最近 とても立ちくらみが多くなりました。
「不正」って、薄給から出る可能性が高いけれど、それはすべてのものやことにいえる。
だから、避けられないように思える。
昔の日本社会の経済もかつての中国経済も、成長しきっていないときはまがい物が氾濫してて安かろう悪かろうでないと成長にこぎつけなかった。
でもって、成長後に没らくし始めたから、昔の安かろう悪かろうの、改ざんデータや不正品がで始めた。
それは、どこの国や社会でも起こりうること。
んあので、いまの日本の国も戦後の日本社会にやや逆戻りしただけのこと。
それを、悪というなら、その上に出来上がった高度経済社会の時代の日本を否定しなければならない。
いい時代は、貧困の犠牲の上に成り立った。
いいことばかり言う人の理論は、そういった欺瞞を隠している。
従って、「不正」をただ、「不正」で終わらせるなら、越えられない未来を黙認して過ごすしかない。
「不正」が生まれたワケをもっと示すべきであり、真実を避けてはいけない。
つまり「不正」は避けて取れない事なのだから。
今はそこを、「不正」を「不正」と知りつつも、やるしかない、と、残念なことだけれど。
通過しないと前に進めないなら、それをやらざるを得ない。
泣きながらでも。
例えるなら、武器を持たない戦争とも言える。。。
赤子の頃が一番大変。
できない事をできますっていうのはアリかどうか?
嘘をついてまで社会的な安定にしがみつくことは精神的に良いモノかどうか?
気にならない人は他のことも気にしないから、嘘つきのままで生きていける。
不真面目なら、生き方も家庭も、生活もお金も、すべて良い加減に生きていける。
それが、ほんとうに精神的な幸せなのかどうか?
わからない。
自分はけっこうヤケになる。
拘って正しい意識を求めて、それが苦しくて、それで、もうイイやって、一番損な立場を選択する。
自分の人せよ、落ちてしまえ!!って、なる。
どうせ、落ちる運命ならば、もうどうでもいい。
むしろ、そんな心の中だけの幸せは求めないほうが良いのかも。
金亡者はお金がすべてって信じてるから、それで幸せならそうれでいい?
自暴自棄な人生を選択するのも、それはそれでアリっってこと?
わからない。
わからないから、何もできない。
なにかしても、他人に言いなりになる。
なにも決断できない。
わからない。
時間だけが過ぎて、そして、置き去りにされる。
一番、自分の求めていない未来にたどり着く。
繰り返し、繰り返し、後悔を繰り返す。
後悔だけの生活。
苦しいから、だだ、選択できない未来を待つ。
流されて、流されて。
また、いつかのように、アルコール依存にでもなって、死ぬのが真の未来の姿なのかも。
殺人者の未来を持っている人もいるし、殺されて死ぬ未来の人もいるだろう。
なら、どんな未来も受け入れないと。
覚悟は、他人ではないのに、他人が交錯して、ワケがわからない。
だれが、生きてる?
「週刊少年ジャンプ」の「斉木楠雄のΨ難」が終わった。
主人公が息子に似てたので楽しみに見てた。
すべてのモノには終わりがある。
命も。
愛情もそうだろうな。
受け入れなければならない。
いくら寂しくても。
いくら悲しくても。
泣けてくる。。