「踏み間違えた記憶は全くない」
いわゆる、池袋のプリウス暴走事件で話された内容です。
私が思うに、これは当然の感想ではないかと思います。
嘘をついているのではなく、当人、本当に「何を踏んでいるか分からない」という運転をしているのでしょう。
それも、パニック時にはなおさらです。
この人は”クルマのコントロール”が、元々できなかった人なんだと思います。
そういう人に、免許を与え続けているというのがどうかと思いますが・・・。
(そうしないと、日本の工業が成り立たないというのが理由ですが)
さて、今回の話題は「クルマ離れ」について書こうと思います。
手っ取り早くネットで調べてみました。
・経済的な余裕ない
・ほしい車がない
・なくても生活に困らない
・・・・
あれっ?
それらしいワードが出てきませんね。
まあ、新コロナで需要が増えているという話もありますし、数字的には離れていないとか、イニシャルDの影響で若者にスポーツカーが人気だとか。
そうじゃないよ~といった話も出ていますが。
あくまでも、私の想像です。
「クルマ離れ」はあるでしょうね。
当然、安全装備などで値段が高くなっているというも原因の一つであるものの、私が考える原因は別にある・・・というか、本音は別にあるのではないかと思っています。
私が考えるのは
「クルマは背負う責任が大きく、とてつもなく操作の難易度が高い、難しい機械である」
という点が大きいのだと思います。
今時の人は、責任とか苦労とか恐怖とか、そういう話に敏感なんでしょう。
クルマの運転って難しいんですよ。
周りを見ないといけない、場合によっては閉鎖空間の中でも、別の車とコミュニケーションを図らないといけない。
アクセル踏まないといけない、タイミングを合わせてブレーキ踏んだりハンドル回したり、ハンドルもどこまで回せばよいかわからない。
ウィンカーを出さないといけない、ワイパー動かさないといけない、ライトをつけないといけない。
複数のミラーを見ないといけない。
距離を測らないといけない。
やる事たくさんさんでしょ?
それに合わせて「何かあったら車が悪くなる」という安全教育をされているわけです。
では
「クルマを運転するのと、歩行者・公共交通機関、どっちがいい?」
と質問すると、答えは言わずもがななんじゃないかな?
リスクを背負わない、苦労しない、他の人が責任を負うと考えるとね。。。
そうすると、どういう人が車を所有するのか?
「生活に車が必要だから」
という人もいるとは思いますが、本音として実際は2種類の人種だと思います。
前述したリスクや苦労を想像できない人、物事を安直に考える人、自分には責任が少ししかないと考えている人。
つまり、物事を考えない人。
と、クルマの運転を突き詰めて考える人。
私のイメージは、イニシャルDの高橋 涼介。
の2パターン。
その間の「ちょっと考えちゃう人」にとっては、避けたい日常なんだと思います。
とにもかくにも、現代にとって不幸なのは、「運転のうまい人」がほとんどいないのが問題なんだと思います。
周りにうまい人がいて、その人が手本になれば良いのですが、今はうまくない人が手本になっている社会なんだろうな~と。
まあ、うまい人がいても真似できないと思うので、逆に困っちゃうかもしれませんが。。。
文章の先頭で記載した池袋の事故ですが、「運転がうまい」「リスクを知り、難しいことに挑むドライバー」であれば、こんなむごい事故にはならなかったのだろうと感じますね。
決して高齢者だから発生した事故ではないと思います。
昔、モーターショーでメーカーの人と立ち話した笑い話。
クルマの「操作の難しさ」を軽減するために、MT→AT、クラッチレス、オートワイパー、オートライトなどを開発しましたが、人間はそれ以上に操作ができなくなっちゃったんじゃないの?
あとは、オートウィンカーとかかな?
過保護だね。
自動運転が期待されるって「難しい操作をやりたくない」「責任も車に取ってもらえる」と思ってんじゃないの。
まさかね~。