24 黄釈天 Blog 「My Days」by Oldman(吉住)

コロナ予防接種0回、インフルも0回、30年間健康診断0回の後期高齢、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。

東明山興福寺と謎の果実 長崎の旅⑤

2019年06月15日 | 旅行

6月12日
また、快晴の朝が開けた。3日連続の青空で、空気はカラッとしている。昼は日差しが熱いほどだが、日陰は涼しいし、朝晩は快適で過ごしやすい。ハワイの気分だ。ベランダに出て湾を望むと、HSBCの旧長崎支店の背後に巨大なマンションのような客船が停泊している。昨日は、なかった。上海を経由してくる最大の客船だという。

ANAクラウングラバーヒルホテルの2日目の朝。と言っても、あとでチャックアウトするのだが、今朝は朝食付きを予約しているので、午前6時を待って2階のダイニングへ降りていった。先にフロントで、自宅に配送する小さな荷物を手続きしたのだが、ダイニングでは1番だった。

流石にANAホテル。ダイニングの座席はゆったりしているし、朝食バイキングは980円の佐野温泉昼食バイキングとは比べようもない豪華な雰囲気があった。2000円もするのだから仕方がない。もっとも、すぐに白米と味噌汁をお盆に乗せて、一口サイズの生の辛子明太子を3切れ、漬物や卵焼きに焼き魚の小さな切り身などを小皿に乗せていくのだから、ハムやベーコン、ウインナーなどの洋食系も様々なドレッシングを用意した野菜系やジュース類も見向きもしないので、結局、自分の皿の上とお腹には、佐野温泉の昼食バイキングより「貧相」な事になる。贅沢といえば、白米を少し追加し、明太子をもう一切れ、とってきたことぐらいだ。

学ぼうではないか、ボケ老人! 金沢のANAホテルで数えきれぬほど回数を重ねて、朝食バイキングに金を捨てている。ましてや、当時より胃袋も老化しているのだ。200円か300円で十分な朝食になるのだから、その10倍も金を捨てることはない。

部屋に戻ってうとうとしていると、ベランダ下の坂道から大勢の人たちのおしゃべりが延々と聞こえてくる。巨大客船から、無数の異国の観光客が流れのように続いている。

今日はカーネル氏が車を用意して、9時半に迎えにきてくれるという。ボルト氏は山の上の自宅からホテルが近いので、歩いて待ち合わせる。まだ少し、朝寝が出来そうだ。


東明山「興福寺」は、元和6年(1620年)に長崎在住の中国人によって創立された、国内最初の「黄檗禅宗」の唐寺。「おうばくぜんしゅう」という言葉さえ耳に新しい。


唐寺と言われれば、納得する。お寺の雰囲気が、日本のお寺とまるで違う。寺の内部も非常に質素で、第一安置されている仏様も違うのだが、仏教に違いはない。江戸幕府のキリスト教禁令が厳しく、長崎在住の中国人にも疑いがかかり、仏教徒であることを示すために建てられたという。
黄檗宗の開祖は隠元禅師。言わずと知れたインゲン豆を日本に持ち込んだ人。黄檗宗は日本の建築、彫刻、絵画、書、茶、料理に多大な影響を与えたという。確か、通称、紫陽花寺とも言われて親しまれているはず。


佐伯泰英の時代小説「交代寄合伊那衆異聞」のシリーズの中に、長崎が海に街にふんだんに出てくる場面がある。読み始めたらやめられない面白さのある娯楽本だが、長崎の歴史や地理を知る上では、これほどお気楽な読み物はない。そこに興福寺が出てきたと思う。せっかく買った文庫本シリーズだったが、整理してしまったので手元にない。残念。

私に与えた影響は甚大である。この興福寺の前の下り坂。あの謎の果樹が、いまだに不明で私の好奇心は深まるばかり。

3人は興福寺の前に、ちょっとだけ、私の要望で孔子廟を覗いたのだが、高い入館料を取られただけで、新しい陶器の中国偉人の人形はなかった。「福星人」という名前の人形一つ、名前に興味を覚えて買って、カーネル氏の車の中に放り込み、早々に孔子廟を出た。中国人が大量に観光にやってくる長崎で、中国土産を大量に並べていても、売れるはずもない。日本の土産だって、中国製という時代だ。

