W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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これからのビル 「ハートビル知らずしらずに入ってた」

2005年12月21日 | TOWN
 WAKIがウオーキングを兼ねてときどき行く大型ショッピングセンター、ここの入口に小さなペナントが貼ってある、つまりこのビルはハートビルである、そこで調べてみて認識を新らたにすることができた。これは平成15年4月1日に改正施行された高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(ハートビル法)に由来している、
この法律では、①病院、診療所 ②劇場、映画館、演芸場、スタジアム ③集会場、公会堂 ④展示場 ⑤百貨店、マーケット、物品販売店 ⑥ホテル、旅館 ⑦老人福祉センター、児童厚生施設、身体障害者福祉センター ⑧体育館、プール、ボーリング場、遊技場 ⑨博物館、美術館、図書館 ⑩公衆浴場 ⑪飲食店 ⑫理美容店、クリーニング取次店、銀行等サービス業店舗 ⑬鉄道、バス、客船、旅客機等のターミナル施設 ⑭一般駐車場 ⑮公衆便所 ⑯郵便局、保健所、税務署等の公益施設など不特定かつ多数の人の利用する建築物の建築主は、 建物の出入口、 廊下、 階段、トイレなどを高齢者や身体障害者等の方々が安心して気持ちよく利用できるようにするように努めなければならないとされています。 ( たとえば、 段差のない出入口や自動ドア、 誘導用の床材の設置、 幅の広い廊下、 ゆったりとした勾配の階段、 手すり、 障害者用の便所や駐車場、 及びスロープなどを設置することなど。 )そういう目でみればなるほどと納得がいく。この間閉店した近くの大型スーパーはエスカレータは上りだけ、レジの間隔は狭いまま、エレベーターもない、駐車場は有料、まず車椅子では入れない。これではお客様は敬遠する。ビルにはハートがほしいね。WAKIたちもいつ車椅子のお世話になるか知れない。
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古きよき友よ 「同窓の語りし友が先に逝く」

2005年12月20日 | 出来事
 高校で同級の親友Sさん、家も近所で家族ぐるみのお付き合いであった、彼が亡くなったと聞いて一瞬自分の耳を疑った。思えば高校も彼は苦学をして社会人となったWAKIはS社へ、彼はO社を経てM社へ、労働組合の仕事も経験してお互い幅広い接点があって音楽も嗜んだ、在職中も縁があって彼を窓口にM社の製品をS社が購入して使うこともあった、リタイア後の仕事も共通の話題があって互いに助け合った、ほんの3ヶ月ほど前に、一緒に喫茶店で家内ともども4人で喋ったそれが最後になってしまった、きょうは彼の告別式、天国へ行く彼の冥福を祈ろう。ブログは一応日記だから、こんな悲しいことも取り上げないといけないがこれも止むを得ない、お許しねがいたい。合掌

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ケヤキの枯れかた異常 「並木道戸惑いながら葉が落ちる」

2005年12月19日 | 環境
きのうの新聞のコラムは今年の各地のケヤキの枯れ方が少し例年と違うのではないかと報じていた、ご当地のケヤキを含め、色づきが例年と違うことには気がついていたがこのところの寒さと風で大半が落葉したが現在の状況はごらんのとおりである。けっこうしぶとく残っている葉もおおい、地球の温暖化と結び付けたくはないが、WAKIのトンボとしては由々しき事態でもあり、今後の専門家の解明を待ちたい。

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ことしの神戸ルミナリエ 「鎮魂の灯かりは人を勇気付け」

2005年12月18日 | TOWN
WAKIたちは数年ぶりに神戸ルミナリエに行ってきた、JR元町駅で降りて南京町で軽く食事をしてから、会場に向かったこの前は点灯に合わせて行ったものだから相当の混雑であったが、今回はゆったりと観賞できた。毎回趣向を凝らしたデザインだがメイン広場はドーム状の立体的な光の堂が印象的であった。写真撮影は結構むつかしい、適正露出でも光がだんごになってしまって重なったりする、少し露出不足気味のほうがきれいに写る。そして、光に囲まれて立っているとなんか暖かいし気持ちも暖かくなってしまう。
帰りは三宮に向かって人々のあとを付いていくと何と神戸市役所へ、エレベーターが24階へと運んでくれる。上からのルミナリエの会場はご覧のとおり。神戸市の粋な計らいに感激。
「上から見たらきれいやろうなと」二人で言ってた願いが叶った。
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期待の絵画展 「近代の巨匠の絵画一堂に」

2005年12月17日 | TOWN
モスクワのプーシキン美術館にはゴッホ・セザンヌ・ルノワール・ゴーギャンそれにマチィスやピカソの作品がわんさと所蔵されているという。それは19世紀末から20世紀の初頭、シチューキンとモロゾフという二人の実業家が集めたコレクションだそうだ。この中の優れた50点が来年1月~4月にかけて日本にやってくる。大阪中之島国立國際美術館でその絵画展が開催される。
先刻「WAKIのトンボの目は」大阪ナンバウオークの「シカゴ美術館」を紹介した、そこにはフランス近代絵画を中心にした代表作がたくさんあった。今回のこの絵画展はこの内容とほぼ時代的に一致する。できればこの絵画展に出掛ける前にぜひシカゴ美術館も見られることをお勧めする。
WAKIのフォトアルバム「シカゴ美術館」のURLは
http://photo.www.infoseek.co.jp/AlbumPage.asp?un=106999&key=1450058&m=0  です。

