ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

エンキの失われた聖書 読み終わった

2010-03-10 16:30:15 | エンキの失われた聖書
やれやれ やっと読み終わった。目はしばしばです。

すごいね。
ギルガメシュも最後の方に出てくるの。

何を話したらいいのか・・とにかく長い長い物語です。

いま、この物語が教科書として示されるということは・・・

本当に時代の舵取りが大きく動く時代だってことなんだね。

3600年周期のニビル星は、いまどの辺りにいるんだろう。

ところで、私の手許に「灼熱の氷惑星」高橋実著 がある。
1975年初版だから、いまから35年前に書かれた本だけど、「地球の水は多すぎる」という仮説をたてて、果てしない宇宙の時間と空間をさまよい、ある得意な天体を発見するのです。

この本のスタートは、この文からです。
「朝、雨が降りに降った。わたしはこの眼で、夜も大粒の雨が降りしきるのをみた。わたしは頭をあげて、天をながめたが、その恐ろしいことといったらたとえようがない程だった。
(数千年前シュメール出土の粘土板に記載)

以下は高橋実さんの抜粋
1973年の夏、北シベリアでマンモスの冷凍体が発見された事件を新しい考え方で検討してみた。北シベリアで発見されたマンモスの冷凍体の中に、食事直後の木の葉が、歯の間や胃の中などに、未消化のまま残っていたという事件である。事件と言うにはいささかおかしいが、しかしこれは驚くべき事件の証拠であるようにみえた。マンモスの死んでいた場所は寒い所であった。マンモスが食べていた木の葉は、暖かい所にしか生えないものであった。二つの場所のへだたりは、現在の気候でいって千マイルもの違いにあたるとされた。

昔からこの謎は、「マンモスの死んでいた場所の気候が急に変わった」としか考えられないものとされた。そうして、それは、天変地異の徴候だとされた。何かが急激な変化をしたという印象を人びとに与えていた。

私は何も少しも変化しなかったのだと考えてみた。ただ、巨大な量の水がマンモスを打ち倒し、そのあと、マンモスを一挙に千マイルも運んでしまったのだ・・・と考えてみた。
マンモスが草を食べていた所は、昔も今も同じように暖かいのであるし、シベリアはその当時と同じようにいまも寒いのだと考えるのである。動いたのは一段の巨大な水塊であった。

高橋さんは、シュメール人がみつけた天体の周期を、ほぼ3000年くらいのものと仮定するのです。
ニビル星は3600年周期の天体で楕円軌道を回っています。
この仮説の鋭さ、凄いですよね。
文章がしっちゃかめっちゃかで意味通じるのかしらん。


さてさて、いまから夕食の買い物です。

また明日~~~

副島隆彦の「世界権力者人物図鑑」

2010-03-10 01:22:03 | 本の話・素敵な話
昨日、本を数冊買ってきた。
経済もアンテナ張っていたいもの。
三橋貴明の本を読むのは初めてであれこれ見ていたら、近くに副島隆彦の写真がメインの本があった。

この副島隆彦の本を読むのも初めてで、先入観は全くなかった。
最後まで読んで分かったことは、彼は、ばりばりの「全共闘世代」だと言うことだ。
小沢一郎は「アメリカが育てた本当に日本国王(帝国と取引し、駆け引きをするナショナリスト)なのであり、他の日本の政治家たちとは、はじめから格が違うと断言している。小沢一郎の信奉者なのだった。


第1章  世界権力の頂点
 ここには、世界を支配する「実質の世界皇帝」としてロックフェラー一族の記述がある。
誰と誰がどんな関係か・・とか興味深い。
この中に  1994年に小沢一郎が出版した「日本改造計画」(講談社刊)およびその英文版「ブループリント・フォー・ア・ニュー・ジャパン」では、ジェイ・ロックフェラー4世が序文を寄せている。だから小沢一郎はアメリカが育てた本当の日本国王なのだ。他の日本の政治家たちとは核が違う・・そうです。
さて、この「ブループリント・フォー・ア・ニュー・ジャパン」は、小沢一郎著「日本改造計画」の翻訳版ということになっているが、真実はその逆で、この英文書のほうが親本であり、先に書かれた。書いたのはルイーザ・ルービンファインというハーバード大を出て、小沢事務所にいた女性日本研究者なのだそうです。このルイーザの母親が、中学生の頃の小沢一郎に直接、英語の家庭教師をしていたそうです。

第5章  日本操り対策班
 中川昭一朦朧会見を仕組んだ男  ロバート・ゼーリック

麻生政権で財務・金融大臣だった中川昭一氏を失脚させたのはゼーリックだそうです。
中川大臣は「ローマG7」での朦朧会見の前日「日本政府は1000億ドルをIMFに拠出する」として、IMFのドミニク・ストロカーン専務理事と調印式を行った。これにアメリカは怒った。すでに自分たちアメリカの金だと思っている、日本の外貨準備高1兆ドル(90兆円)のうちの1割を、チェコやハンガリーを緊急で助ける資金として日本が分け与えてしまったから。IMFのストロカーンは「今どき、こんな寛大な国は日本しかいない」と泣くようにして喜んだ。

ゼーリックも、表面上は日本のこの決断に「歓迎の意」を表した。しかし腹の底は煮えくりかえっていた。ゼーリックが「もう我慢ならない。中川昭一を失脚させろ」と、手下の日本財務官僚たちに命令を下した。アメリカは中川氏の弱点だった「アルコール依存症」に見せかけて、彼を日本国財務大臣から引きずり降ろすことを謀った。中川氏は2009年10月3日に死去した。

「酩酊会見」で中川氏の左側に座っていた篠原尚之財務官はその後、IMF副専務理事に出世した。
中川財務・金融大臣の左に座っている篠原尚之財務官がゼーリックの命令で動いた。直接手を下したのは財務省国際局長だった玉木林太郎であり、この官僚と「特別に親しい関係」にある読売新聞社経済部の「・・」であり、ワインに薬物を盛られてのふらふら会見(2009年2月14日で中川氏が失脚した後、日本は米国債買い(年間で21兆円)を再開したそうだ。


この副島隆彦氏は、この人はワルでこの人は善人とか言い切っている。

最後の おわりに には

この本を出したあと、私に何が起こってもいい。その覚悟をしている。私の遺言書のような良い出来の本だ・・と書いてある。
それくらい思い切ってバサバサと切って捨てている。

命を捨てる覚悟で書いたんだろうなぁ・・と思えた。

あるいは名誉毀損で訴えられるのかなぁ ??