週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 高畑淳子の記者会見で思う事

2016年08月30日 23時16分38秒 | たわごと(少し硬派に振って)
ここ十年ぐらい前から存在を知った女優の高畑淳子。
早い話、舞台女優だったのかTVで活躍しだすまで知らなかった。
演技は上手いし面白いし、結構好きな女優さんであった。

今回の息子・高畑祐太の強姦致傷容疑での逮捕に伴い記者会見を開いた。
まず第一に犯罪の性質上、記者会見を開く必要があったのかとの思いがよぎる。
政治家が犯罪や犯罪の疑いのある時に求められる説明責任と今回は全く性格をいつにする。
国民や選挙民の信託を受けて公的な政治家たる職責に就いている訳では無い。
俳優と言う只の有名人であっても、国民&選挙民に対しての政治家の説明責任とはその性格は全く異なるのである。
道義的にも社会的にも記者会見する必要は全くないのである。
100歩譲ったとしても、警察から出来てきた時に記者等に思いや謝罪の弁を述べればよいのである。
説明を聴きたいのはTV番組ワイドショーの為の放送局とスポーツ紙と週刊誌など興味本位のネタとしてだけである。
被害者の事などコレポッチも配慮して居ないのかと思わざるおうえない。


強姦と言う性犯罪については、その被害者は犯罪に遭遇した人でなければ分からない程の肉体的・精神的被害を被るのである。
強姦致傷罪でなく強姦罪だけで有れば、親告罪として被害者が訴えなければ犯罪にすらならない日本の現状なのである。
性的犯罪被害者が訴えると二度三度と精神的な苦痛を味わう事になる恐れが有るのである。
その為に被害届を躊躇してしまう恐れが多大にあるのである。
一度目は被害に会い、二度目には捜査の段階で嫌な思いをし、三度目は公判の場での被害に遭遇する恐れがあるのである。
その為一人、心の中に仕舞い込み耐え忍び心の痛手と一生涯向き合わねばならない被害者が存在するのである。
日本の社会が被害者に対する思いやりがあり、その精神的被害から立ち直りを助ける世で有って欲しいと願う。
今回の記者会見はこの思いに真っ向から対立する考え方だと思うのである。
そっとしておいて欲しい被害者を公衆の面前に引きずりだしているのと同じである。
高畑淳子は言葉で被害者に謝罪しようが、四度目の仕打ちをしているのと同じなのである。
興味本位で被害女性の写真などネットに拡散して、嫌味な中傷も行われているかもしれない。

後で、記者会見を拝見すると、役者として悲劇の母親の役を演じている姿にしかみえなかった。
今回の根底に流れる姿は自己保身以外の何物でもないと感じだ。
多分、記者会見を見た大分の方とはその印象は大きく異なるかもしれない。
天邪鬼の自分の穿った見方でしょうか。
悲劇の親としての切なる思いを述べている姿は賞賛に値すると。
何と素晴らしい母親愛と。
ワイドショーの女性記者がネットで絶賛している記事を読んだ。
何を見ているのやらと頭の構造を疑いたくなる。
でも、これが日本の世論の現実なのかもしれない。
自分のような意見は少数派なのかもしれない。

私はその様には思わないので嫌味な記事としてアップした次第てある。
記者会見を開いたことも、記者会見で述べた事も全く賛同できない自分が存在している。

今回の事が性犯罪と言う特殊な犯罪でなければこれ程の怒りを覚える事が無かったかもしれない。

諸外国や州に依っては性犯罪者には釈放後に無線発信機を取り付けて、その所在を絶えず監視している所すらある。(人権無視しても犯罪を抑止しているのである。)
それ程、性癖の為に再犯率が高いと思われているのである。
高畑被疑者はその後どのような道を歩むのだろうか。


被害者が社会から魔女狩りの如くの被害に会わない事を願うばかりである
コメント (6)
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