愛の対極にあるものは何でしょうか。
通常「愛の対極にあるものは憎しみだ」と言われることが多いでしょう。
私は、「愛の対極にあるものは、実は、憎しみではなくて嫉妬である」と感じています。
例えば、家庭が崩壊する場合を見ても、憎しみによって崩壊するのではなく、嫉妬によって崩壊することが数多くあります。
また人間関係が壊れる場合を見ても、憎しみによって壊れるのではなく、嫉妬によって壊れていくことが数多くあります。
ブラジルは、都市部では大いなる発展をしているように見えますが、まだ貧富の差も激しく「貧しい人たちを、どうやって救済するか」ということが政治の大きな課題になっていると聞いています。おそらく、それは大変な仕事でしょう。
しかし、私は、皆さんに述べたいのです。これは根本にかかわることです。
愛の対極にあるものは嫉妬です。
したがって、これから、「嫉妬の最も危険な面、最も、ほめられない面は何であるか」ということを述べておきたいのです。
中略
「嫉妬を感じる相手に対して「祝福の心」を持つ
人間は誰に対しても嫉妬するわけではありません。そうではなくて、自分が最も強い関心を持っている方面で優秀な人に嫉妬心を持つのです。
例えば、みなさんが「サッカーの選手になりたい」と強く願っていれば、自分よりサッカーの上手な人を見ると、嫉妬を感じます。・・「サッカーの選手になりたい」と思っている人が、柔道の選手を見て嫉妬することは、あまりないのです。
同じように「お金が欲しい」と強く願っていると、お金持ちは嫉妬の対象になるでしょうし、「異性から愛されたい」と強く願っていると、異性から愛されている人に対して嫉妬の心が湧いてくると思います。
中略
本当は、表面意識下では実現を願っているにもかかわらず、目標になるべき方向にいる人に嫉妬することによって、みなさんは、その方向に進むことができなくなるのです。
・・ここが大事なところです。みなさんが心に感じる嫉妬が「本当は、この人のようになりたい」と思う人に対するものであることを、素直に認めることができたならば、嫉妬の心を抑えて、逆に祝福の心を持っていただきたいのです。
祝福の心は「肯定の心」です。「かくありたい」と願う心です。祝福の心は「他の人の幸福を願う心」なのです。
その心を持っていれば、みなさんは、自分が祝福している人の方向に向かって、人生を歩んでいくようになるのです。
以上 2010年11月14日 サンパウロ市・クレジカードホールにて
「愛と天使の働き」ご法話 抜粋