3人は出島ワーフに出向いて、昼食を取ることにした。「トルコライス」? 初めて耳にする言葉だが、昔のレストランの洋食の余り物を寄せ集めたようなごった混ぜライスのことで、「ちゃんぽん(混ぜること)」の好きな長崎人メニューだ。ハイセンスで口の肥えた北陸人に流行ることはないだろう(ほほほ)。

馬鹿話をしている間に、14時55分発のフライト時間が刻々と迫ってくる。長崎市内から大村湾の長崎空港まで、車で小一時間、最低でも40分はかかる。搭乗手続きや空港での土産を考えると、1時半までには長崎の街を後にしなければならない。昼食後、カーネル氏の一人暮らしの自宅マンションに寄って、私たちは空港に向かった。

勝手に仏壇を解体して燃やしてしまうような人間だから、飛行機でも落ちて、今生の別れになるかもしれないと思ったのだろうか、二人は、土産売り場から出発ゲートまで見送ってくれた。

ありがとう。まるで3人で旅行していたほど、付き合ってくれたのだ。おかげで、私はめちゃくちゃ楽しく、気楽に過ごすことができた。ありがとう、また、会う日まで。
ANAの784便、後部座席で手足を伸ばして、あっという間に私は長崎を後にした。


沈黙と温泉と牡蠣 長崎の旅④+α

2019年06月14日 | 旅行
6月11日
夕食を終えたら、ぶらぶら出島方向に歩いて、例の美女バリスタのいる珈琲店に向かう。


長崎の夜も今夜でおしまい。十二分に満足した、いい思い出になりそうな満71歳の誕生日の過ごし方だった。自分の人生で、誕生日を丸一日、特別に過ごした記憶は皆無だ。多分、何もしなかったに違いない。
それとも、20代の頃、何かあっただろうか? 記憶は無いのだから、無いに違いない。

明日は、もう、田舎の北陸に戻る。「ずーっと、そっちにいればいいのに。」「金、送ってくれ!」「働けば?」なあに、悪たれ口を叩く異教徒の元に戻りたいわけではない。人には天の定めに応じて、住むべき場所がある。旅は戻る場所があってこそ、旅なのだ。戻る場所のない人間に「旅」はない。

美女のバリスタさん、ありがとう。今夜も老人の無駄なおしゃべりに気軽に応対してくれて、感謝する。元気で自分の目的に向かって頑張って。夜の海風が、実に気持ちいい。

沈黙と温泉と牡蠣 長崎の旅④

2019年06月14日 | 旅行
6月11日
長崎市内から、目の前の湾の対岸に渡り、国道202号線を海沿いに30キロほど北西に向かうと、そこは外海地区。目的の遠藤周作文学館は出津文化村内の施設の一つとして、素晴らしい海の眺望が広がる断崖のような海岸線に建てられている。
別に遠藤周作は長崎出身でも、ましてや出津村の出身者というわけでもないのだが、カトリック教徒の著名な文学者で、著作も多く、近年は特に43歳の時に書き下ろした「沈黙」が映画化されて、世界の注目を集めた。平成8年の73歳でこの世を去って、平成12年に長崎市は文学館を建てているから、多分、熱心な文化畑の役人か推薦者がいて、予算をつけたのだろう。遠藤周作が、神様が私のために残しておいてくれた場所だと語って、長崎を、そして出津村を舞台に「沈黙」を書き上げた。その縁で文学館の建設になったに違いない。

外海地区は東シナ海に面して海流も風も直接受ける険しい海岸線を持ち、漁業も容易ではなく、平地が少なくて農業も難しい貧しい寒村地域。そこに文化村を作ったのは、やはり、隠れキリシタン集落に拠点を置いたフランスからの宣教師、ド・ロ神父の功績が大きい。彼が私財を投げ打って作った数々の施設を、村か長崎市か知らないが、「出津救助院」と名付けている。「救助」という言葉がわたしゃ気に入らんねえ。施設を色々見学した限り、彼は貧困な集落の人々に自助努力、自立の道を示して、教育や生産設備を作り上げ、その指導と布教に、一生をその集落で過ごしたのだ。多分フランス語の直訳だろうけれど、「救助」というのは、意味を取り違えた誤訳だと思う。貧しさから救う救助施設と考えているのだろうか? 村人は豊かになったのだろうか? 文化村作りを現代の観光目玉にしようとするより、神父の意思を尊重して、最先端技術の生産設備かレーダー基地でも作った方がいいかもしれない。

