日本語を世界に普及させたら世界は変わると思う。
脳の使い方が変わるからだ。
日本語はある特徴があって、母音を使う。
それと、感情を言葉に入れて使う仕組みになっている。
英語や中国語などのように強弱を声に乗せなくても感情が伝わる仕組みになっている。
従って、活字にすら感情が溢れている。
『感情』
それは心の置き場が言葉に乗って伝わる。
しかしデメリットもある。
感情が伝わるレベルが高いからそれに対するリアクションが難しい。
従って、政治家たちがしゃべる言葉使いのように、曖昧な伝達をしてしまう。
明快な意思疎通に抵抗が起こる。
それだけ、感情が込められてる証拠だ。
感情、感覚が豊富なぶん他人の痛みが伝わる。
まさに言霊、怨霊まで産まれる。
念力が言葉に込められる。
だから幽霊すら産んでしまうのかもしれない。
日本語の使い方は難しい。
心を込めないと使えない。
現代になって日本人はそこをどんどん否定してきた。
だからアメリカナイズされてきてる。
抗って見ても、おそらく死滅する。
日本語は焚書坑儒される運命なのかもしれない。
超能力は言霊とともに消える。
一つの感覚、能力の消滅とも言える。
かつて、目はBGRの色の三元色以外に、もう一つの色を見分ける能力があったと聴いた。
でも、今はその能力は消えてる。
たまにその能力を持っている人がいるらしい。
そこを超能力と言えば言えるかもしれないが、そもそも、元々持ってた一つの感覚らしい。
未来が機械との融合なら、要らないか。
未来人は電波を受信するチップを脳に埋め込まれるだろう。
それによって、スマホが脳につながる。
まさに、テレパシーが産まれる瞬間が訪れる。
そこで、シンギュラリティーが起こるのだろう。
日本語がそこで完全に消滅する。
一つの時代の終焉はそういうものなのかもしれないな。
そに先はあまり良い未来にはならない気がする。
できれば日本語をもっと活用してほしかった。
何故ならシンギュラリティーで情報は他人に伝わるが、そこに痛みは伝わらない。
ただの情報だけだ。
つまり、人が機械と同じ肉体になることを意味する。
生きてる者全てに備わってる痛みという能力。
それは情報だけでは伝わらないからだ。
感覚で伝えなければならない。
そして、もっと必要なのは感覚の他にも存在する不透明なもの。
それが感情である。
感情を豊富に伝えられる言語。
言霊をそこに込めた言語である。
日本語を世界に普及させたら世界は変わると思う。
生命として。
生命は死を持っている。
生きるから死ぬ。
機械は死なない。
再構築できるから。
永遠の命、それが素晴らしいというが。
私は生命として生きたい。
そう思う。
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