良いとか悪いとか、判断をするのは感情の方であろう。
ありのまま、感じたままによる判断が感覚であろう。
判断と言うよりも、感覚自体は判断をしない。
ありのままだから感じたままそのままである。
気持ちが良いとか気持ちが悪いと言うのは感情である。
気持ちが良いも悪いもなく、そのまんまを受け止めるのが感覚である。
感覚は善悪の判断をしない。
良いとか悪いとかの判断をしない。
それが感覚である。
感覚の場合は、善悪がない。
良い悪いがない。
したがって、気分が良いも悪いもない。
落ち込むこともないし、悩むこともない。
逆に楽しいとか嬉しいとかもおそらくあまりないだろう。
ただ、受けたまま感じたままである。
痛いものは痛い。
熱いものは熱い。
くすぐったいものは、くすぐったい。
しかし、穏やかなものは穏やかである。
穏やかで居たいと思う。
それが感情なのか感覚なのかわからないけれども、穏やかでいたいと思う。
従って急がない。
焦らない。
そこにあるがままに受け止める。
とことん受け止める。
受け止められないものは受け止められない。
だから、受け止めようと思ったら、受け止められるまで受け止める。
受け止めるためには、そこにとどまる。
一旦停止以上のそのまま停止も辞さない。
受け止められるだけ受け止める。
とにかく認知をしっかりする。
ありのままを認知する。
認知、判断、操作
その場合の認知のみで全てが完結する。
判断しない。
まずは認知のみする。
操作もありのままにするが。
しかしそれは認知して、そして前に進むだけだ。
操作と言うほどのものは必要ない。
ただ、前に進むだけだ。
時間の流れと同じだ。
時間の流れは認知するのかしないのかわからないけれども、前に飲み進む。
たったそれだけの事しかない。
そこに近づけば近づくほど、物事は解決する。
この世の統一理論は、おそらくその辺にあるような気がする。
ただ、前に進むのみの時間と同じ。
時間は光の成長。
宇宙が膨張しようが、時間が前に進もうがあるものはある。
以上終わりである。
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