川ちゃん農園だより 樹齢700年といわれる黄大銀杏と坂東十番札所岩殿観音本堂

農家の遊休土地をお借りしてはじめたものです。カメラも趣味ですので四季の移り変わりを記録して行きたいと思います。
  

喜寿を迎えて・案内の出状<エッセイ風>

2015-02-10 19:30:47 | エッセイ風
去る7日(土)わが里行田市に住む、同級生同士で結婚をしている友達の家に集まった。というのは、利根川大堰沿いの田舎の中学を卒業して61年、平成27年4月以降は77歳の喜寿を迎えることになる。<毎年さくらの花の咲く時期に(利根大堰端の老人福祉センターで)懇親会を行っている。>そこで今年は記念すべき年「喜寿」である。
 この日は男女合わせて10人ばかり、同級生夫婦は話が合う、ご馳走作りにも精を出していてくれる。定刻に伺うも準備が出来ている。さっそくにはじめる。
 わたしも幹事の一人なので、原案を報告、日時の設定は花見の時期、ことしは概ね標準とかで、4月4日(大安・土)、日曜日の5日、それに次の大安10日かでみんなの意見で4月4日8(安・土)決める。
 即刻了解を得る。<地元卒業生、しかも喜寿の祝いと大フレしたせもありましょうか、>
 会費は〇〇〇円<記念品を含む>でまとまった。
 
 いまでは東京近郊から愛知県へと広がる、同窓・同級生への案内状の作成を任されたのである。
 ーー喜寿を迎えてーー”花も嵐も踏み越えて・・幾星霜”と題して、生まれた昭和13年4月には、日中戦争が激化する、国家総動員法公布され、国家総力戦に入った時代。昭和14年7月には国民徴用令施行、徴兵制がはじまった時代、まさに戦争の時代にはいる。そして昭和16年12月8日には、ハワイ真珠湾攻撃、太平洋戦突入するのである。
 昭和20年8月15日終戦をむかえる、その年4月には国民小学校に入学、<終戦になるまで警戒警報発令になると1年生は上級生に連れられて走って下校したのを覚えています。>したのであります。<満6歳>
 中学を卒業したものが総勢56名であちこっち散らばっていったのです。
 喜寿までいろいろ考えると感慨一入のものがあります。物故された方が9名おります。
 連絡が付かない方たちもおりまして37名のかたに案内状差し上げました。
 よいご返事があればと期待しております。<いわどの山荘主人>

<喜寿の集い案内状>


<古代蓮マンモスの藁アート下で遊ぶこどもたち>


<馬形埴輪>