そもそも社会主義とか民主主義とか、そういった言葉は本当に存在するものなのか
そういう言葉はあっても実態は随分と曖昧過ぎて、実態が存在しない気がする
世に中は公共の存在である
民主主義は人々のそれぞれに意志の反映ではないか
社会主義は公共の意識の統一からそれぞれのつながりから求められる気がする
つまり目指す場所が同じ何ではないか
人々の目指す統一の幸せの場所が個人を軸にいう言葉が民主主義
人々全てを大きく見渡して総合的に目指した幸せが社会主義
主義と言う言葉が混乱を生んではいまいか
実は社会主義も民主主義も別のものではないと思う
何故なら、世界の国々を見渡して殆どが似た歴史を辿ってる
主義主張が時代によって変わってるのではなく、その時代にリーダーになった人物の支配欲がどの程度かだけが違ってるだけ
トランプが独裁者的な政治をすればプーチンと同じだ
トランプは独裁者てきな意識を感じる
プーチンですら民衆の意識を押さえ込んでるけれど、度を越せば国民は国外逃亡するだけだし、ややもすればクーデターが起きる
週主席の国も若者が混乱気味の世間をだんだんと作り出してる様子が窺える
組織の支配の状態が曖昧な日本は、警察の交番のような支配は社会主義的な様子を窺わせる
或いは皆保険制度も国民全員の義務と言えば、結局は民衆を支配する規則と感じる
程度の問題な気がするのだ
従って、政治家が党派を別にしてもあまり意味はない
だから与党と野党が結託することも十分ある
つまり、アメリカと中国が手を組むことも可能という
その時に私の住んでる土地がどういう環境になるか
そのあたりが懸念されるだけだ
住処は変えればいいのかもしれない
その時に住処を変えられないのが不運かもしれない
貧乏はその点で言えば気が楽かもしれないな
財は時として不運を孕んでるのか
全く意味のない考えが今日も巡る
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