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今年もあと3日

2016年12月29日 | JULIE

※昨日の「いくつかの場面」について、いそしぎさんからコメントをいただきました。有難うございます。詳しくは、昨日のコメント欄を見ていただきたいと思います。スッキリしました(^_^.)


今年も、今日を入れて残すところ わずかに3日。 2016年を振り返ってみましたが、もう随分忘れてしまっていました。こんなことも あったんだな~

                                                     

                                         

                                                        

 

                       

 

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美味しかったので、また行きたいけど開店時間が夕方5時なので、なかなか行けません。

 

続きます

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いくつかの場面

2016年12月29日 | JULIE

今朝の神戸の空は雪がチラチラ舞っていました。六甲山も雪が降ったんじゃないだろうか。 夜にはこの年末の押し詰まった時に、茨城県近辺でまた震度6の地震が。今のところ、大きな被害は報告はされていませんが、どうか無事でありますように。TVから「東海村」と聞こえてきて「太陽を盗んだ男」を思いだしました。

年末に向けて、2016年の振り返りをするつもりが。。。。 


satsukiさんからコメントをいただきました。太平サブローさんがCDを発売したそうなんですが・・・。

『最近ラジオで大平サブローさんが還暦記念にCDを出されたのでゲストで出演されてました。A面はオリジナル曲ですが…
B面は〔いくつかの場面〕です。で少し調べて見たけどわからなくって。

〔いくつかの場面〕は河島英五さんがジュリーの為に書いた曲ですよね?
に河島さんもアルバムには入れられてるでしょうけど。

ずっ〜〜と前に河島さんの娘のあみるさんが〔いくつかの場面〕は沢田さんもカバーされてます〜と言われてたので…
河島英五さんの曲なんでカバーには違いないですが。
ファンとしては大きく違うように思ってしまいます。

ミスキャストを陽水さんがジュリーに書いたのと同じ様に思ってました。
どうなんでしょうか?サブローさんの歌も良かったです。
でも…書かなくてもわかりますよね。』

サブローさんの歌が聴けます。→http://www.neowing.co.jp/product/YRCN-90261

ミスキャストは陽水がジュリーの為に全編を書き下ろしました。

「時の過ぎゆくままに」が大ヒットしたあとリリースされたアルバム「いくつかの場面」は、全体的に派手なジュリーのイメージはない、割と地味め重めの印象のアルバムです。加藤登紀子さんの「流転」など、聞いた当時は演歌みたい・・と思いました。

1975年の「いくつかの場面」は河島英五さんが、ジュリーの為に書き下ろしたものだと思っていました。ジュリーがカバーしたといういい方には違和感を持ちます。ジュリーの為のジュリーの曲でしょ!そう信じていた。

ピアノのゆっくりした美しい旋律のイントロで始まり、「いくつかの場面があった まぶたをとじれば・・・」 で始まる歌詞は、それまでのジュリーの歩みをそのまま文字にしたに違いないと思えます。タイガースからPYGへ、ソロ歌手へと歩んできたジュリーの人生そのもの。LPに収められているジュリーの歌声は、途中から感極まったように涙声です。ジュリーの脳裏に浮かんで消えるのは、誰の顔?嬉しい場面?哀しい場面?懐かしいどれなんでしょうか。

ファンにはジュリーの様々な心情が思い浮かばれて、こちらの気持ちも同じく熱くなってしまうのです。アルバム表題曲で、シングルにはなっていませんが、コンサートでも度々歌われる「特別な曲」という思いがファンにはあります。

河島英五さんが、この曲をアルバムに入れているのは知っています。太平サブローさんがこのドラマチックな曲をCDに納める気持ちも理解はできます。

生前、河島英五さんは阪神淡路大震災の被災者の為の活動をしていました。川島さんが亡くなった頃だったか、震災の追悼番組で男性アナウンサーが『河島英五さんの曲で「いくつかの場面」という曲がありますが・・・』と話し出したので、思わず私はTVに向かって『違う!それはジュリーの曲!』と叫んでしまいました。

例え作詞作曲は河島さんだとしても、それは大事な大事なジュリーの為の曲なの。

「これはジュリーの為に作られたという確証を探し出さねば」と検索しました。河島さんが自分のアルバムにこの曲を収録したのは、1979年の作品集で、間違いなく75年に発表したジュリーの方が早い。

さらに検索していたら、こんな記述が↓

河島英五は1975年4月「何かいいことないかな」でレコードデビュー。そんなデビュー間もない河島英五のこの曲を、ジュリーはとても気に入りレコーディングしたということです。(河島英五自身のレコーディングは、この時点で行われていませんでした。後にレコーディングしています。)

すでに出来上がっていた作品を気に入ったジュリーがレコーディングした? ジュリーの為の書き下ろしではなかった、という風にとれないこともないけど・・・ う~ん、ビミョウ・・・書かれた方は伝聞で書いているんでしょうか。あみるさんは、カバーと言い切っています。

ここは、ジュリーさまご本人に経緯を語っていただきたいものです。

 

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