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秦→シン→チーナ→ティーナ→支那→China⇔Japan

2025-01-25 | ファッション
因みに、支那(シナ)について、
海外では「エリュトゥラー海案内記」に
「Thinae(ギリシャ語)発音はティーナ?」で絹の産地として紹介されているとの事です。
(尚、Wikipediaに依るとこの案内記は1世紀半ば過ぎに成立したと推定され、
 古代のインド洋近辺における海洋貿易についてギリシア語で記された航海案内書とか。)
次に、イタリア人宣教師マルティノ・マルティニ(1614~61)の「中国新地図帳」からの情報で
世界地図を作成したヨアン・ブロウ(1598~1673)「大地図帳」では「Chine(蘭語)」表記。
東インド、ならびに隣接諸島地図 日文研 日本関係欧文資料の世界)
19世紀清王朝を虐めた大英帝国は「China」、仏共和国(途中王政)は「Chine」表記です。
少なくても、2世紀の地球上認識可能な世の中は西から
ローマ帝国 パルティア王国 クシャーナ朝 サータヴァーハナ朝 扶南朝 林邑(チャンパー)匈奴帝国 後漢朝 倭国
には「秦(シン)」→「チーナ」→「ティーナ」と認識されていたのではと思われます。
日本について、
日本書紀では日本(やまと)→日本武尊(やまとたける
万葉集では日本(ひのもと)→日本之 山跡国乃 鎮十方(ひのもとの やまとのくにの しずめとも
(万葉集 第三巻 319番歌 高橋虫麻呂 詠不尽山歌一首)
訓読みは上記で、字音(音読み)は「日本(ニ ホム)」。
やがて「にほん」「にっぽん」と定着、ローマ字表記では「Nippon」に。
一方、「Japan(ジャパン)」の方はマルコ・ポーロ(1254?~1324)の「東方見聞録」が通説。
マルコ・ポーロ17歳は1271年ローマ教皇グレゴリウス10世(1210~76)の
モンゴル帝国大元ウルス クビライ皇帝(1215~1294在1260~94)宛ての親書を携え、
ヴェニスから船でパレスチナのアッコに上陸、陸路シルクロード経由で上都を目指し旅立ちます。
1275年21歳大元ウルスの北の首都、上都(元中国内モンゴル自治区)に到着し皇帝に謁見。
上都で皇帝謁見から季節は春夏。南の首都、大都(現北京)は秋冬滞在です。
なぜかマルコは皇帝のお気に入りとなり役人として重用されます。1291年37歳帰国許可、
皇女随行任務フレグ・ウルス経由で1295年41歳ベニスへ漸く到着。
紆余曲折を経て「東方見聞録」が世の中に流布。
この伝聞に「日本国」が登場、その記述に「Zipangu」「Zipangri」「Jipangu」等々。
これらはマルコが大元ウルス滞在中聞き及んだ漢音での「日本国(ジペングオ)」からが通説と。
現漢和辞典では漢音→日は「ジツ」本は「ホン」呉音→日は「ニチ・ニッ」本は「ホン」。
(参考「国号「日本」の読み方について」文部事務官 三宅武郎)
ところで、梁啓超は「日本」を何て呼んでいたのでしょうか?
彼の田舎は現在の広東省江門市新会区郊外ですので呉音・広東音になる筈です。
従って、日本現漢字辞典風発音では「ニッホン」となるのですが・・・・・。 続く。

コメント
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