66歳の貧乏なアルバイター

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

お休みの日

2024-09-23 18:40:05 | 日記
お休みの日はダラダラします。

昼食は「くら寿司」でした。

コスモス薬局で水の箱を買いました。

買い置き用。

図書館に本を返しに行きました。

まだまだ夏っぽい暑さのようで、日陰は割と涼しい。

もうすぐ秋本番になるのでしょう。

明日は仕事です。

娘は東京に遊びに行ってて、帰りの新幹線の遅れでの混雑は既に解消されてるらしいと。

お休みの日はダラダラします。

そう言えば、今回は図書館では本を借りてない。

なので、久々に「嫌われる勇気」を再度読み返ししてます。

さて以前読んだのはいつだったろうか。

数年前ですね。

小倉時代は10年近く前かな。

内容は随分忘れてるか。
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年寄りの習性

2024-09-23 11:05:37 | メンタル
歳をとると身体がなかなか言う事を効かない。

頭の働きも面倒なことを避ける様になる。

先日、図書館へ本を借りに行った時の事。

借りた本が思っていたのと違ってるのに確認が面倒なので、そのまま借りた。

結局後になってわざわざ借り直しをしないといけない、となる。

つまりは更に面倒になるのだ。

そうなると面倒の比重の大きさからもう借りるのをよそう、と思う。

いろんな事で間違い、思い違い、ボタンの推し間違い、かけ間違いが起こる。

忍耐力もほぼ消えてるから癇癪を起こす。

自己嫌悪ならまだしも、悪態を付く様になる。

物事をもっとゆっくりと正確に行ったらいいんじゃないかと思う。

でも、焦りは忍耐力と反比例する。

ゆっくりできない。

まるで幼児だな。

簡単なことだけに絞ってみるのがいいかもしれないが、世間様はどんどん複雑化する。

いやいや、世の中は便利になると言うのだけれど、その便利は操作方法が随分と面倒で、覚えなければできない事がとても多く、複雑怪奇になっている。

若者にとってはそれが複雑ではない。

それは自分が若い頃を思い返すと解る。

若かった頃、同時に二つ三つの動作をするのが楽しかった記憶がある。

そういうことだろう。

老人は若者と生き物として別物になっている。

変異してる。

いつの間にか変身しているのだろう。

従って、同じ動物ではない、くらいに思った方がいいのかもしれないな。

でもって、自分自身が気付かないうちにそっち側になってる。

動くミイラかも。

以前ならゾンビと言ったろうけれど、今はちょっとかわいそうに思うから言い方を変えた。

しかし、ミイラの方がひどくないか?

どっちもどっち、変わらないか。

今日も多くのミイラが蠢いている。
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全ては思い込みから始まる

2024-09-23 05:32:47 | エッセイ
人の世界は個人それぞれが決定権を持つ。

自分が決めたと思い込んでいる。

何かの行動をする時、肉体が暑い、寒い、苦しい、楽しいなどのセンサーで何かを感知するから、行動を起こすための意識を発生させる。

何も起こらないならどうするか。

何も起こらない、という外部入力を感知し、それに反応する。

つまり「思い」は身体からの信号がスイッチを持つ。

身体があって、そして反応するのでる。

身体がなければ、或いは肉体が何らかのセンサー反応しないと行動に至るスイッチは入らない。

植物人間である。

いわゆる植物化した人は自律神経のみが反応する。

大脳皮質は動かない。

身体が先に決定権を指図する。

身体のあり方によって、ある程度自動的に反応すると言っても差し支えないかも知れない。

暑いと、身体を冷やす行為を目指す。

寒いと逆。

なので、意識は自己が決定したと無意識の反応を持つが、それは肉体による支配から逃れてない。

脳も肉体の一部、臓器の一部だと養老孟司先生は言った。

おっしゃる通り。

意識が独立していれば肉体は要らない。

要らない肉体に心は宿らない。

幽霊だ。

物質以外なら触ることも見ることもできない。

雲も水蒸気という物質。

煙も同様。

光は光子か。

とにかく、感じるのはモノではない何かなら、精神的な意識の中だけであり、
肉体が死んだらそれも感じないだろうし。

死んだ後の死後の世界があるならば、それはこの世ではないから、知らない。

見ることができるなら、この世のものだろう。

まだ知識の中に無い物質なら理解できる。

解明されてない物質はあるだろうから。

例えば、ニュートリノなどはそういうモノだった。

電波も似てるけれど、肉体には微細な反応があるらしい。

磁気もそうだ。

しかしやはり肉体になんらかの反応がある。

微細な影響があるから。

身体が先、心は後。

従って、肉体が思い込みを優先する。

喜怒哀楽は身体のセンサーが先に決定権を持つように思う。

特に「嫌だ」という反応は敏感だ。

ほぼそれに尽きる気がする。

従って、身体が「嫌だ」をいう時にはそれを最重要に置いてやるのがいい気がする。

多調が悪い時である。

それは肉体が「嫌だ」を訴えてる。

意識は最重要項目にせねばならない。

自己決定権はそこからモノを言う。

身体の反応は理屈や計算では出ない。

思い込みから始まる。

身体の、肉体の思い込み、反応なのだろう。

そして身体はだいたいにおいて正直だ。

思い込みはほぼ正しい。

それを、意識が計算や理屈で押さえ込もうとする。

しかし、それはおおよそ嘘だ。

詐欺的なマヤカシだ。

何故なら、肉体が反応してることを否定するなら、暑いも寒いもなくなるようなもの。

暑いときに更に暑くするような行為を奇妙な計算で出すだけだ。

肉体、そのセンサーは一番優秀な決定者だと認めるべき。

その答えが最初の思い込み。

ただし、センサーが正確で無いといけない。

そこは注意点だろうけれど。

焦りは禁物。

一応。
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