と、まあ、自分勝手な講釈はこれくらいにして、道の駅で、アンの入った「かんころ餅」を私が買って、そうとは知らずに、3人が手づかみでこれを食べたのが、なんと、本日の昼食になってしまったのだ。
というのも、文学館から近い場所で、美味しい海鮮料理などを安く食べさせてくれる海沿いのレストランを目指したら、「本日休業」の札が下がっている。なにせ、昔の寒村地区、あちこちにドライブインや飲食店があるわけではない。辺鄙な田舎なので、すっかりアテが狂ってしまった。

そこで、死ぬわけでもあるまいと昼食を無視して、文化村の神父の作った施設をあちこちと見学し、長崎市内方向に戻って、途中で左折、本日第二の目的地は西彼杵郡の長崎温泉。温泉といっても、名称こそ長崎を代表するような名前だが、佐野温泉同様に、高い天井までも丸太で組み上げたログハウス作りの「喜道庵」という施設が一つの温泉で、1300mまで掘り進んで掘り当てた。温泉で一山当てようと目論んだ山師が堀ったに違いない。
特色は、露天風呂から釣りができるほど大村湾の海に面した良好な立地と、透明だが、入った途端に肌がぬるぬるするほどの濃厚なナトリウム泉。そして、一人1550円という立派な値段。午後の明るい時間帯のせいか、長崎市から15、6キロほども離れた田舎のせいか、値段が高いせいか、閑散とした施設の大きな風呂は、3人の専用みたいなもので、実にのんびり手足を伸ばして、大村湾の青い海と快晴の青い空を眺めて、時を、いや、少なくなりつつある残り人生の、貴重な時間を、空腹を忘れてゆったり過ごすことができた。山師のおかげだ。

歩きすぎて、足が痛いと嘆いていたカーネル氏も湯上りの牛乳を飲んで元気回復。私はゆで卵一個とヤクルト2本。ボルト氏のカカトも多少は痛みが緩んだかもしれない。浴衣を貸してくれるのだが、使うことなく衣服を着替えて、海沿いのデッキでタバコを一本飲んでから、夕食の焼き牡蠣を目指して、諫早市を通り抜けて、長崎の街に戻った。
焼き牡蠣8個に、生の濃厚な岩牡蠣2個をペロリと一人で平らげ、馬刺しを堪能し、ジンギスカンまで少々手を出したが、塩むすび一個を全部食べられないほど、お腹が膨れてしまった。

カーネル氏はジンギスカンを食べ、痛風のボルト氏は「焼き奉行」で世話をしてくれて、ビールを飲むだけで、あまり食べなかった。痛風が発症すると、本人しかわからない痛みに苦しむことを知っているのだ。このところ、飲み食いが続いている。痩せるはずだが、まあ、食べるのは、私に任せなさい!

沈黙と温泉と牡蠣 長崎の旅③

2019年06月14日 | 旅行
6月11日
2日目の朝。ANAクラウングラバーヒルの5階のツインの部屋から、小さなベランダに出て、朝の一服を吸っていると、手を伸ばせば届きそうな目の下の坂道を小学生が登っていく。私を見つけた子供が、なぜか手を振るので、私も「おはよう」と手を振って答えると、その友達も一緒に見上げて、手を振りながら、建物の陰に消えていった。

昨夜は、午後9時半ごろに戻って、初めて部屋に入った。チェックインはしたのだが、小さなリュックを預けて、すぐに友人の待つ車で出かけてしまった。1泊は航空券に付いている、朝食なしの宿泊。明日の一泊は「じゃらん」を通じて、朝食付きで予約を入れておいたので、二日間とも同じ部屋(喫煙可)にして欲しい、と依頼するだけのチャックイン。ともに、シングルの予約だが、ホテル側の機嫌が良かったのか、ツインのシングルユースに「グレードアップ」させていただきます、と言う。

「好意」はありがたく受け入れる。まあ、ツインといっても、広さはバブル時代の最低限。しかし、家具の一部はくたびれていたが、設備やサニタリーの備品類は、ビジネスの数段上をいく。ANAのメンツだろう。まあ、そんなことは、むさくるしいジジイになれば、ある意味でどうでもいい。快適であれば、文句なし。どっちみち、風呂を使っても、タオルは一本しか使わないし、コップも一つ。部屋着もサービスのインスタント飲料も飲まない。電気ポットでお湯を沸かして、持参したブルックスコーヒーを飲むので、コーヒーカップが一つあれば、重宝する。灰皿、ゴミ箱、ミニ冷蔵庫に昨晩買ったペットボトルの水。朝起きて、洗面後にごくごく水を飲む時、冷たい方がいい。夜更かししないし、寝酒も飲まない。部屋が汚れようがない。

コンビニで買った、ミニサンドイッチをコーヒーと一緒につまんで、朝食終了。体調良好。マン71歳の誕生日の朝を旅先の長崎で気持ちよく迎えることができて、「ハッピー」だとしか、言いようがないではないか!

