ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

レムリア人 少年少女の教育法

2010-03-25 09:49:06 | シュタイナー
昨日の続きです。

レムリア人の目的とする点は、意志の、表象力の発達だった。児童教育はすべてこの点へと向けられた。少年達は、この上なく激しい方法で鍛錬された。
彼らは危険に立ち向かい、苦痛を克服し、勇敢な行為を達成することを学ばねばならなかった。苦悶に耐ええない者、危険に立ち向かえない者は、人類の有用な一員とは見なされなかった。彼らはそれらの努力の末に死滅するがままにされた。この児童の教育に関してアーカーシャ年代記が明らかにすることは、現代の人間が最も奔放に思い描きうるものすべてに勝っている。
身を焦がすほどの熱に耐えること、尖った物で肉体を突くことなどは、ごくありふれた行為だった。

少女の教育はそれとは異なっていた。女児もまた鍛錬されたが、全く異質なことが、少女に強い想像力(Phantsie)を発達させるべく差し向けられた。例えば、少女は、その恐るべき美しさを冷静に感受すべく、嵐の中に曝されたし、また男達の戦闘を、恐れることなく、眼前に見る強さと力の玩味という感情のみに満たされて、目撃せねばならなかった。そのため夢想や空想の才能が少女の内で発達し、それらは高く評価された。どのような記憶も存在しなかったために、それらの才能が悪しきものとなることはなかった。

その夢想的・空想的表象は、対応する外部の原因がある限りにのみ存在した。このように、それらの表象は外部の事物に真の基盤を持っていた。それらは無根拠な戯れに終わることはなかった。それは、いうなれば、女性の心の内に注ぎ込まれた自然自身の空想であり夢想だった。

レムリア人は、その最後の諸時代を除いては、我々の言う意味での住居は持たなかった。かれらは自然が提供してくれた所・・洞くつに住んだ。必要な時にのみ改造されしかるべく備品が備え付けられた。
レムリア人は住居を目的とした建物は持たなかった。・・建物ではないが、丘は人間に喜びと楽しみを与えるような形態に作りかえられ、岩石は・・ある特定の活動に用いるために集められた。
子ども達が鍛錬された場所は、その種の塀で囲まれていた。

この時期の終わりに・・「神的叡智と神的技術」の教科を目的とした建物が、次第に精緻さと偉容さを誇るようになった。  それらは教育施設であると同時に学術施設でもあった。
資格があると見なされた者は、宇宙法則の学とその統御を伝授された。レムリア人が生来の魔術師であったとするならば、その才能はここにおいてひとつの技術と識見とにまで高められた。あらゆる訓練を通じて最も自己に打ち勝つ能力を獲得した者のみが、伝授を承認された。

そこにおいて人は、直接的観照を通して自然の諸力を識り、それらを統御することを学んだ。しかもその学習によって、自然の諸力は人間の内で意志への力へと変化した。
・・ある種の本能的活動の色合いを帯びていた。・・ここでは「本能的」という言葉を、動物界に当てはめる際の習慣となっている意味合いで用いてはならない。なぜならレムリア人の諸々の活動は、動物界が本能を用いて産み出しうるものすべてを遙かに凌駕していたからである。これらの施設の理解を助けるために、それらを「意志力と直感的表象力の専門大学」とでも呼ぶこともできよう。

それらから、あらゆる点において他の者たちの統治者となる人間が出現した。
今日、これらすべての状況の正しい像を言葉で示すことは困難だ。なぜならその当時以来地上の全てが変化を遂げたから。当時は自然それ自体が、すべての人間生活が、今日とは異質であり、それゆえ人間の労働や人間相互の関係も。今日とは大きく異なっていた。

大気は後のアトランティス時代よりも遙かに濃密であり、水は遙かに希薄であり、今日我々の地球の堅固な地殻を形成しているものは、まだ硬化していなかった。・・今は小さな形でのみ存在しているものは、そのころは巨大な大きさにまで発達していた。今日の小さなシダ類は当時は樹木であり、壮大な森を形成していた。今日の高等ほ乳動物は存在していなかった。他方、人類の大部分は、動物的と呼ばざるをえないほどの下位の発達段階にいた。先ほど述べたことは、人類の小部分にのみ当てはまる。残りの人間は獣性の内に生きていたのである。

この辺りは、「エンキの失われた聖書」の記述と一致するものがある。

今日はここまでです。今日は