城郭 長谷川博美 基本記録

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北陸東海近畿城の話題!長浜伊香郡、米原坂田郡、彦根犬上郡の城の話題!

2021-04-06 12:49:40 | 城址見学会予定 
城郭ビイスタ論クリックする。

◆対談者
長谷川先生の城郭図面を神の領域と
表現した有名な大先生もおられると
か?『滋賀県中世城郭分布調査』の
図面見て「縄張りの魔術師」と異名
を取る人とか?長谷川図と言う言葉
もこの世界あると聞います。一般人
が、思っている以上に学術評価が非
常に高いと昔から聞き及んでいます。

◆長谷川
大仰、大袈裟な過大評価は謹んで下
さい。私はただ中世城郭遺跡を純粋
な心であるがままに記録する人。
単純な基本作業の連続とその延長線
にある基本の人です。ローマは一日
にして成らず基本の繰返しで。

◆対談者
こんな図面描ける人って、そうそう日本
国中をさがしても存在しませんよ!日本
屈指の縄張図の研究家だと言われる元大
学院教授の生の声を聞いて驚嘆しました。
いやこの図面のディーテルの細かさ繊細さ
隠れた日本一の縄張図を描ける貴重な研究
家ですよ。


▲滋賀県米原市磯山城の
二重堀切や竪堀図「長谷川博美図」
◆対談者
伊勢宮山城図に彩色してみましたが本当に長谷川
先生の図面で城郭縄張学習基礎が身に付いて来た。


◆対談者
昔城址見学に行って長谷川先生は城址をもう一度
逆に何百メートルも逆向き歩きに、たった1名様の
為に城址解説を熱心にされました。本当に活き活
きした手振り身振りで現地遺跡を必死に解説する
姿に研究家や学者の本質と生真面目さ感じました。
またある講演会に行ったら大多数が集合されてい
る様子を見て招かれた別の講師や聴講客が満面の
笑みを浮かべて70人100人200人300人集合させた
と会話されている姿を見て私の性格や本質からは
違和感と幻滅を覚えた。ある時100人超える城跡
見学会があり長谷川先生が講師担当だった、控え
室にお邪魔して先生!今日の見学会大成功ですね
と祝辞の挨拶をしましたところ長谷川先生は部屋
の片隅でタオルに顔にかぶせ泣いておられました。
今日の現地見学会には一名も城を学ぶ人に遭遇す
る事も一名も城の本質を会得出来開眼した人が全
く無かつた。今日の見学会は僕にとり全く無意味
で失敗の見学会だ不本意で情けない結末だと言わ
れて仰天しました。長谷川先生にとり、一体何が
成功なのか?100人参加して本当に盛会だったのに
講師が全く幻滅した顔色で暗く沈む異様な現実に
驚いた。ある日城址見学会を計画し50人はおろか
か5人しか集合されなくて私は沈痛な心持だった
のに長谷川先生は今日の学習会は参加者様の5名
様が必死に城址を学ばれる姿勢に接した、納得を
され満足され今日の城郭学習会は有益成功でした!
と喜色満面で会心の笑顔をされたのを見て、仰天
したんです!益とは何ぞや経済利益か?学益かと?
人を集める事の目的の意義や本義や学門や学術や
研究や学習取組への本質や価値観が根底から先生
は違うと認識した。私は楽よりも、学を採りたい!
安易で楽しいのではなく学びて愉しい「たのしい」
を強く希望する城跡を真剣見学したい人なのです!


◆長谷川
孔子の『論語』にある言葉

学びて思わざれば則ち罔し

義を見てせざるは勇無きなり

でしょうか?学門する厳しさ
と現実社会の差は厳しいです

◆対談者
この投稿の要点や提要とも言える主題は何です?

