「忍びの者」 1962年 日本
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監督 山本薩夫
出演 市川雷蔵 藤村志保 伊藤雄之助 城健三朗
西村晃 岸田今日子 丹羽又三郎 浦路洋子
藤原礼子 真城千都世 小林勝彦 中村豊
高見国一 千葉敏郎 水原浩一 加藤嘉
ストーリー
戦国末期。伊賀の国には高技術を誇る忍者が輩出し、その中に石川村の五右衛門(市川雷蔵)がいた。
彼は百地三太夫(伊藤雄之助)の配下に属する下忍(最下級の忍者)だった。
その頃、全国制覇の野望に燃える織田信長(城健三朗)は宗門の掃討を続けていた。
そんな信長に対し、天台、真言修験僧の流れをくむ忍者の頭領、三太夫は激しい敵意を持ち下忍達に信長暗殺を命じた。
一方、三太夫と対立中の藤林長門守(伊藤雄之助)も信長暗殺を命令していた。
その頃、五右衛門は何故か信長暗殺を命ぜられず三太夫の妻、イノネ(岸田今日子)と砦にいた。
彼女の爛熟した体は若い五右衛門に燃え上り、彼らはもつれた。
が、三太夫は女中のハタ(藤原礼子)に二人を監視させていた。
五右衛門はその気配を覚りハタを追ったが、その間にイノネは三太夫に殺された。
が、五右衛門は三太夫に信長を暗殺すれば罪を許すとささやかれた。
五右衛門は京に出て信長を狙ったが、織田信雄(小林勝彦)、木下藤吉郎(丹羽又三郎)らに阻まれた。
信長を追って堺に来た五右衛門は一軒の妓楼でマキ(藤村志保)という遊女と知り合い、彼女の純心さに惹かれていった。
ある日、五右衛門はハタにめぐり合い、イノネが三太夫に殺されたことを知り、全てが彼の策略だったと知る。
怒りにもえた五右衛門は急拠伊賀へ帰り三太夫を面罵したが、彼は逃げ去った。
五右衛門はマキと一緒に山中の小屋で日々を送った。
ある日、突然三太夫が現われマキを人質にした。
五右衛門は愛する者のため三太夫の命に従い安土へ走った。
寸評
時代劇の中に忍者ものというジャンルがあるとすれば、この「忍びの者」はその中のピカイチ作品だ。
完全にプログラムピクチャの中の一本だが、その作品にピカイチの評価を与えねばならないほどこのジャンルの作品は少ないように思う。
2作目の「続忍びの者」と合わせて一本の作品として見ることが出来、本作はさしずめ前編といったところである。
僕が子供の頃の忍者映画と言えば児雷也に代表されるような忍術映画だったり、猿飛佐助が活躍するような奇想天外な娯楽作品ばかりだった。
大蛇や大ガマに乗って忍術使いが出てきたり、映画的トリックで煙と共に消え去ったりして、それはそれで楽しめた作品群だったが、さすがに大人が鑑賞に堪えうるものではなかった。
「忍びの者」は大人も鑑賞できる初めての忍者映画だったように思う。
独立プロで社会性のあるメッセージ映画を作り続けてきた山本薩夫監督が作った娯楽時代劇で、忍術使いという子供の世界の人間たちに社会性をもたせて、戦国時代にあって、彼らが傭兵としてどういう役割りをもち、どういう訓練を受けて生きていたかということを少々ながらでも描いている事が当時としては珍しかった。
話をユニークにしているのが大泥棒の石川五右衛門と伊賀忍者の棟梁である百地三太夫の描き方だ。
五右衛門は日本における泥棒のナンバー・ワンで大悪党ということになっているが、実は忍者の頭である三太夫の権謀術数にかかって踊らされていたという設定である。
そしてイメージが確立していると思われる百地三太夫に、変装を使い分けて同時に二つの忍者集団の頭になって両方を競わせている男という解釈を施していて、演じた伊藤雄之助がやたらと目立ち主役を凌駕している。
五右衛門はストイックな男ではなく、腕は立つし先見の明もあるが女好きという性格設定で、三太夫は妻さえもだましぬいて、すべての人間は目的をとげるための道具にすぎないと考えている頭目である。
三太夫が百地と藤林を使い分けていることは誰でもがすぐに分かる変装で、この辺はまだ子供だましの域を出ていない。
作品的に弱いのは自己犠牲を貫き通す忍者たちは一体何のために、何に対してその身を捧げていたのかということが描かれていないことである。
織田信長と言う権力者への対抗というにはあまりにも単純な描かれ方だ。
三太夫が妻イノネ(岸田今日子)に一指も触れず、長門守としてヒノナ(浦路洋子)には溺れている理由が、単に二人を演じ分けるための性格付けと言うだけでは物足りない。
それはイノネに嫉妬するハタとの関係においてもそうで、女二人の五右衛門を巡る争いは割愛されている。
信長は極悪非道の権力者として描かれているが、彼の非道ぶりは延暦寺、石山本願寺の掃討線上にある。
一方の忍者は天台・真言の流れをくんでいるので信長への怒りを有していたのだろうが、そういった時代背景は描かれていたとは言い難い。
一言でいえば大雑把な作品で、楽しめることはできるが感銘は少ない作品となっている。
信長も秀吉もイメージと随分違うしなあ・・・。