テレビCMでオーディオブックの宣伝を見ました。
私はむかぁし、FM 福岡で夜の9時からやってた「音の本棚」を聴くのが好きでした。
聴く物語です。
本を聴く。
おもしろいですね。
そもそも本は読むものという概念があります。
でも、「読む」という行為を 「聞く」という行為に変換できたわけですね。
であるならば「見る音楽」とか「感じる風景」などはいかがでしょうかね。
だれかそういう変換器を開発してほしい。
感じる風景は東大のベンチャー室でやってるらしいというのを10年くらい前に聞きましたけどどうなってるんでしょうかね。
つまり見えない人が風景を感じられる様にするんだ、と言ってました。
それはおでこの皮膚に触覚のような布のようなモノを当てて皮膚で前方の物体を感じ取るんだと言ってました。
へぇ~、でした。
朧げですが、何かがあるのがわかるらしいです。
目が見えなくてもわかるんですね。
音が聞こえなくても感じることができるってのもイイ。
そもそも音は空気の振動ですからやりようによっては可能ですよね。
耳がなくても音の振動は皮膚でも解る。
特に大きな音は皮膚で感じられる。
もっと視野を広げて考えたら、
同様な意味で言えば、漫画っていうのもそういう新しい感覚の一つかもしれません。
日本の漫画は絵によって印象を伝える。
昔の壁画のように言葉ではなく、意味を伝えることに特化した落書き。
その連続で気持ちを伝える。
まさに人の感覚に特化した動作の一つですね。
言葉によって人が人に意識を伝える。
すごい発明。
絵の連続によって意識を伝えることができてる。
ならば
音によって意識を伝える。
歌とか音楽とかがそれに当たる。
歌詞の中身も、はっきり言わないけれど 言葉の羅列のようで、感じられる印象によってある意味を伝えてる。
戦争の絶えない中世以降の人の世の中に何か新しい文明の進化をもたらすことができたら、さらに人類は進歩するかもしれません。
でも、きっとそれは機械とかAIとかインターネットとかよりも更に次元を画したものになるような。
そんな気がします。
この世は光でできてますよね。
ビッグバン以降に質量というものが光を介して成長する過程の中に 命という特質的なモノが巣食ったのであれば、その光以上の五感を研ぎすまさなければならない。(すみません、意味わからないと思います)
古代の人間も現代人も脳の組織はほぼ同じ。
だから能力は同じ。
何故、進化の過程が違ったのか?
なんとなく、現代の無意味な物質の進化を凌駕する感覚を意識の中に得ていたのではないか?
それは超能力とかそういうモノではない。
確かな「感覚」
音楽が人の印象を変える。
絵画や写真でも人の世を変化させら得れる。
様々な感覚をさらに変化させられれば、違う文化、文明に変換できそうな。
それはモノの進化ではなく、感受性の進化。
日本人の得意技じゃあないのかな、等と感じてます。
何故なら自然の中にはまだまだ人知を超える未発見の何かが潜んでる気がします。
我々人類はまだまだ何も知らない。
それを知りたいといつも感じています。
日々、とことんだらけながら。
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