◆長谷川
城郭遺跡を調査し実際に実体験する城郭の部位
や主流は「犬走」の多様性や現実性と言えます。
何だかんだと言っても必ず城址や陣城や城郭に
は土木建設の根幹とも言える犬走が必至必須の
如く、存在現存して私は此れを何千回万毎回も
計測しています。ここに紹介します数々の犬走
と実際の多様な様式を是非山城を見学される人
は参考にし城を学ぶ人は基本を知るべきです。
驚くべき城郭認識主観の違いが時に発生する事
もあります。犬走見るべからず、犬走計測する
べからず、と言う見解を示される場合もあるの
です。城郭遺跡の根底をなす犬走を図面から消し
削り落とす行為をされる方も現実にはおられる。
まして城郭初心者様が最初の第一歩で犬走遺構
を見なくてよい。計測しなくてよいと、教導さ
れ指導されたら城郭の城址見学する全ての人が
犬走を認識する事なく一生を終えられる事例は
発生しているのです。犬走どころか土塁も全く
見ない城郭講演愛好家もおられ困惑致します。
土塁は野球の一塁ベースと同じ基本見て踏む。
ベースに直接手を触れる足を触れる事が基本。




◆長谷川
以上の城郭犬走の観察や竪堀の観察の仕方つまりは
城郭観察の基本が出来ている人々は東近江能登川の
佐生城の様子もこんな状況で観察できるのですよ。

◆反論者そんなバカな事があるか?全く違う図面だ!

◆長谷川
そりや犬走を一段づつ計測する基本習慣や指導を受け
てないと千年万年同じハイキング客様と同レベルです。
学び始めの基礎から徐々に進歩進化する気があります?
ある人は言われました。私の基礎は本当の意味で基礎
ではなく省略や削除する文化や習慣を学んでしまった
心をもう一度1から勉強しなおすして0にしスタート
し直しますと、リセットして再出発する事ですと!


◆対話者
道路の踏切の前で一旦停止して左右確認する基本!
城郭の堀切の前で一旦停止し堀切を見る事は基本!
踏切で一旦停止する事当然の法規です!
土塁を認識しないまま歴史講演を聞き
続ける人とは世の中に多数おられます
城郭講演100回参加したのに実際の城
の場所を認知認識出来ずに現実の城址
から1Kmも離れた場所に〇〇城碑を
建立して自信満々の顔で文字のみの歴
史を語る本末転倒した人も現実にいる。
この写真を見て堀と土塁がある400年
前の賤ケ岳合戦の陣城と理解できる人
は現実社会には本当に少ないものです。
これは交通安全教室に100回参加して
も一回も踏切や一旦停止車線で停止す
る事を実行しない事に等しいと言える。

◆長谷川
孔子の『論語』にある言葉

学びて思わざれば則ち罔し

義を見てせざるは勇無きなり

でしょうか?学門する厳しさ
や現実社会は真に厳しいもの。

▼賤ケ岳合戦の最前線の軍事緊張を生々しく体験!
 この中には元中世文献解読の文献史学者も存在!

◆長谷川
あなたが何気に出掛けていた城跡見学である日
貴方は突然発見する。城自体の発見ではなく城
の見学に行く自分の心の本心に気付く時が、城
を見ようとする自分の心の奥底にある自分自身
を発見した時に初めて城を見る事に開眼し自覚
します自分の心の奥を深層心理と言うが人は時
に真に「自分の欲する根本」に気付く事がある。




◆質問者
長谷川先生!4月10日4月24日の磯山城見学会の為
に下見と調査に何回?磯山に登山されたのですか?

◆長谷川
磯山城は広大な面積の城です。多賀みたおき隊
の田畑さんと約20回実施しました。本当に曲輪
数が非常に多いのです。論語『義を見てせざる
は勇無きなり』湖国男児の意地!真骨頂!我と
思わん騎士道や武士道を心得たる者は米原磯山表
に参集される事を切に願います。

◆質問者
午前10時セブンイレブン米原中多良店裏駐車場集合
でしたね?予約は不要との事でしたね?米原駅西口
から西に向い歩いて15分位の所だと聞いております。
資料はA4で約20ページA3なら約10ページでしたね!

◆長谷川
この広い駐車場が当日の目印です。
◆質問者
見学会の傾向や性格を5★で表現して下さい。

◆長谷川
真実性 ★★★★★
学術性 ★★★★
探訪性 ★★★
行楽性 ★★
催事性 ★



令和3年3月20日土曜日の堂木山城神明山城見学報告!
▼普段は素朴な性格、見学会では熱血遺跡解説!


