公に謝罪する行為を求める文化
それによって良いことは何かあるのか?
ただ、視聴者が優越感を感じるだけで、この世に良い事はない
メディア、マスコミ、情報社会が経済社会を巻き込んで安心するだけではないのか
そこらへんの安心文化には真の安心は存在しない気がする
ただの気休め、お慰め
本当に安心できる世界は人間同士の体当たりの世間の中にありそうに思う
見せかけでは、見せかけの安心、平穏しかない
人に迷惑をかけたら、それは自分のこととして捉えれば、対策が先
過ぎ去った過去を後悔せず どんどん先に進む事を優先するならば
大事な事はこれからどうするか、だろう
謝罪は要らぬ
それだけが欲しいと願う
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