おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

終戦のエンペラー

2022-08-24 07:33:11 | 映画
「終戦のエンペラー」 2012年    日本 / アメリカ

                                          
監督 ピーター・ウェーバー                                                
出演 マシュー・フォックス
   トミー・リー・ジョーンズ
   初音映莉子 西田敏行 羽田昌義 桃井かおり 中村雅俊
   夏八木勲 伊武雅刀 片岡孝太郎 コリン・モイ 火野正平

ストーリー                                                  
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦が終結する。
1945年8月30日、GHQを引き連れたマッカーサーが降り立つ。
直ちにA級戦犯の容疑者たちの逮捕が命じられ、日本文化の専門家であるボナー・フェラーズ准将は“名誉”の自決を止めるため、部下たちを急がせる。
その頃、前首相東條英機は自ら胸を撃つが、心臓を外して未遂に終わる。
マッカーサーはフェラーズに、戦争における天皇の役割を10日間で探れと命じる。
連合国側は天皇の裁判を望み、GHQ内にもリクター少将を始めそれを当然と考える者たちがいたが、マッカーサーは天皇を逮捕すれば激しい反乱を招くと考えていた…。
大学生の頃、フェラーズは日本人留学生アヤと恋に落ちるが、彼女は父の危篤のため帰国。
あれから13年、フェラーズは片時もアヤを忘れたことはなかった。
だがアヤの捜索を頼んでいた運転手兼通訳の高橋から、アヤが教員をしていた静岡周辺は空襲で大部分が焼けたという報告が届く。
そんな中、フェラーズは開戦直前に首相を辞任した近衛文麿に会い、開戦の3ヶ月前、戦争回避のため秘密裏に米国側と接したが、国務省がそれを拒否したという事実を知る。
調査が行き詰まり、宮内次官の関屋貞三郎に狙いを定めたフェラーズは、マッカーサーの命令書を楯に強引に皇居へ踏み込む。
関屋は開戦前の御前会議で、天皇が平和を望む短歌を朗読したと語る。
説得力のない証言に腹を立てて立ち去るフェラーズだったが、深夜、天皇に最も近い相談役である内大臣、木戸幸一が現れ、天皇が降伏を受諾し反対する陸軍を封じるために玉音放送に踏み切り、千人の兵士から皇居を襲撃されたという経緯を聞かされる.
だがその話を証明する記録は全て焼却、証人の多くも自決していた。
戦争を始めたのが誰かはわからない。
だが終わらせたのは天皇だ。
フェラーズはマッカーサーに、証拠のない推論だけの報告書を提出する。
マッカーサーは結論を出す前に、天皇本人に会うことを希望。
異例の許可が下り、社交上の訪問としてマッカーサーに会うという建前に沿って、ついに天皇がマッカーサーの公邸に現れる。
しかし、天皇は周りの誰も知らない日本の未来を決めるある一大決意を秘めていた…。


寸評
この映画のクライマックスがマッカーサーと天皇の対面シーンになることは見る前から分かっていること。
このシーンにおいては期待通りの盛り上がりを見せるが、そこに至るまではどちらかと言えば退屈で長大な伏線と言えなくもない。
逆に言えば、そこに至って圧倒的な感動をもたらす。
マッカーサーの回顧録で、昭和天皇との会見において当初は天皇が自らの命乞いに来たと思っていたが、昭和天皇は「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の採決に委ねるためお訪ねした」と語り、自らの命と引き換えに国民を救おうとする姿に接し{私はこの瞬間、私の前にいる天皇が日本の最上の紳士であることを感じとった」と語っていると聞いている。
映画では「国民に罪はない。責任は自分にあるので国民を救ってほしい」と述べられている。
トミー・リー・ジョーンズ演じるマッカーサーが見せる瞬間の表情と演技は素晴らしいものがあり、感動の一翼を担っていたと思う。
この伏線として西田敏行演じる鹿島大将に「本音と建前を持つ日本人の忠誠心の源は信奉で、それを理解すればすべてわかる」と語らせている。
この哲学的な意味を知った瞬間だったのかもしれない。

この映画ではたぶん架空の人物であろうフェラーズ准将の恋人アヤを登場させ、もう一方の話として彩りをつけている。
その為に、マッカーサーの大統領への野望とか本国との軋轢はあまり描かれていない。
このあたりは以前に見たHNKでやっていたセミドキュメンタリーの方が面白かった。
この映画ではマッカーサーは天皇との会見を通じて天皇制を維持したと言うよりも、当初から天皇を維持するつもりで、会見はそれを決定づけたように描かれている。
私はマッカーサーは天皇制を維持はしたが、何十年後かにはその天皇制が崩壊するように宮家の解体を行ったように思っている。
今まさにその皇統の存続が危ぶまれている。
そして日本人にとって天皇とは何なのかを、日本の戦後教育は切り捨ててきた。
私は天皇制擁護と言う方向からではなく、日本民族とは一体どのような民族なのか、日本の国体とはどのような国体が望ましいのかを見つめなおすべきではないかと感じている。
その意味では、この映画は日本映画が提供してこなかった問題を我々に提起してくれた作品だったような気がする。