◆参加者の声A様
参加者の傾向は圧倒的に東海地方や京阪神方面の
城郭を愛好する人が多い傾向。若狭、越前、加賀
方面の方々は全く参加されないの?北陸は城郭を
見学する文化が無いのかな?いやそんな事は絶対
ない!長谷川先生の遺構解説は東海、近畿の人を
うならせる誠実な城郭遺跡見学で解説望む人多い。



◆参加者の声①
やはり滋賀城郭研究調査の原点とも言う現地
調査員長谷川先生の現地解説はその経験実績
が超ベテランの域で現地遺構解説の専門家た@。
滋賀県生まれ滋賀県育ちメイドイン滋賀県人!
実際の現場の人、実践の世界に生きる人です。
薄っぺらな文字や言葉のみを信奉して読む文字
歴史認識派の人とは完全に住む世界が違います。

◆参加者の声②
小谷城は雨に打たれたが余呉の堂木山城快晴!

◆参加者の声③
今回初めて賤ケ岳合戦の堂木山城の本城見学
に参加しました。巨大な堀切に分厚い土塁!
ええっ!これが天正11年合戦の為に作られた
遺跡かと!感動と感激です。生々しいい土塁
と堀切が残り巧妙な縄張り、技巧は正に衝撃!
の織豊系陣城の白眉とも言える秀逸な技巧だ!
★それはマニアックな特異な事ではない土塁
と言う城郭遺跡の部位を実体験認識出来た人!
この写真を見て「何だ土手見て喜ぶ変人」と
感じる感性を持っている人には永遠に土から
なる城の根本や古戦場の根本は理解出来ない
それは会社の施設、工場を見ても工場と文字
のみで解釈しようとする人と工場内施設設備
や現実建物敷地つまりインフラ設備を解釈す
る人間の根本理解感性の違いにまで起因する!
貴方が文字と言葉を尊ぶ文字歴史を優先する
文字と言う言語入力概念を優先する人なのか?
文字や言葉に惑わされず現実を見て歴史検証
しようとする歴史現場現実派のなのかにより
大きくこの眼前の土塁を見ても感激感動する
人間か?かたかが土手と一笑する人かで歴史
城郭の解釈は大きく変わる文字記号が真実の
唯一の歴史か?または現地の遺跡こそが歴史
の現実の足跡であり現場検証の場であるかの
感性や解釈の差により歴史認識とは異なる!

▼堂木山城のイラストを持ち新聞に登場する素朴な著者

◆参加者の声
これこれ!堂木山城先端にある出丸の驚異的な構造
があるです!見たんです!このサークル状の土塁や
や深くスリットが切り込んだような大きな堀切の跡
また最前線の鉄砲陣地の竪土塁の、長い事!長い事!
ああ今回長谷川先生に付いて来てコレ見られて幸運!
最前線の軍事緊迫感を実体験できる学術性がスゴイ!

◆参加者の声
 私は何度も堂木山城を訪れているんですが?
昨日長谷川先生はこの堂木山城の5ヶ所の出丸
を全て見学し解説した!こんな完璧な現地解説
する城郭専門家の長谷川先生の存在を最初から
知っていたら、最初から完璧に近い見学が出来
たのに城郭フオーラムの価値観とは、城郭遺跡
の専門的な解説を受け城を学ぶ事の学習にある
余呉は湖北戦国野外ミュージアムとも言うべき
所。歴史文化遺産を長浜市の歴史有識文化層が
長浜市の未来の観光産業発展資源として捉え直
し見定め熟慮再考思慮する事が長浜発展に肝要。

◆参加者の声
神明山城見学は時間的に正直あきらめていた。雨
降るだろうと正直諦めてました。でも天運は我々
に味方して天気が持った。下山して雨がポチッと
来ました是はラッキー幸運でした。神明山城見学
にも成功して二重堀切の見学も成功致しました!
▼神明山城の土塁と堀切写真 余呉城郭研究会

令和3年4月よりの 城郭フオーラム 暫定予定表

◆参加者の声
長谷川先生はどうした事なのか神明山城から再度、
堂木山城に戻られた何故?再び元のコースへと戻ら
れたのか?私は先生の意図がピントと解りました!
神明山も堂木山も犬走りが非常に明確な城でした!

