・ドロンより個性的なルックスのチャールズ・ブロンソンがやたらカッコいい映画だ。
ブロンソンが叫び、ドロンが叫ぶが、ドロンの叫びは余計だったと思う。
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監督 ジャン・エルマン
出演 アラン・ドロン
チャールズ・ブロンソン
ブリジット・フォッセー
オルガ・ジョルジュ=ピコ
ベルナール・フレッソン
マリアンナ・フォーク
ストーリー
戦争も末期のある寒い朝アルジェリア帰りの兵士たちを乗せた船が、マイセイユについた。
その中にいた軍医のディノ・バランに「モツアルトの友人のバランさんでしょ?」と若い女が話しかけてきた。
同じ船からアメリカ人軍曹で、戦争を商売にしてきたフランツ・プロップも降りた。
彼は部下をかきあつめ一稼ぎしようと企んでおり、それには軍医が必要とバランをくどいていた。
女はイザベルといい、彼女はモツアルトに頼んでおいた約束を、バランに代行して欲しいと頼んだ。
イサベルはパリの広告会社に働いているが、会社の債券をひそかに持ちだし利用していた。
年末の決算も近づいたので、それを金庫に返さなければならない。
モツアルトのいた医務室の隣りに金庫がありクリスマスの連休の間に、それを返してほしいというのだ。
バランは医務室にハイスピード分解写真装置のついたカメラを持ち込み、金庫室の見通せる小窓にそれをセットして、金庫の七つのダイヤルの組合せ番号を盗み出そうとした。
金庫には社員のボーナス、月給を含めて二億フランの現金がしまわれるのを知って、バランの目的は債券を返して同時に中身をいただこうに変わった。
だが、カメラは七つのダイヤルのうち、三つしか写してなかった。
組合せは無数にあり、時間は三日三晩しかない。
バランが作業を開始したとき、ふらりとプロップがあらわれた。
いまさら彼を追いかえすわけにもいかず二人は一緒に、仕事をはじめた。
が、ふとしたことから金庫室の中に二人はとじこめらわてしまった。
寸評
兎に角チャールズ・ブロンソン、そしてラスト。
冒頭で二人が港に降り立つシーンの描き方は非常に格好いいし、この時に流れる音楽もよくて期待を持たせる。
しかし、その後の展開はいただけなくて、見ていてもしっくりこないものがあり映画に乗り切れない。
バランが女の奇妙な申し出を受けることになるのだが、彼が危険な仕事を引き受ける動機が弱すぎる。
後半でその動機が明かされるのだが、引き受ける前に描いておくべきだ。
そうすれば彼がその仕事を引き受けた理由を観客も納得できただろうし、彼が犯す犯罪につながる行動も違和感のないもになっていただろう。
プロップは軍医を探していて、コンゴで外人部隊として一儲けしようと企んでいるようなのだが、それにしてもバランにストーカーの様に付きまとうのも不思議な感じである。
色々と描かれるのだが、どれもが違和感を感じるもので、どうも居心地が悪い。
本当ならビルに2人が閉じ込められるシーンは、もっとスリルを感じる出来栄えになっても良い筈なのだが、これが意外に盛り上がらない。
巡回する警備員ものんびりした動きで、二人との緊迫した時間もない。
見ていると二人が警備員によって発見されるという感じが全くしないことに演出力不足を感じさせる。
その中で、二人がイジワルをやりあって相手を締め出す様子は楽しめるものとなっている。
ドロンが自販機で飲み物や食料品を買い占めてしまい、ブロンソンが行った時には全くなくて困り果てる場面などは笑ってしまう。
心理学的に犯人と人質が長時間いっよに居ると心を通わせる側面があると聞いたことがあるのだが、二人の関係もそのようなものを感じるので、それならば、いがみあっている二人がやがて友情を感じていく様子をもう少し突っ込んで描いて欲しかったという気持ちがある。
二人は金庫室で犯罪に及ぶが、僕はここで2点ほど疑問に思ったことがある。
一つは金庫のダイヤルを合わせる場面。
金庫の数字は3個は分かっているが残りは不明なので、バロンたちは順番に組み合わせていく。
その場面で彼らはダイヤルをすべて回しているのだが、普通なら他は固定しておいて1個のダイヤルを順番に回していくのではないかなといこと。
もう一つは空気抗を破壊して脱出するのだが、いくらビルとは言え静かなビルでコンクリートの破壊を行えば、騒音がビル内に響き渡り警備員に悟られるのではないかということ。
映画ファンがよくやる茶々入れの部類に入るものだろうが、前半の違和感を引きずっていたのかもしれない。
バランは警部に「約束を守らない奴は卑怯者だ」とののしるが、それはプロップが約束を守ったこととの対比であることは明白なのだが、それに応えるようにバランがプロップのタバコに火をつけてやるシーンはカッコいい。
このシーンの為の映画だったように思う。
二枚目のアラン・ドロンより個性的なルックスのチャールズ・ブロンソンがやたらカッコいい映画だ。
ブロンソンが叫び、ドロンが叫ぶが、ドロンの叫びは余計だったと思う。