ゴジラは確かにゴジラだった。でもガメラだった。
怪獣は迫力があったけど、でもカメムシだった。
アメリカ版新作映画「GODZILLA」を観にいってきた。なるべくネタバレにならないように感想を書こう。わからない人はわからないだろうし、勘のいい人にはわかりすぎるかもしれないから御注意を。
怪獣はすごい。これだけで劇場で観る価値はある。ぼくはずっと昔、IMAXの3Dを見て目がひどく痛くなったことがあって今回も2D吹き替え版で観た。吹き替え版にするのは、字幕を追っているとせっかくの特撮場面を細かく観られないからだ。それでもゴジラ史上最も迫力あるゴジラだと思った。
最近はほとんど映画に行かないのでシネコンというのに慣れない。昔の映画館はほとんど自由席で入れ替えが無かった。それで朝一番から弁当を持って劇場へ行き、最初は中程の席で、二回目は最前列で、三回目は最後方で、などと一日中同じ映画を見続けることが出来た。ぼくが若い頃はそもそも家庭用ビデオソフト自体が無かったから、映画を後に思い出そうとしたら映画館で自分の目に焼き付けなければならなかった。
今のシネコンは全席指定の入れ替え制で、しかも一つの映写会場が比較的小さい。そう言う意味では昔の映画館にあったようなライブ感が少しとぼしい感じがする。「ロッキー・ホラー・ショー」に新聞紙とライターを持ち込むなんてことは今は許されないだろうけれど。
それはともかく、シネコンではチケットを買うときに席を指定しなければならないが、どんな会場かわからないで席を指定するのは結構難しい。今日はたまたま最前列の真ん中が空いていたので、ついそこを買ってしまった。結局、スクリーンを下から見上げる感じで画面は縦方向に短く歪んでしまったが、大きさは十分でとても迫力があった。これは映画館でしか味わえないだろう。どうせまたいつかDVDかBRでゆっくり観るだろうし。
怪獣映画にシナリオの完成度を求めるのは間違いかもしれない。しかし残念ながら今回のゴジラは、多分ぼくが観たゴジラ映画の中で最も中身がない。スカスカだ。これなら子供の味方のガメラが活躍する話の方がずっと面白い。
どう見たとしても「ゴジラ」第一作と比べたら月とすっぽんである。そもそも核兵器や原子力に対する認識が全く無いと言ってよい。映画の冒頭から核爆発のシーンが何度もあり、日本の原発事故を思わせる場面も描かれているが、結局のところ核の恐怖も苦しみも悲しみもその痛みを何もわかっていない。むしろリアリティのない日本の原発や核爆発の状況の描き方、またそれを合理化するようなシナリオは、問題意識を核や原子力からあえて遠ざけようとしているかのようだ。
それでは今回の映画のテーマが何かと言えば、それは「ファミリー」である。ファミリーと言っても夫婦と子供という核家族のつながりである。核ではなく核家族というのはある意味でこの映画の意味を象徴しているのかもしれない。この映画には多くの家族が登場する。中には人間ならざる夫婦・親子の物語もある。こうした家族はいずれも引き裂かれ、大切なパートナーや子供を失い、怒り、悲しみ、また奇跡的に再会することもあるのだが、しかしそれは結局、親子・夫婦は求め合い愛し合うものだというステロタイプのキリスト教的道徳観の域を越えない。だからどうしたと言う以外、言いようがない。
これが現在の商業映画の限界だと言えるかもしれないし、その範囲内ではよく出来た映画だとも言える。ようするに怪獣映画が好きな人にはお勧めの映画だということであり、アメリカ的限界を感じたい人にも参考になる映画なのである。なお、金子監督版の平成ガメラ・シリーズがとにかく好きと言う人なら、テイストが似ていると思うからお薦めする。あとカメムシ・マニアの方(そんな人がいるのなら)にもちょっとね。それと個人的にはもう少しゴジラに愛嬌があっても良かったかな、とか。