◆参加者の声
城を形成する重要な根本要素『犬走』を認識する為
だ!現代道路には路側帯や歩道も付属する。それも
含めて道路です。城を見る時に犬走を認識して見学
をする事の重要性と城跡見学の根本を体験する事だ。
路側帯や歩道を認識するには国道の真ん中を歩いて
も全く国道や道路全体が見えず脇から認識する事だ。

最後堂木山の犬走を私達余呉城郭研究会は歩いた!
私は複数の曲輪が犬走で互いに連結されている事
を認識した!神明山城の二重堀切!堂木山の犬走
これは次の城郭見学のステップとなる予行演習だ
と悟りました!二重堀切や犬走は坂田郡様式の磯
山城の特徴です。犬走の大切さを身を持って体験。

▼佐和山城の本丸も多数の犬走や帯郭そして
本丸の南には明確に土塁も映し出されている。
これが現実と言うもの現実は直視するべき事。
▼土塁、土手とは古戦場の基本根本。小牧長久手合戦図
▼長谷川博美 佐和山城推定復元図
▼長谷川博美 佐和山城鳥瞰図 『滋賀県中世城郭分布調査』より
▼佐和山城本丸土塁でも此れを見学しようとする純粋な
 心の御婦人と土塁など絶対に無いと頭から断言される
 専門家を一般の大衆の人が如何に冷静にどう評価する
 かが問題になります。一体現実を把握している者のは
 居るのだろうかと嘆く人も社会には現実におられます。

▼滋賀県犬上郡佐目の城でも城の周囲の帯郭の
 意味を理解していないとその城跡に行っても
 全く意味をなさない。極端に言うならば全
 く解らんと言われた人は基本的に犬走や帯郭
 の智識や意義や基礎を全く持ち合わせなけれ
 ば一般の人は何も解らないと口を揃えて言う。


▼米原市 甲津原の治山城の環状の腰郭 甲津原は元々は東草野谷 浅井郡

▼治山城の切岸の写真 非常に明確で城郭土塁もよく残る。
近所に的場「まんとば」と呼ばれる弓術の練習地名が残る。

▼米原『城歩会』の甲津原 治山城の現地見学会 人工の切岸がスゴイ!
▼余呉町 岩崎山城犬走 高山右近の陣城 犬走の配置が巧妙繊細。

▼岩崎山城の鳥瞰図 複雑で繊細な縄張が手に取る様に解る。
 キリスタン大名高山ジュスト右近の高度な技術が解る得る。

▼小谷城の三段石垣 これも一種の犬走の三段である。
▼岐阜城天主側面の三段石垣にも注目です。


▼堂木山城の堀切と高土塁と余呉城郭研究会の面々


◆一般様
赤色写真を文化財や考古学の世界が採用されて
いますしかしそれのどの部分が城郭遺構なのか
正確に的確に認識する能力を身に付けたいです。
長谷川先生はそれをもう半世紀も前から体得し
ていた事に驚く。それ私もマスター習得したい!
城郭遺跡認識の奥義のような認識力を習得する!

▼長谷川 解説 米原市長比城 赤色図

◆対話者
長谷川先生は遺構解説分野で誠意的で真面目な人。

◆伊香郡人1
磯山と言えば?伊香郡高月磯野の宮澤氏出身の
伊香郡の磯野丹波守員昌が在城した城やったね!
伊香郡人の城こそが磯山城と言う訳なんですか?
現在伊香郡は長浜市に吸収されたが私は伊香郡
人として誇りアイデンティテイと自尊心がある。

◆伊香郡人2
懐かしいなあ伊香四町連合の運動会、伊香郡体連
伊香病院、伊香郡展覧会とか、いろいろ昔あった。

◆伊香郡人3
私は伊香郡生まれで東浅井に引っ越し教育関係の
仕事してました4月10日の磯山城見学参加します。

◆坂田郡人
馬鹿な事を言うな、伊香郡人が坂田郡の磯へと
出兵したなんて馬鹿な事を、言うんじやない!