満百才まで元気で生きた両親を二人同時に見送って、葬儀も忌明けも無事終えたし、仏壇も位牌も新しくした。あとは、お墓が出来るのを待つだけ。能無し3代目が、それなりに一応の区切りをつけた。十分だ。世間並みには十分ではないが、私には出来る限りだから、十分。もっとも、母親のおかげだが、それはまあ、内緒でいいだろう。

さて、今夕は「焼き牡蠣」を食べさせてくれると、痛風の友人ボルトが言う。自分は食べたくても、食べられない。痛風だから。その分は私が代行するしかあるまい。カーネル氏は一度牡蠣に当たって、牡蠣嫌いとか。もちろん、その分も私がいただくことになるのだから、これ以上のチャンスは、そうあるもんじゃない。全く、なんて素晴らしい計画だろう!

季節によって、佐世保あたりの海外沿いに「牡蠣小屋」が出て、とれたてを食べさせてくれるらしいので、「牡蠣」が食べたい、と私が言い出して、それがきっかけになって今回の旅行となった。元の元は、「牡蠣」なのだが、季節柄、シーズンオフなので、街中の店で、焼いて食べさせてくれるところを見つけ、奥さんを連れて、下見したらしい。これならいいだろうと、予約をしてくれている。

しかし、夕方までには時間がある。その前に、半島先の隠れキリシタン集落地まで出かけて、遠藤周作記念館を見学すると言う。ボルト氏は教養人なのだ。長崎の町や歴史に詳しいし、興味も旺盛。私のような「食欲」だけで生きているのではない。

さあ、9時になると、ボルト氏が車で迎えに来て、カーネル氏を積み込んで、ドライブに出かける。とりあえず、「沈黙」の前に、トイレに行くとしよう。



美女バリスタ 長崎の旅②

2019年06月13日 | 旅行
6月10日
福井から新大阪までは約2時間。私のANA783便は13時ちょうど発。サンダーバードのグリーンのシングル席を少し後ろに倒して、で、広い窓から灰色の空を眺めながら考えた。10時に福井を出たのだから、12時に新大阪。伊丹までは、リムジンバスで約25分の距離。

問題はリムジンバスの発着時間だけのことだから、十分間に合う時間じゃない? 新大阪駅構内で、田舎じじいがモタモタして、タイミングが悪ければ、ギリギリかもしれないが、それでもなんとかなりそうじゃない? タクシーで走ったら、空港で30分ほど時間がある。

サンダーバードは予定通り、12時10分に新大阪に着いた。私はタクシーで行くことにした。リムジンバスの10倍払っても、時間に余裕のある方がいい。ANAの受付も、保安検査もスムーズに運んで、問題なく私は機上の人になった。


証拠写真は嘘つかない。1時2分には大阪の上空にいた。飛行機に乗るのさえ、何万年ぶりだろう? いや、ほんと、最後を思い出せない。多分海外だと思うけれども、多分、十年以上前だと思うけれども、思い出せないのだから、どうしようもない。などと、お茶いっぱい飲んでいる間に、30分ほどで、飛行機は降下を始めた。ANAのおねーちゃん達は、まるで昭和時代の東北の中学生のようだ。新人なのだろうか?などと考えている間に、長崎に着いてしまった!