怪獣は迫力があったけど、でもカメムシだった。
アメリカ版新作映画「GODZILLA」を観にいってきた。なるべくネタバレにならないように感想を書こう。わからない人はわからないだろうし、勘のいい人にはわかりすぎるかもしれないから御注意を。
怪獣はすごい。これだけで劇場で観る価値はある。ぼくはずっと昔、IMAXの3Dを見て目がひどく痛くなったことがあって今回も2D吹き替え版で観た。吹き替え版にするのは、字幕を追っているとせっかくの特撮場面を細かく観られないからだ。それでもゴジラ史上最も迫力あるゴジラだと思った。
最近はほとんど映画に行かないのでシネコンというのに慣れない。昔の映画館はほとんど自由席で入れ替えが無かった。それで朝一番から弁当を持って劇場へ行き、最初は中程の席で、二回目は最前列で、三回目は最後方で、などと一日中同じ映画を見続けることが出来た。ぼくが若い頃はそもそも家庭用ビデオソフト自体が無かったから、映画を後に思い出そうとしたら映画館で自分の目に焼き付けなければならなかった。
今のシネコンは全席指定の入れ替え制で、しかも一つの映写会場が比較的小さい。そう言う意味では昔の映画館にあったようなライブ感が少しとぼしい感じがする。「ロッキー・ホラー・ショー」に新聞紙とライターを持ち込むなんてことは今は許されないだろうけれど。
それはともかく、シネコンではチケットを買うときに席を指定しなければならないが、どんな会場かわからないで席を指定するのは結構難しい。今日はたまたま最前列の真ん中が空いていたので、ついそこを買ってしまった。結局、スクリーンを下から見上げる感じで画面は縦方向に短く歪んでしまったが、大きさは十分でとても迫力があった。これは映画館でしか味わえないだろう。どうせまたいつかDVDかBRでゆっくり観るだろうし。
怪獣映画にシナリオの完成度を求めるのは間違いかもしれない。しかし残念ながら今回のゴジラは、多分ぼくが観たゴジラ映画の中で最も中身がない。スカスカだ。これなら子供の味方のガメラが活躍する話の方がずっと面白い。
どう見たとしても「ゴジラ」第一作と比べたら月とすっぽんである。そもそも核兵器や原子力に対する認識が全く無いと言ってよい。映画の冒頭から核爆発のシーンが何度もあり、日本の原発事故を思わせる場面も描かれているが、結局のところ核の恐怖も苦しみも悲しみもその痛みを何もわかっていない。むしろリアリティのない日本の原発や核爆発の状況の描き方、またそれを合理化するようなシナリオは、問題意識を核や原子力からあえて遠ざけようとしているかのようだ。
それでは今回の映画のテーマが何かと言えば、それは「ファミリー」である。ファミリーと言っても夫婦と子供という核家族のつながりである。核ではなく核家族というのはある意味でこの映画の意味を象徴しているのかもしれない。この映画には多くの家族が登場する。中には人間ならざる夫婦・親子の物語もある。こうした家族はいずれも引き裂かれ、大切なパートナーや子供を失い、怒り、悲しみ、また奇跡的に再会することもあるのだが、しかしそれは結局、親子・夫婦は求め合い愛し合うものだというステロタイプのキリスト教的道徳観の域を越えない。だからどうしたと言う以外、言いようがない。
これが現在の商業映画の限界だと言えるかもしれないし、その範囲内ではよく出来た映画だとも言える。ようするに怪獣映画が好きな人にはお勧めの映画だということであり、アメリカ的限界を感じたい人にも参考になる映画なのである。なお、金子監督版の平成ガメラ・シリーズがとにかく好きと言う人なら、テイストが似ていると思うからお薦めする。あとカメムシ・マニアの方(そんな人がいるのなら)にもちょっとね。それと個人的にはもう少しゴジラに愛嬌があっても良かったかな、とか。