◆余呉城郭研究会諸氏
秀吉が弟秀長に出した伊香郡木ノ本町の書状
に木ノ本郷の小屋の文字が見えるこれ将兵が
宿泊する施設の「小屋」用語は、歴史用語で
当然伊香郡の磯野が坂田郡の磯に出陣したと
考えられますよね、当然、伊香小屋の地名が
残ると我々余呉城郭研究会は冷静に推理する。
学門してるんです我々の余呉城郭会員とはね。

◆坂田郡人
ないない!そんなもんが絶対ある訳が、ありえないよ!

◆良識者
現実の物を、あり得ないと言う人が平気で嘘を吐く!

◆犬上郡人
湖北浅井家の重臣遠藤喜右衛門尉の三十六歌仙絵
詞や江北浅井長政書状は犬上郡多賀大社にも残る。
犬上郡敏満寺と書いた仏像が湖北の寺院にも残る。
戦国の昔は大名権力とそれに従軍する人々が移動
している従って伊香郡古橋村「法華寺」が佐和山
に移り法華丸を形成、また今でも彦根市内に法華
寺が存在するのです。歴史を現代住民感覚のみで
捉えては動乱の戦国史の流が冷静理解は不可能だ。

◆長谷川
歴史民俗学とは感情に流されて口論する次元
ではない冷静に地名学的に研究分析しますね!
伊香小屋の字地名はチヤント米原の磯に残る!

◆明治23年地図でも大小屋や伊香小屋位置が解る。
小屋地名は合戦や長期戦における将兵の宿泊する
臨時施設小屋に相当し磯山城の広大な遺構は陣城
として長期帯陣した北近江将兵の普請の可能性も
また明治26年の磯地区の俗に言う「浜道」は何度
も曲折したクランクを採用して集落防衛の様相を
を呈してる江戸時代の彦根藩松原屋敷は井伊氏の
浜御殿が松原氏の館の跡を利用して作られ木俣氏
もまた松原に館を構えている。磯の浜道の屈曲も
彦根防衛の一端とも考えられます、松原氏は磯山
の城主を務めていた時代もある。浜の歴史を知り
認識する事が重要である。またあの『信長公記』
には芹川から松原に材木をながして長さ30間の
大船を信長が建造している事も浜の歴史は看過で
きない事。なのです。


★★高月町人★★
ほらみてみ!ヤッパ伊香小屋地名米原磯に有るがな!
長谷川先生ほんなら4月10日と4月24日の磯山城見学
ワシ伊香郡高月から参加するわ!伊香小屋地名は驚
きやわ!午前10時米原のセブンイレブン中多良店の
裏手の駐車場集合やね?店に了承済みと聞いてます。

◆長谷川
新しく広い駐車場です。駐車線にはまだ白いチョーク
の痕跡が残っています。令和の現代でも天正の昔でも
地面に線を描いたラインが存在、これが普遍的な縄張!


◆対談者
誤解しないで下さいね!この会は余呉城郭研究会と
は異なる別組織で米原文化協会所属の『城歩会』と
彦根犬上最大の紳士的城跡見学組織『関森会』との
合同連合見学会になります。パル様では弁当は付き
ましたが各自はセブンイレブン様で行動食と水を買
つて準備しておいて下さい。参加費は、1000円です。
何しろ磯山城は彦根城の築城予定地としても最初は
徳川幕府に打診された古城です途方もない曲輪数を
見学するには歩きながら行動食を摂取しないと全部
の曲輪を見学できない、城郭遺跡として広大な面積
で坂田郡では鎌刃城より男鬼城が大きいしかしそれ
よりも磯山城は城郭遺跡として広大な面積を有する。
城の規模は鎌刃城→男鬼城→磯山城と順次規模壮大!
オリンピックなら①磯山が金②男鬼が銀③鎌刃が銅

▼アサヒホール「愛知県小牧市」での長谷川講演写真。


◆対談者
以前長谷川先生が愛知の大高駅に出張されたら大高
駅前に人が沢山集合されて本当に先生の東海地方で
の人気には驚きました。大高城の解説、丸根砦遺跡
の解説や図解も稀にみる出色の出来の見学会でした。
米原駅は東海、近畿、北陸の要にある要衝の駅です
もしも東海近畿北陸の城郭を長谷川先生に真摯に学
ぶ事をを強く希望される本格的な城郭愛好家の人々
が多数集合されたら大変な混雑になるのかと私は思
いますが?



