marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(360回目)ピューリタン 近代化の精神構造 Ⅱ

2017-06-07 18:58:38 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 一部の思想や偏ったオタク的な考えではありません。先に書きました現在ブータン国訪問の眞子様の事だけではありません。総じて、僕らが現在恩恵を受けている社会的な仕組み、特に契約などの考えについて、また、社会のおおもとの仕組みなどは、自然になすがままに委ねていても、前進は決してあり得なかったと思います。(ここで352回に書いたカインとアベルの献げ物に対する神の意向が推察できないでしょうか。)その大変革という雛形はどこにあったのか、そしてそれは今も影響を及ぼしているのだから、もっと自覚的にと、さらに無論、その根底には、聖書がある(キリスト教と呼び名ではない=なぜなら今まで読んで来られた方は分かるようにキリスト教というと、誰でもが、イエスその方の言葉というより、それ以降の人間の組織、社会構造、影響された歴史を先んじてイメージしてしまうという欠陥があるから)という考えです。そして、それは、大きな社会変革を起こしたピューリタンの思想と行動にあったという考えなのです。(今も全世界に影響を及ぼしているその基本構造の土台作りとなったという意味で)
◆しかし、ここまでくるためには、聖書はもちろん、それまでの世界史、特にキリスト教(プロテスタントが起こるまではカトリックが支配していた、そして宗教改革以降も含めて)におけるそれぞれの国の事情も考慮しておけなくてはいけない。神学的における心構えは、神が世界を支配したもうから358回に述べたようにどの時代における諸々の諸事情を考慮しないと結論を出すことができないということです。例えば、これは書いたことだが261回に述べた映画”沈黙”における時代背景において、当時のスペイン、ポルトガルの世界反映の事情から(つまり、片や鎖国になろうと井の中の蛙に対して、大洋を渡り異国を支配しようとしていた国々の事情もあり、それらもすべて網羅しないと)一概に”日本の国に福音の種をまいても泥沼ですぐ根が腐る”というようなことは決して言えないのだということは理解されるだろうと)ですから当時の経済的な世界動向からの分析は、著名な経済学者であられた大塚久雄先生あたりの世界情勢の分析も顧慮しないといけないということだ。何故、日本の長崎出島でオランダだけが取引できたの?スペイン、ポルトガルから、経済の中心がオランダ、イギリスに移行したからなのだな。しかもこちらは宗教改革以降のプロテスタントだがオランダはしがらみからの解放をダントツに推し進めていた最も当時世界に開かれていた自由の国だった。後半、来られたシーボルトを考えよ。さらには、355回に書いたその後英国は日本の明治維新に大きな影響を実は与えていた(・・・以降、日英同盟など結んだが・・・日露戦争も日本だけで勝ったと思っている人は今はいないと思うけど)
◆今年は宗教改革から500年、1517年10月31日にルターが贖宥に関する95ヶ条の提題を神学者に表したのだが、それ以降の神学的な歴史(つまり、国が何によって立つかで歩んで来たのか)を考えておかなくてはいけないだろう。そしてその中につまりこのブログの趣旨でもある”すべてのしがらみからの解放を”求めた人々がいたということなのです。それらの人々の今の現代の人類に当てはまる光としての(あえてこう書く)基本構造ともなっている考えが構築され実際、行動を起こし世界に普遍性を現実世界へ適応されてきたということなのである。
◆このしがらみとは、ちょっとやそこらで変えられるものではない。それはすぐに確かめられると思われる。それは、身近な人にも宗教的信条を語らせるといい。そこでもし、その人がキリスト者であれば、おそらくかくかくしかじかと何かは話すであろう。しかし、自分は無宗教であると答える人がきっと多いだろうが、自分は仏教だと答える人もいるかもしれない、さらに何宗かと問えば、はっきり答えられる人はさらに減るだろう。つまり、考えもしていないが実はしがらみからも自由に慣れていなのである。「知性は情念の奴隷である」からすれば、宗徒はまさに情念からの関与が甚だ大きいからなのである。だから、自分のことでありながら言葉にしきれないのである。
◆しかし、イエスの神、ここで聖書は、神の永遠の命への帰還であると、説く。すべてのしがらみ、最後は自分自身をもすてて、魂は永遠の世界へ旅立つのであるという。そのために、天になるごとく地上にもなさせたまえと天への帰還への地上における準備をなしていくのです。・・・ 続く