あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

納得いかないSPEEDI利活用方針

2014年08月25日 23時46分12秒 | Weblog
 どうしても納得いかないことというものがある。そういうのはたいていの場合、その裏に何か別の事情が隠されている。
 たとえば広島の土砂災害時の安倍首相の行動だ。早朝に連絡を受けたのにそのまま右翼・笹川氏の別荘でのゴルフを強行した。官房長官からのアドバイスでいったん東京に戻ったものの、夕方にはまた別荘に戻った。もちろん「着の身着のままだったから」というのは言い訳にもなっていない。誰かにもって来させればよいだけなのだから。ものすごくゴルフがしたかったという説もある。それもちょっと不自然だ。いくら遊びたいからと言って、これだけの大災害が起きたのに中止できないなら、中毒というか依存症レベルだ。
 おそらく別荘での休暇にはもっと全く別のとても重要なミッションが存在したのである。それが何かは誰にもわからない。わからないように、わざわざ東京を離れ隔離された他人の別荘に閉じこもったのである。内閣改造の構想を練っていたという報道もあるが、あんがい「イスラム国」で拘束された青年の問題の対応をしていたのかもしれない。もちろんただの当て推量だが。

 JTのテレビCMも何だかおかしい。「JTの取り組み紹介/分煙篇」というやつだが、主人公(?)が友人の経営するレストランを訪ねると、JTの担当者が分煙の仕切りの検査をしている。ここで「あいつが人を気遣う大人になっていた」というモノローグが入る。
 これはおかしいだろう。飲食店で分煙化するのは経営者の義務だ。地域や規模によっては条例等で規制されているかもしれない。むしろ分煙をしないのは犯罪行為であるとも言える。それを何か人格の問題のように「人を気遣う大人」だと持ち上げることには、はなはだしく違和感を感じる。ここにもタバコ産業のイメージ戦略が背景にあり、義務と善意のすり替えが行われているのだ。

 そんな中、きょう一番わからなかったのは、政府がSPEEDIの規模を縮小し、原則的に利用しない決定をしたというニュースである。なぜそのような方針が出たのか、いろいろな媒体で少しずつニュアンスが違う。結局のところよくわからない。
 朝日新聞(8/25)によれば「地震や津波で電源を失って原子炉の情報が得られず、どの部分から放射性物質が漏れているのかもわからなくなった」「放出源情報を把握し、予測できるという考え自体が安全神話だった」「こうした教訓から、原子力規制委員会が昨年改定した指針では、予測に頼らず判断することにした」ということで、確かにそう言われればそうかもしれないとも思う。
 しかし同日のテレビ朝日「ニュースステーション」の古舘伊知郎氏は、福島原発の事故の際には、公表されなかったことは問題だったが予測はおおむね正しかったと指摘し、今回の政府方針に疑問を示した。
 朝日の記事には「(事故原発から)5キロ圏は放出の有無にかかわらず即避難。5~30キロ圏は屋内退避を原則とし、実測値をもとに避難の必要性とタイミングを地域ごとに判断する。不確実な予測よりも迅速で的確に対応できるとの考え方が背景にある」と書かれているが、SPEEDIで「地震や津波で電源を失って原子炉の情報が得られ」ないことが問題だったのなら、そもそも30キロ圏内の実測データだって手に入らない可能性が高い。なんだかあまりにも矛盾した話だ。

 ここにもなんらかの、誰かに都合の悪いことが背景に存在しているのではないだろうか。うがって考えれば、むしろSPEEDIが正しく予測してしまうことが不都合なのではないのか。なんともすっきりしない話だ。