◆長谷川
心配は要りません。城郭を真剣に真摯に学ぼうと
する人は社会に1万人に1人の割合の比率でしか
存在しません。大量の人員の参加を目的とする
「催事」では全くない、城郭を学ぶ人々の為の
真面目な学習と見学会。参加する人は日本全国
の紳士、淑女、名士、有識者様達で学習の場!



◆長浜人
榎木「えのき」の地名ありますよ?榎木町は長浜や。

◆彦根人
磯山には坂田地方の二重堀切があると聞き及びます。

◆坂田人
ないない!そんなん磯山に二重堀切などあらへんぞ!
第一現場の看板にも二重堀切など一切書いてないぞ!

◆みんな
あれその図、誰かさんが自分に不利にならない様に
故意に意図的に磯山城図から消してるんじやないの?

◆対談者
看板と現実遺構どっちが大事?本当の先生は遺跡よ!
現場の現実遺跡こそが証拠、本末転倒の料簡では駄目!
城郭遺跡見学とは看板を信じ込む宗教ではないのです!

◆真面目さん
そりやそうですよ!磯山城の二重堀切の写真です!
写真は真実を写すから写真と言う訳で現場証拠だ!
▼磯山二重堀切 現場写真 側面から撮影 遠くに米原の田園風景
▼磯山城 二重堀切 長谷川博美図

◆一般様
うかしい?磯山城の看板から何故堀切が故意に
消滅させられているのかな?私は単純素朴だか
ら気になるわ。磯山の現場写真も堀がチャンと
撮影されている事も?もしトンボの羽根むしり
取って昆虫博物館に展示するに様教導する先生が
いたらばその昆虫学者は完全にアウトの嘘つき!


◆長谷川
そう言う次元でなくあるがままの城址をあるがまま
の純粋な心で見る事が素朴で純粋な城郭見学の世界!

▼打ち続く城郭遺跡の生々しい現場の段築遺構の数々!
▼竪堀も生々しく現地に残る。竪堀の右肩の壁も明確明瞭!
▼磯山城 鳥瞰略図『滋賀県中世城郭分布調査報告』長谷川博美図

▼磯山城縄張図 作成途中図 二重堀切が生々しい。


◆長谷川
4月10日4月24日に磯山城は1人~2人でも見学します。
二重堀切見る気がない歴史の現実を見る気がない人
は要するに来なくて宜しいのですよ。(諧謔的微笑)

◆対談者
何で人は現実「城址」を見ない!「図面」や「定説」
や看板を丸暗記するの?現場実際の城の遺構が一番
の証人である事に何故気付かず無駄な人生を送るの?

◆対談者
物生山と磯山は入江内湖や松原内湖に囲まれた地勢
であり磯山と物生山の間で、織田軍と浅井軍が睨み
あっていた。この水に囲まれた間を両軍が睨みあっ
ていた。だから狭隘水路付近の小字地名には指合と
いと言う小字地名が残っている。元亀年間の織田軍
丹羽長秀を指揮官とする攻城軍は指揮官長秀自身が
佐和山山系とは別の鳥居本百々屋敷の丸山に陣城を
構えている。『信長公記』によると彦根山には川尻
与兵衛が付城をまた佐和山山系の外にある彦根山に
陣したとある。これで当時の織田軍の佐和山城包網
の50%は佐和山山系の外に「遠巻き」布陣して攻城し
たから浅井方磯野丹波守の佐和山籠城は8カ月の長期
籠城戦が可能だったと解る物生西山麓で確認した竪堀
も北磯山に向けて掘削されて明確に佐和山城籠城軍側
浅井側の防御施設と思われる。いわんや物生山城堀切
の2条は佐和山城への付城機能の性格を全く示してない
西磯山に対応して2条の堀切を現に掘削してる。そして
逆に磯山は琵琶湖を背にして浜道と呼ばれる琵琶湖
岸の街道を確保して佐和山を遠巻きに、対抗する様に
堀切を佐和山側に掘を削普請してる。磯山の案内板に
はこの堀切が意図的に消去されたのか?誰が何の為に
この看板を用意したのか?今も強い疑念が生じている。