機内手荷物しか持たない私は、すぐに出口に向かうと、そこには、頭が白くなり、すっかり痩せて、夏用のブレザーが妙に似合う、ひょろりと背の高い友人が待っていてくれた。久しぶりの再会。
彼の車で、長崎の街中に向かって、もう一人の友人の待つ、彼の会社に向かう。

長崎は快晴で、空は青く、空気は乾いている。観光リゾート地にやってきた感じが強い。何と言っても、国内、海外共に観光客がおとづれる数も、行きたいという場所も、長崎が一番なのだ。
まるで、街中に巨大なホテルが突然姿を現われたような、びっくりするような大きな客船で、3000人、4000人が海外からやってくる。オランダ坂の目の前の海に突然現れる。

グラバー邸の背後の小高い山の上(鍋冠山展望台)。抜群の立地の展望台から、長崎の町と入江の全てが見下ろせる。ただし、この場所への道は細く、未整備なので、まだまだ認知度が低いらしい。

長崎の友人のカーネルが、もう一人の友人のアイアン・ボルトの解説を受けている。カーネル氏は、今年の2月に妻と愛猫を亡くし、ボルト氏は昨年秋の台風時に自宅外壁修理中に突風に煽られて、4m下の隣地の屋根に落ちて、踵を部分を骨折し、3ヶ月の入院を余儀なくされた。手術で、いまだに細い金属ボルトが2本、踵部分に埋め込まれていて、歩くたびに足が痛むので、ビッコを引くのだ。

長期入院の病院食と痛風の病気持ちの節制のせいで、スッキリと体重が落ちて、今度台風に煽られたら、ロープで結んでおかないと、長崎湾まで吹き飛ぶことだろう。あ、いや、二人を結んでおけば、片方は重しになるから、大丈夫か? 

「吉住さん、昼は食べていないんじゃない?」
確かに、飛行機に乗るのに集中していて、全くお昼の食事のことは忘れていた。旅する老人は、一食や二食、食べない方が体調にいい。飲まない、食べないは、美味しいものを食べるための「コツ」ではないだろうか? 池波正太郎でさえ、夕食を楽しむためには、昼を抜く。


ようやく、カーネル氏の案内とゴチで、キリンラガー赤ラベルと鯨の刺身盛り合わせに「鯨しゃぶしゃぶ」にありついた。まあ、美味しいのなんの!なにせ、身体が求めている。鯨の一頭や二頭、丸かじりの気分。鯨の肉は美味しい。私の口に合う。心と器が大きくなる(気がする)。

長崎港(フィッシャマンズ)ワーフで、目の前の海風を肌に心地よく浴びながら、美少女バリスタの立てた美味しいコーヒーのウンチクを耳に心地よく聞き流すカーネル氏。言語はエルサルバトル?


小顔で、佐々木希系の美女バリスターは、地元テレビで紹介されたらしい。20代前半だろうか? おじさんたちを相手に、嫌がらずに気持ちよく対応してくれる。閉店間際で、お客が少なかったせいもあるけれど、立派なサービス業精神だ。

どっちにしても、このエリアは私のおすすめスポット。朝もいいし、昼も夜も悪くない。


結局、福井駅での1時間の列車遅れは、近年、旅慣れていない自分に「老化」を考慮した、余裕時間で処理できて、逆にスムースな時間配分で目的地に到着できることになった。何が幸いするかわからない。しかも、その結果の空腹さえも、食事を美味しくし、体調に寄与して、少しも疲れを感じない。ANAクラウングラバーヒルホテルでは、初日は航空券付き宿泊。2泊目はじゃらんでネット予約したせいか、ツインのシングルユースというグレードアップ扱い。小さなバルコニーから目の前がオランダ坂。横を見れば、巨大客船が停泊する港。快適、快適。

船がない時。正面の建物は旧香港上海銀行長崎支店(国指定、重要文化財)











美女バリスタ 長崎の旅①

2019年06月13日 | 旅行
6月10日(月曜日)
曇り空ながら、雨は降っていない。新しい福井駅の前でワイフの車から降りて、勢いよく駅の構内へ。つい最近、福井駅も自動改札になった。いくら時代遅れの北陸の田舎町だと言っても、いつまでも、駅員が改札口で切符を切っているわけではない。文明開化はやってくる。駅前は恐竜が遊ぶ古代だが、構内にはコンビニだってあるのだ。

午前8時45分。サンダーバード12号は福井駅発9時5分。十分、時間はある。念の為に、改札口上部の電光掲示板で確認をと眺めると、「遅延」? 25分の遅延? そう言えば、改札口の手前で、何人かの若い駅員が立って、その周りに乗客が集まっている。その1本前のサンダーバード10号が石川県内の駅で人との接触事故があって(飛び込み自殺か?)運行取りやめ? 

