marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(634回)   (その6)新型コロナウイルスの騒ぎようは尋常ではないなぁ!

2020-03-02 20:56:20 | 日記

それはあの感染力が、つまりウィルスの細胞に吸着する力がSARSの10倍から20倍も強いからなのである。潜伏期間が不明で長く、陰性が再発したり、感染ルートがつかめない要因もありそうだ。中国武漢の漏れ出した研究所も証拠隠滅?の故か爆破されたそうだし、そもそもが人工的な遺伝子操作研究施設の管理が杜撰だからなのであった。新聞によれば、女川原発の再稼働の認可が降りたそうだけど住民は承諾はしないだろうな。コロナも原発もいずれも人災なのだよ。それで以前のブログにも書いたけれど、社員旅行で女川原発見たときに宮城県の電力の半分を賄うと案内で聞いた時には驚いたが、質問で津波は大丈夫かと僕は質問した。ブロックで覆われて津波がきて流されても浮く、ロケット弾を撃ち込まれない限り大丈夫と言われたことは、昔のブログに書いたが、そのとおりだったわけだ。とすれば福島原発は、設計が女川より古かったけれど安全対策に金をかけていなかったということだ。のちのちのことを考慮すれば、リスク防止にお金は当然かけなければいけないだろう。新型コロナは、人為的研究の上に従来の防止策、治癒方法が見えないがゆえに、それだからこそ、インフルエンザより感染率、死亡率などが低いのにも関わらず(率から言えばそうだが)、罹患すると虚弱体質者の致死率は高い、というか治癒療法が不明なのだ。だから誇大に国はあれこれと防止策を流すのである。これはやるに越したことはない。悪魔は、神の創造されし人を使うのである。抹殺するために・・・。(カミュは、中世的神観念には対抗し、反抗する。)

◆いずれ、地球の裏側も瞬時にわかる時代になってきたが、これからの時代をどう生きるか。終末が近くなってきているのだろうか。昔の原発事故、あのロシアのチェルノブイリ原発が崩壊したとき、ヨハネの黙示録の8章に出てくる”多くの者が死んだ”と出てくる「苦よもぎ」(11節)が「チェルノブイリ」という言葉だったのでびっくりしたものだった。******************************* 神学者 野呂芳男は、カミュを取り上げ、彼のキリスト教の神観は中世的であると書いていた。プロテスタントの開始者、ルターの考えは”神の言葉をひとりひとりのものに” であった。現代は、youtube で海外の説教が聴けるし、聖書の学びも行える時代になっているのである。しかし、今のプロテスタントは組織的に中世以前である。聖書のどこにも書いていないのにも関わらずである。あえて言えば使徒言行録の役割の分担の箇所か。どこにも組織的しがらみに温存し、その与えられた地位など聖書のどこにも書いていないにも関わらず、何か特別な地位的特権の人間なのだと思っているのではないか、世間体にもまれず、知識だけのアナウンスであれば秀でた人々は多くいるから、試練から逃げようとすれば、その働きの中心から最も遠い人間になるかもしれないという危うさがある。なぜならイエスを背後に、自分という人の自己肯定をどこまでも押し切ることができるからである。これでは最も憐れむべき人間になるだろう。

イエスは、究極には”信徒にとどまれと言われたのではなく弟子になれ”と言われたのである。”友と呼ぼう” とまで言われたのである。そこに、地位的境目はない。プロ、アマの差はない。信徒であるから自分を超えるな という対抗意識ではなく、弟子になるべく成長育成するプログラムを持たねばならないのである。自分の言葉でイエスと会話する、そういう信徒が弟子となっていくのである。「私は弟子、あんたら信徒」でとどまるのであれば「教師は特別厳しい裁きを受けるであろう」ということばが待っていることを知るべきである。我々は全員が前進しなければならない。これは時代の要求である。世界のベストセラーが教える時間は回帰はしない、直線である。・・・ Ω