marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(362回目)「神はひとりびとりに」 ピューリタン 近代化の精神構造 Ⅳ(雑感)

2017-06-09 06:00:00 | プロテスタント
 「神はひとりびとりに語る」・・・これは僕のブログの主旨でもある。そしてこの言葉は、ヨーロッパにおいては長い宗教基盤の上に営まれた来た”しがらみ”をそれと感じ無くなるまでの、僕の言葉で言わせれば、情念にも影響を及ぼす生活基盤に張り付いた、不自由な世界にどっぷり浸っていたわけだ。その弊害は、実はあまりに人間的な基盤に成り果て、どうしようもない果ては旧約聖書のダニエル書、エゼキエル書などにも預言された神への冒瀆にも等しい行為となってきていた。(これを研究している教派もある。今もまだローマカトリックの時代であると・・・よってエキュメニカル運動・・・「みんな仲良く」は実は危険なのであるという見方をしている。僕も昨年のブログに書いた。何に基づく「良心と従順」なのかは、最後の砦となるだろう。人間の作ってきた基盤? 絶対超越の万物の創造者たる神が、そのようなものであるはずがない・・・。
◆宗教改革はそして起こった。マルチン・ルターの宗教改革。そして、より組織立て、カトリックの強かったフランスから逃亡してスイスのジュネーブでカルヴァンは著名な「キリスト教綱要」を著す。教会の組織のあり方にはカルヴァンは実に大きな働きをなした。後の長老会、プレスビテリアン。イギリスは、ヘンリー八世の結婚問題でカトリックが反論で、それに対して王様がトップの自分らの宗教、アングリカン(英国国教会)を作る・・・。昨年のブログも参照。2014年にイングランドから独立だの騒ぎがイギリスで起こっていたのはスコットランドはプレスビテリアンだったという歴史も大いに関係と見る。アイルランドとの紛争も少し前にはあったな・・・と。
◆さて「神はひとりびとりに語る」は、ピューリタン革命の指揮官、クロムエルの言葉でもある。

 「まことに私たちは多くの人々がわたしたちに語るのを聞いた。そしてわたしはそれらの中で神がわたしたちに語られたのだと考えざるを得ない。ここに語られたことの中には神がわたしたちに示そうとされた事柄があると考えざるを得ない。それにも拘わらず語られた言葉の中にはいくつか矛盾があった。しかし、たしかに神は矛盾の作者ではない。わたしたちは同じ目的について語ったのであり、失敗はその方法においてであるにすぎないと思わざるを得ない。目的はこの国を抑圧と隷属から解放することであり、神がわたしたちをそのために用いられたそのみわざを完成する事であり、そこにわたしたちの正義と義の目的の希望を確立することである。」

◆クロムエルだけでなく一般兵士の確信でさえ次の事を語った。

 「神は今やひとりの特別な人間によって語られないで、われわれひとりびとりの心の中に語りかけたもう。もしひとりの人間から多くの人間に伝えられた伝言を聞かないことが危険であるなら、われわれの多くによって語られた神からの言葉を拒絶することは、もっと危険である。」

◆宗教改革者、ルターの万人祭司の考えが一貫している。しかし、実際にそれぞれにおいて神がこう語りたもうと主張し始めればどうなるのだろうか(クロムエルの言う矛盾)・・・ここには、聖書と宗教改革をなしてきたその精神の深い理解が必要なのである。
◆実際的な宗教は人の頭の、あるいは心の・・・観念的なものということから、国家や教会、その境界なく(なぜなら、そこさえ、人が勝手に線引きしている亡霊ではないかとみなし、その仕切りも取り去り)実際に聖書の考えにおいて、人間界に隙無く社会構造の改造まで行おうとしたのがピューリタンなのだった。 ・・ 続く