おいおい、こりゃまた、弱ったぞ。新大阪から伊丹空港、そして飛行機の時間があるのだ。でもまあ、30分程度なら、なんとか間に合うだろう。ちょっと、お茶でも飲むか。

20分ほど構内の喫茶店で、落ち着かない気分で時間つぶし。で、また改札口にやってくると、もう一段、バタバタしている。掲示板は、「45分の遅れ」に変わっている。あちゃ! こりゃ、アキマヘン。待合のベンチの空きを見つけて座り込み、カバンから飛行機の予約プリントアウトを取り出して、電話番号を探そうとするが、見つけた文章は、便の変更は出来ない、というもの。

そういうことか! 格安「旅作」は変更できないのだ! 間に合わなきゃ、飛行機もホテルも金も捨てるしかない。ま、いいか。兎に角、遅くなってもいいから、伊丹空港まで行くぞ!と腹を決めた。立ち上がって、改札口の電光掲示板を見ると、「約1時間の遅れ」に変更。ゲゲゲ! しかし、まあ、どうでもいい。好きにしろ!

ホームに出て、待つことにした。10時7分。サンダーバード12号は福井駅に滑り込んできた。10時8分。1時間3分遅れで、私の旅は、ようやくスタートした。

私のグリーンの予約席(ジパングの会員だから、3割引)のある12号は運行しているが、一本前の10号は運行停止したから、予約のあったお客は、基本解約で、新たに12号に乗り移る。また、一本後ろで運行している14号からも、少しでも遅れを回避しようと移動してくるお客が、自由席や予約席に溢れていた。

しかし、元々の12号の予約席は動かない。しかも、グリーンはガラガラに空いていた。1時間も遅れた電車に、行き場のない不満が心に渦巻いている。今更、高い金まで出して、グリーンに移ろうなどと考える人はいないのだろう。

さあ、私のANAの飛行機とANAホテルは、どうなっちゃうの? 

カメラ持参

2018年08月03日 | 旅行
明日は、早朝4時30分ごろ起きて、5時30分ごろには、悪友が迎えに来てくれる。で、6時集合で、一台の小型バスで6時30分には福井を出発。「ふくしん会 夏の遠征ゴルフ」に参加。
まず、大野に向かい、それから県境を超えて岐阜県に向かう。

真名川ダムの奥、福井県で一番の豪雪地帯(今年は4m)を通り、昔は県境のトンネルを抜けてつづら折れの油坂峠を降ったが、今は新しい道が走っているはず。

岐阜県高鷲郡方面に行く。どうか、灼熱地獄ではありませんように。

カメラを持参しよう。ゴルフのスコアのことなど、考えるだけ無駄。遊べりゃいいのだ。

で、携帯投稿が出来ないので(DMMでは無理)ブログは一日お休み。

砺波のチューリップ

2018年04月29日 | 旅行
一度は、富山県の砺波地方のチューリップ畑を見ておくといいらしい。その広大さに驚くらしい。ただ、広い敷地を歩くばかりで、「疲れる!」と「2度はゴメンだ」と敬遠する向きも多い。

福井にも、佐野温泉に行く途中に億単位でコスモスが花ひらく広大な場所がある。いずれも、そのスケール感に圧倒されるのだが、花の美しさは「量」ではない。侘び寂びの日本の美学は一輪の花を愛でる。

美を愛でるには高度に研ぎ澄まされた感性と頭脳を必要とする。だから、美学には政治に匹敵する力がある。量で見せるのは、ただの原始的な感性を刺激している分野で底は浅い。その証拠は、どれほど素晴らしい景色や風景を眺めて感動したと思っても、あっという間に忘れて、記憶の隅に追いやられてしまう。

それに比べて、大変だったことや嫌なことは、何度でも繰り返し思い出すのだから、「美しい景色」などは太刀打ちできない。人の感性も脳も、困ったことに不思議にできている。でも、一度は行って見たいことに変わりはない。

知事公舎の隣の空き地

2016年05月19日 | 旅行
な、なんだ、モネの絵のような、この写真は? シャープの携帯カメラのズームを少々かけたら、あっという間にこの程度のピント合わせしか、出来ないというわけだ。

南警察署からママチャリで事務所に戻る途中。午後からアパマン連絡協議会の総会に参加した。20名ほどの不動産屋が集まったが、勿論、ママチャリで、ジーンズにTシャツ一枚で来るような「たわけ」は、私一人。私より高齢者が、数名いるけれど、びしっとしたスーツに、それなりの高級車を警察敷地内の駐車場のパトカーの横に止めている。

犯罪者によくあるパターンだ、などと言うつもりは、けっしてはな~い!