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減量作戦(1)食事 「減量は慣れてしまえば身が軽い」

2005年12月16日 | 出来事
 いつものかかりつけの近所のお医者さんからこのままでは生活習慣病予備軍ですよといわれてしまったのが10月、以来WAKIは先輩格のSさんの実行された体験などを参考に、11月からまずは体重を減らそうと取り組みを開始した。そして買ってきたのが「糖尿病を改善する7日間のレシピ」「高血圧の人の朝昼夕献立カレンダー」「糖尿病おいしい献立3週間」など、まず本屋さんへ行ってこの手の本がわんさとあるのには驚いた、実行に当たってはWAKI一人では無理だ、幸い本人がやり通すならやってもいいよとかみさんがいってくれたので始めることにした、さて、その献立の一回のエネルギーは450~600kcal 塩分が3g程度、といえば白いご飯の場合は110gだ、でも野菜たっぷり色とりどりだ、きのこや人参などそれに醤油や砂糖のかわりの他の調味料やレモンをふんだんに使う、もちろん牛乳も低脂肪で味もそっけもない、そうしていただくと少ないものだからしっかりと時間を掛けて噛む、おかずもはじめは水臭くて味気なく感じたが今では逆に外で食べる食事の辛さがひどいと思うようになった、食べ物の素材の味が大変良くわかるようになった。よくこれで動けるのと思うよなときもあったがはっきり言えば一日中いつも空腹、でも不思議なことに、身体の動きも軽い。体重や血圧の変化は毎日記録をとるようにしているが果たして結果やいかに。次回はウオーキングをとりあげたい。

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ナンキンハゼの実 「カラスたち沢山食べて冬仕度」

2005年12月15日 | 自然
この頃は地球温暖化というのに第一級の寒気団が南下、木枯らしが吹いて外に出るのも億劫。歩道のナンキンハゼの木もあの色とりどりの木の葉を落としてすっかり冬仕度、そして枝に残った白いしょうちゃん豆のような小さな実を鳩やカラスが好んで食べている。この木ももうほとんど実が無くなってしまった、余程鳥たちにとっておいしいのだろう、あんなの硬い実がどうして鳥の胃の中で消化されるのか不思議だ、木の下の歩道は食べかすの実がいっぱい落ちている。これで雪でもふればからすたちはどうして食べ物を確保するのだろうか。厳しい冬がやってくる。


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それぞれの夕日 「子供たち大人も一緒燃えていた」

2005年12月14日 | 出来事
 いま話題の映画「三丁目の夕日」娘の薦めもあったのとAさんとSさんとHさんが良かったと感想を述べおられたので、二人でとことこと見に行った、上映館は高槻の劇場、東京タワーが建設時と言えば昭和33年(1958年)だ、集団就職の少年少女たちが大挙して東京へやってくるところから話が始まる。ちょうど団塊の世代の人たちが働き出したころの話だ、映画は東京タワーがどんどん上に伸びながら進行する。WAKIの子供時代とオーバーラップして懐かしい、当時はこの映画に出てくるような話題はわんさとあった、この映画ではダイハツミゼットが大活躍する。もう、すべてがWAKIの頭のなかでレトロ調になってしまっている。そして不思議とみんなが貧しい中にも未来が見えてくる、そしてWAKIは大いに涙をもらった。帰りも半分歩いて帰ったが1万3千歩、冷たい風が心地よかった、途中観覧車の後に冬の早い夕日が沈んでいった。

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成田山不動尊 「やっとこさ水府の句碑を探しあて」

2005年12月13日 | TOWN
 WAKIの家からそう遠くないところに成田山不動尊がある、新車を購入した人たちが御祓いを受けて御札をいただく厄除けで有名なお寺、おかげで新年や年越しにはかなり交通が渋滞する。このお寺に川柳の大家岸本水府さんの句碑があると聞いたのでウオーキングを兼ねて行ってきた、寺務所で水府さんの句碑があると聞いたのですがと若い僧に尋ねたがわからず、奥から少し年配の人が出てきた、そう、外へ出てぐるっと廻ればあると思いますと言った。そのとおり行ったがそれはなくまた半周して裏門からはいり直したが、なんと本殿前鐘楼横の大きな笑魂塚に沿うように立っていた。それはまぎれもなく水府さんの句碑で「ハリキリの大阪弁が立てた旗」と刻まれてあった。水府さんは戦時中も川柳の灯を守り続けた人でグリコ宣伝部にもつとめ今風に言えばコピーライターであった、本格川柳をかかげ大正8年番傘川柳社を創設した。WAKIの伯父は現在90歳になるが水府はん知ってるよと言っていた。笑魂塚は関西の物故の演芸人や関係者の業績を称え合祀してある塚である。したがって、節分の豆まきには関西の芸能人が大勢来て賑わう。この川柳が作られた背景などはまたしらべてみよう。
  
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年末の催し「ドイツ語の歌詞がもつれて歌えない」

2005年12月12日 | TOWN
 近くの市民センターで「お客様のいない歌声コンサート」という催しがあって2人で行って来た。お客様はいないどころか満員の盛況だ、みんな知ってる歌をピアノの伴奏で歌うのだがこのあいだになんとベートーベンの交響曲第九番・歓喜の歌の合唱のおもなフレーズを原語で指導を受けて歌うのである。発声練習もあって ダイ ネー ツァオ バァ  ビーンデーン ヴィーダァ といった具合だ、先生は村上怜子さん、ピアノ伴奏は岩崎光さん、女性合唱は「麦笛」の皆さん。因みにみんなで歌ったのが13曲、合唱発表が3曲、みんなが歌ったのでお客様のいないコンサートであった。

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