◆対談者
もし上の磯山図面描いた人は城の基礎知識さえ
も全く知らない人が書いたんじやないのかしら?
そんな人は他所の関東の城をコメントしても必ず
痛いミス、コメントをしている、軽いノリの人。
軽いノリには軽いノリの軽い大衆が集うのが常。

◆反論者
指合が浅井と織田の最前線で竪堀出土した松原の
物生山の西の施設の竪堀は北に向てる浅井方だと
?物生山には浅井軍が居たなどの虚説を言うなよ
!それならば指合近辺に織田方も物生山城と対峙
した砦が指合近辺に残っているとでも言うのかい?
それ証明したら私は学門する人だら貴方達に学ぶ。


◆対談者
小字男山の砦は昔から知られてます?貴方が知らないだけの事?
4月10日4月24日私達は此の砦も併せて見学する予定なのです!
▼男山砦図 長谷川博美作図 全長54.9m30間にも及ぶ。

◆長谷川
論争より現実を!城郭や歴史とは心静かに冷静に
4月10日と4月24日は2~3人で見学致しましょう。

▼かつての磯山城の景観

◆長谷川
真の城まな学びの世界とは勝手な憶測やウワサや風説
を並びたてる世俗の塵芥の世界とは関係のない事です。
素朴に純粋に城郭遺跡をあるがまま観察し学習する事。
私は城で論争はしない。赤子のままの心で城の現実や
真実を見る素朴な少年の心のままで城跡見学する凡人。

◆鳥居本人
鳥居本の百々屋敷や丸山砦知ってますか?鳥居本の?
丹羽長秀の砦があった場所「まるやま」を知ってる?

◆知ってます。図面持ってます。長谷川先生の図面。
見学会も何度もしてますよ。「まるやま」でしょう。

◆鳥居本人
磯山に「まるやま」と言う地名がありませんか?砦も?

◆長谷川
磯山には「まるやま」あるが小字名は「円山」と書きます。

◆みんな
すげええ!そこにもしかしたら「砦」あるんじやないの?

◆長谷川
あります。犬走で形成された砦が在ります。
でも滋賀県の人は皆犬走を無視し見落とす!
犬走を見落とす様に教育指導されて来てる!
◆長谷川
3月20日の神明山城、堂木山城の見学でも私は
犬走を中心に歩いて見学しています。それは4
月10日と4月24日磯山城の犬走見学予行演習と、
してここで城郭の犬走の重大さに気づいて居る
人は犬走の写真を撮っているHさんと言う事が
解ります。Hさんは城から目が離れてない人で
城跡を本当に真剣に見ている事が写真でも解る。
私が力説する犬走を見落とさない見学者と言う
事が一目瞭然で解るんですよ。犬走は城の基本!
私も犬走の写真を撮っているHさんも犬走写真
を撮っている。両者何が大事なポイントか知る!

◆みんな
解りました!何故?犬走ばかり私達を歩かせたのか?
うううう。。。城の根本基本である犬走を知る為に!
磯山城が如何に巨大な城か認識する為の準備だった!

◆長谷川
坂田郡『嶋記録』と言う資料に以下の記述があります。
なんと北磯山には織田信長方の市橋氏が布陣したと!
◆長谷川
北磯山ってどこでしょうか?虎ケ城(磯山城北城)?
この磯山城の堀切や土橋を素直に純心に見学する。
目の濁り、心の濁り、なき純心な心の人と4月10日
と4月24日磯山城見学します。北陸、東海、近畿の
我と思わん紳士淑女の皆々様が宜しく勉強会に参加
下さいます事を心静かに謹みて、申上げる次第です。



万葉集 高市連黒人が羈旅の歌
磯の崎 漕ぎ廻み行けば 近江の海
 八十の港に 鶴さはに鳴く  
巻3-273


紫式部の磯を読んだ詩
磯がくれ おなじ心に たづぞ鳴く 
なが思じ出づる 人やたれぞも 

▼磯崎古墳群も存在する。


 






コメント (13)
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