「ジュディ 虹の彼方に」 2019年 アメリカ
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監督 ルパート・グールド
出演 レネー・ゼルウィガー
ジェシー・バックリー
フィン・ウィットロック
ルーファス・シーウェル
マイケル・ガンボン
ダーシー・ショウ
ストーリー
1930年代後半、MGM撮影所には『オズの魔法使』のセットが作られつつあり、少女(ダーシー・ショー)は主人公のドロシーの役を与えられた。
自信がない少女に撮影所の最高責任者であるメイヤーが説得を試み、少女は大スターの道を選ぶ。
『オズの魔法使』から30年。ジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)も40代後半となり、次女のローナと長男のジョーイを連れて地方を巡業していたが、昔ほどのギャラはもらえない。
宿泊費の滞納のためにホテルを追い出されてしまい、行った先は子供たちの父親である元夫シド・ラフト(ルーファス・シーウェル)の屋敷だった。
シドに批判されてジュディはしかたなくヴィンセント・ミネリとの間にもうけた長女のライザ・ミネリの家に行った。
そこでジュディはニューヨークに店をもつ若い実業家、ミッキー・ディーンズ(フィン・ウィットロック)と出会い、朝まで楽しく過ごした。
ジョディはシドの家で子供たちに別れを告げて身を切られる思いでロンドン公演へ旅立っていった。
ロンドンではナイトクラブの支配人バーナード・デルフォント(マイケル・ガンボン)と世話役のロザリン・ワイルダー(ジェシー・バックリー)が彼女を迎えた。
MGM時代、ジュディはやせるために薬を飲まされ、長時間の撮影を強いられる生活をしていた。
ロンドンのステージでの不祥事の後の晩、ジュディはあの時のルイス・B・メイヤーを思い出したが、今回もジュディはデルフォントに謝罪することになり、ジュディを慰めてくれたのはミッキーだった。
寸評
ジュディ・ガーランドにとって「オズの魔法使」の成功は良かったのか悪かったのか。
世間のジュディに対する「あどけない少女」像は根強く、若くして結婚し妊娠したが堕胎手術を受けている。
子役当時からダイエット薬として合法覚せい剤であるアフィタミンの常用をさせられていたので、発育段階であるその身体は確実に麻薬依存症の道へと導かれていった。
生涯で肉体関係をもったプロデューサーは何人もいたとも言われており、神経症と薬物中毒の影響が表面化し始め、撮影への遅刻や出勤拒否を繰り返し、数度の自殺未遂も起こしている。
そのため娘のライザ・ミネリは「母はハリウッドに殺された」と言っている。
5度目となる最後の結婚相手は登場するミッキーだったが、滞在先のロンドンで睡眠薬の過剰摂取によりバスルームで死去した。
自殺とする説もある47歳の若さだった。
レニー・ゼルウィガーの作品を多く見ているわけではないが、僕のイメージの中の彼女はふっくらとした女優さんだったのだが、ここでのレニー・ゼルウィガーは役作りの為にすっかりやせ衰えて、生活に疲れ切ったかつての大スターを見事に演じている。
三番目の夫であったシドとの間に出来た子供二人を連れてドサ回りをし、ホテルを追い出される姿が痛ましい。
初めて登場した時には、「え、これがレニー・ゼルウィガー?」と思ったのだが、そこから彼女の熱演が続く。
ダーシー・ショーが演じる子役時代の様子も描かれるが、彼女を食い物にする大人たちはヒドイ。
MGMのメイヤーでさえ悪人に見えてくるし、女性マネージャーなどは刑の執行人のようである。
映画のメインはロンドン興行を行った最晩年を描いている。
彼女の我儘ぶりには眉をしかめてしまうし、同情はむしろロンドンでの世話役のロザリンに移ってしまう。
凄くすさんだ生活を余儀なくされているジュディで、彼女の態度はとても褒められたものではないが、驚くのは同性愛者に対して彼女が理解を示していることである。
当時の風潮としては異端扱いをされていたばかりか、法的処罰も存在していたはずで、彼らに理解を示しているのは何十年も時代を先取りしている。
これは脚本家の意思なのか、それとも彼女の希望だったのか。
二人の同性愛者の登場はラストを盛り上げた。
素行の良くないジュディの公演はキャンセルされて、ジュディが見下していたロニー・ドネガンのショーになる。
ジュディは舞台裏で、ロニーに一曲だけでいいから歌わせてくれと頼む。
ロニーは同意し、舞台に上がったジュディは驚いているバートに選曲を任せ、歌ったのは “Come Rain or Come Shine”で、観客からの拍手を受けてジュディは「虹の彼方に」を歌いだしたが、途中で歌えなくなってしまう。
そのときゲイのカップルが立ち上がり続きを歌い始め、やがて客が皆歌い出した。
映画的で、感動してしまうシーンだ。
この公演の6ヶ月後、ジュディが47歳で亡くなったことを字幕が告げる。
日本でもあることだが、子役で大成功を収めると、その子に寄ってたかる大人たちが出現してくるのが芸能界なのだろう。
破綻した人生を送ったのだろうが、ジュディ・ガーランドの名前は不滅である。