あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

Nさんへの手紙(7)~「イスラム国」について

2014年08月19日 18時18分40秒 | Weblog
Nさん

 「イスラム国」の件ですね。なかなか難しい問題ですが、ぼくは「イスラム」国の出現は現代史の必然だと思います。
 この問題のそもそもの始発点は、イギリスによる第一次世界大戦時の「三枚舌外交」からパレスチナの植民地化、1948年のイスラエル建国=パレスチナ人追放といった歴史にさかのぼります。このパレスチナ問題を国際社会が解決しないまま放置し続けた結果、世界中のイスラム教徒に広く欧米キリスト教社会に対する非和解的不信感が根付いてしまったのです。

 しかしそれも1990年ころまでは、まだ宗教問題と言うよりは政治問題として基本的には正しい認識が多勢を占めており、イスラム側の闘争の対象はイスラエルとかアメリカという国家や軍隊、もしくは帝国主義などの侵略勢力として捉えられていました。そしてその政治・軍事闘争を直接・間接に支えたのが国際共産主義運動だったわけです。別の言い方をすればパレスチナ問題を基点とするイスラム教勢力の闘争は、東西冷戦の枠組みの中に組み込まれていたと言えるでしょう。

 ところが冷戦の終結とそれに伴って起こったマルクス主義の没落が事態を変質させました。「社会主義国」は次々崩壊しアメリカひとり勝ちの世界になりました。しかしだからと言って世界に広がる矛盾が無くなったわけではなく、むしろアメリカによるグローバリズムという名の世界支配は強化され、選別と格差はより激化しました。現在では、比較的平和だったヨーロッパ諸国でさえ移民排除という形でイスラム教徒への差別排外主義が広がり、対立は深刻化しています。
 それなのに虐げられる人々はマルクス主義という抵抗の思想まで奪われてしまい、その空隙に浸透してきたのがイスラム原理主義だったのです。つまりマルクス主義が消えたところにイスラム原理主義が置き換わっていったのです。

 もちろんマルクス主義運動には多くの問題点、不十分性がありました。しかしそれでもそれは近代西欧思想の系譜にあり、そこには一応は合理主義や人権思想がありました。あまりにも近代から外れることは出来なかったのです。冷戦時代には現在の中国や北朝鮮、もしくはポルポト派のようなむちゃくちゃな勢力はまだ少数派だったのです。
 けれども残念ながらイスラム原理主義は近代西欧思想ではありません。そもそも反近代、反欧米思想で、合理主義や人権主義は重視されていません(とは言っても実は単純な前近代思想とも言えません。ぼくは劣化した現代思想だと考えていますが)。そうなってくると対立の渦中における対話が成立しにくくなります。問題の解決がより難しくなってしまったのです。

 そんな経緯の中で、アメリカやその陣営が選択したのが軍事力によるイスラム勢力の制圧戦略でした。アフガニスタン侵攻や第二次イラク戦争が象徴的ですが、アメリカ軍の質的量的な圧倒的優位を背景に一気に武装勢力を一掃してしまったのです。しかしその結果なにがおこったか? 闘争をまとめる「頭」が無くなり、闘争が個化し細かく分散してしまったのです。いわばイスラム原理主義の闘争は、象の体にたかるアリ、人間の体の中に広がる悪性ウィルスのようなものになってしまいました。もはやそれぞれの勢力の間に統一性は失われ、ひとつを叩いても(もしくは幸いにして対話が可能になったとしても)他は全く関係なく闘争を継続してしまいます。闘争の現場ももはや限定されなくなってしまいました。世界中のあらゆる場所がテロのターゲットになってしまいました。

 こうなってしまうと、もはや交渉する相手さえありません。アメリカとその陣営は事態を最悪のところまで悪化させてしまったのです。ぼくは「イスラム国」というのがその極限の姿なのではないかと思います。一応マスコミはテロリスト集団と規定していますが、ぼくはむしろ前述したアリというかウィルスというか、そうした存在が集結した「場」でしかないと考えるべきだと思います。もはや従来の国家とか武装勢力と言った集団とか団塊とは違う質のものを感じます。「イスラム国」というとらえどころのない自称がそれを如実に表しているのではないでしょうか。
 国家とか軍隊とかとは違う、ただの「場」でしかないとしたら、これと戦うとしても、これまで蓄積された軍事思想、戦略、戦術では対応しきれないような気がします。ここまで来てしまった以上、もはや考え方を全く変えて一からイスラムとの共存の方策を探っていくしかないというのが、ぼくの意見です。

 確かにNさんもご指摘になっているように「イスラム国」は同じスンニ派の別の勢力とも非和解的で、アルカイダからも破門されたようです。おっしゃるように「イスラム国」との融和・共存は、現状では不可能だと言うしかないのでしょう。けれども不可能だと言い続けていたら永久に可能性は出てきません。そこに何らかの突破口を見いださないと、この状況はどこまでも悪化し続けるしかありません。
 それでは「誰がどうやって」やるのかというご質問ですが、その突破口を見いだすのは経緯から言って、本来まずはアメリカの責任です。
 具体的には様々な方法があると思います。非武装の交渉者を現地に多数派遣して相手側の周辺から相手の文化と尊厳を損なわない形で対話の糸口を探るべきです。その際アメリカの中東における利権を基本的にすべて放棄する覚悟が必要です。またイスラエルへの支援を止めてパレスチナの封鎖を解き、新パレスチナ国家建設を積極的に進めることです。
 そんなことは、ぼくが言うまでもなく誰でもわかっていることです。ただアメリカが何が何でも自分の権益を守り抜きたいからやらないだけのことです。

 日本にもやれることはたくさんあります。まずは集団的自衛権行使容認の閣議決定を取り消し、中東において完全中立の立場表明をすることです。経済支援や医療、文化支援を大規模にやるべきです。現状なら、まだ日本は中東に受け入れられている部分が大きいのです。当然ですが今回の事件のような民間軍事会社など許さず取り締まらねばなりません。これらのことは政府が決断さえすれば別に難しいことではありません。

 しかしおそらく権力者はやれることをやらないでしょう。自分の目の前の利益だけしか考えていないからです。でもそんなことを言いはじめたら「誰がどうやって」という質問自体がまったく無意味です。やる気のある人が誰もいないのであれば「誰がどうやって」という設問にどんな回答したところで虚しいだけです。
 そうだとしたら「誰がどうやって」という答えは結局たったひとつしかありません。「やることのできる自分が、できる限りのことをやる」というだけなのです。つまりNさんご自身が出来る限りのことをやるしかないのです。
 そしてそれは具体的に何かと言えば、現在の安倍政権の方針を変えさせる、日本の政治の方向を変えさせるために出来るだけの努力をすると言うことにしかならないでしょう。
 そんなことか、遠回りで先が見えないとお思いになるかもしれません。しかし現在の状況は始めに書いたように100年かけて作り出されたものなのです。そんな事態を簡単に修正できるような特効薬はどこにもありません。
 おそらくこう申し上げても自分一人の力がどれほどの力を持つのかと思われるでしょう。しかし「バタフライ効果」(ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起こる)ということが言われています。何がどんな効力を発揮するのかなど誰にもわからないのです。

 繰り返しますが、アメリカにやる気がないなら日本がやるしかありません。日本政府もやる気がないなら民間のボランティアがやるのです。そしてまずは自分自身がやれることをやることから始めるしかないのです。やれるかどうかではなく、出来なかったら世界はどんどん壊れていくということなのです。