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あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

局地的豪雨・出血熱・原理主義

2014年08月21日 23時40分50秒 | Weblog
 広島では昨日(20日)未明、局地的な豪雨による同時多発的な土砂災害が発生し多数の死傷者・行方不明者を出した。テレビでは現地に多数のレポーターを集結し大きな枠で報道を続けいてる。どうもいまだに被害者は増えているようだ。大変悲惨な状況である。

 余談だがこの災害を受けて天皇、皇后、皇太子一家は恒例の夏の「御静養」を取りやめたのだが、安倍総理大臣は夏休み中で、右翼・笹川日本財団会長の別荘から対策を指示しただけでそのままフジテレビ会長らとゴルフを開始。しかしさすがに管官房長官がまずいと判断したため、2時間で切り上げ東京に戻った。ここで記者らに顔を見せたのだが、実はまた夕方には別荘にとんぼ返りして、やっと今日(21日)の午後別荘を出立したと言う。ネトウヨは盛んに別に問題ないと安倍批判に対する反批判に躍起だ。いろいろなことを感じさせる動きである。

 広島の災害でそれ以外の話題は吹き飛んだ感じだが、世界的にはエボラ出血熱の拡大が深刻な問題となっている。一部の報道では東南アジア圏でも発生したのではないかと伝えられた。
 マスコミや政府は「日本は大丈夫」と繰り返すが、本当のところはよくわからない。「原発は安全」と言われ続けてきた結果が現状のような先の見えない無限の悪循環である。たぶん日本にはエボラ出血熱の患者が出現した場合の対応マニュアルが無い。もしくは全く世の中に浸透していない。もう聞き飽きた観がある「想定外」がまた繰り返されることになるだろう。

 一方で政治的・軍事的問題も解決の糸口が見えないまま、各地で泥沼化している。アフリカ中部、ウクライナ、中国国内テロ、パレスチナ、そしてシリア、イラクの「イスラム国」である。
 日本人拘束に続いて今度はアメリカ人ジャーナリストの処刑動画がネット上で流された。彼らを止める術(すべ)は今のところ無い。

 また余談だが、「イスラム国」に拘束された日本青年の背景はいまだに不可解である。全く軍事的訓練を受けたことがない青年が、なぜ突然民間軍事会社を立ち上げ、最も複雑で危険な紛争地に単身乗り込んで銃を撃って見せたりするのか? ただの軍事マニアの酔狂だったのか、それとも何か全く別の背景が存在するのか。とにかく何から何まで不自然で不可解である。
 そんな中、IWJ等の報道によればこの青年は右翼政治家との密接な関わりがあるということがわかってきた。とりわけあの極右・田母神元航空幕僚長とのツーショット写真がマスコミに注目されている。しかし当の田母神氏は青年との関係を全面否定してこの問題に対して一切関わろうとしないので、逆に表に出せない関係性があるのではないのか思えてしまう。うがった見方をすれば、安倍政権の集団的自衛権行使戦略のために裏側で何かをさせようとした可能性もある。そうでもなければカネも力もないただの青年が唐突に民間軍事会社を立ち上げられるとは思えないのだ。つまりこの会社は何か(誰か)のダミーであると考える方が自然である。…とまあ、それはともかく。

 こうした自然災害や疫病、原理主義者の跋扈という問題は、もちろん全く関連性のないことのように見える。しかしもう少し深いところで見れば、これらはいずれも近代という時代の限界を示しているのだと見ることも出来ると思うのだ。

 広島の災害を生んだのは、いわゆる過酷気象であり、その原因は地球温暖化にある。温暖化の原因が何なのかというのは学者のレベルではいまだに論争の渦中にあるが、事実上、温暖化物質の地球規模での制限が全く出来ないことが原因であることは間違いない(科学的原因がなんであるにせよ、これを食い止めるには温暖化物質の排出を無くさねばならないという意味)。
 エボラ出血熱は密林の開発、減少に原因がある。これまで人間がほとんど立ち入らない場所に人々が入り込み、その環境の中に封じ込められていた強力な病原体と接触するようになったことが、対策のない新たな感染症のパンデミック発生の原因である。
 こうした問題は、ようするに人間が限界を越えて強欲を爆発させ、経済発展至上主義、拝金主義、歪んだ合理主義と競争社会に陥ったために引き起こされたのである。環境問題はもうはるか昔から指摘されていたのに、人類社会はそれを全く止めることが出来ずにきて、それはこの事態になってもなお止む気配がない。
 そして原理主義者がわき出てきて、しかも圧倒的な勢いで勢力を広げる原因もまた、近代社会が強欲によって過激な競争社会、格差社会を作り出してきた結果なのである。人々が、とりわけより多く取る人々が、格差縮小・平等主義の世界を作ろうとしてきたら、原理主義者が主導権を握れたはずがない。

 つまりこれらの問題はどれも近代主義=資本主義が極限まで肥大化し腐敗してしまったことを表現しているのである。
 確かにある時には近代は画期的な人類の発展段階を示していた。しかしそれは(人類史である以上当然なのだが)最初から矛盾を内包していたのであり、誕生、発展、成熟、爛熟=腐敗、終焉という過程をとらざるを得ない。おそらくリベラリストの多くはいまだに資本主義社会は発展段階、もしくは成熟期に入りつつあると考えているだろうが、この時代が生み出した物事がこのように地球人類の存亡にまで関わる事態になってきたことを考えると、やはりこれは腐敗から終焉に向かう過程に入ったと言わざるを得ない。

 いったいいつになったら人々は永遠の夢を見続ける「現実主義」を脱し、真の現実を見すえる「理想主義」に目覚めるのだろう。