慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

下北半島(07/7/10)

2007年07月10日 | 観光
1度世界遺産の白神山地を観たいと思い下北半島を旅行しました。
世界遺産になる前の屋久島へ行ったことが有りますが、その時は何処でも見ることが出来ました。
今回の白神山地の世界遺産と言っても、その地は人が入って駄目なので、全然世界遺産が観れませんでした。
竜飛岬には、津軽海峡冬景色(石川さゆり)の碑が建っており歌がなっていました。
岬に立ち音楽を聴くと、景色と、歌詞と、美声が三位一体で心に沁みました。
大間では、町の近くの島でマグロ漁してるとの説明を聞き吃驚しました。

『白神山地』全体の面積は13万haでそのうち約1万7千ha(169.7km²)がユネスコの世界遺産に登録されています。
白神山地は法隆寺地域の仏教建造物、姫路城、屋久島とともに、日本で最初に世界遺産に登録されました。
世界遺産地域は、世界遺産登録時より開発を行わず、現状のまま保護される事になっています。

『竜飛岬』
 上野発の夜行列車 おりた時から   青森駅は雪の中
 北へ帰る人の群れは 誰も無口で   海鳴りだけを きいている
 私もひとり 連絡船に乗り      こごえそうな鴎見つめ泣いていました
 ああ津軽海峡・冬景色

 ごらんあれが竜飛岬         北のはずれと見知らぬ人が指をさす
 息でくもる窓のガラス        ふいてみたけど
 はるかにかすみ 見えるだけ     さよならあなた 私は帰ります
 風の音が胸をゆする泣けとばかりに  ああ津軽海峡・冬景色

『恐山』862年、慈覚大師円仁は「東へ向かうこと三十余日、霊山ありその地に仏道をひろめよ」との夢のお告げに従い、諸国を行脚、そして辿り着いたのが、恐山です。
日本三大霊山の一つに数えられ立ちこめる硫黄臭と 荒涼とした風景は,その名に恥じません。

『大間』やはり大間といえば豪快な本マグロの一本釣り地元で町から見える島の近くでマグロ漁ができるそうです。
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祐天寺散策(07/07/07)

2007年07月07日 | Weblog
祐天寺行くのは二回目です。今回は目黒区の名刹をお参りし、心を洗い、江戸文化に触れて徳川幕府文化に触れました。
是非とも1度行くことをお勧めします。

『祐天寺』浄土宗の名刹として知られ、開山は江戸中期の名僧祐天上人ですが、実際に寺を創建したのは高弟の祐海上人でした。
将軍吉宗より「明顕山祐天寺」の寺号が授与され、将軍の浄財喜捨や特別の保護を受けるなど、徳川家と因縁のある寺として栄えてきました
明治27年火災で由緒ある本堂などを焼失しましたが、再建されたものをさらに前部に祐天寺の紋、奥の頭貫に徳川家の葵の紋が彫られ欄間の彫刻もすばらしいです。
『正覚寺』1619年日栄上人によって開かれた初めは法華寺の末寺でしたが、後に身延山久遠寺の末寺となり、日蓮上人の命日に当たる日は、はっぴ姿にねじり鉢巻きの粋な若者達が、万灯を押し立てて境内で、笛や鉦の音に合わせて威勢良く練り歩きます。
『大円寺』天台宗延暦寺派で、大海法印が大日如来を祀り、祈願の道場を開いたことが、この寺の始まりと伝えられている。木造釈迦如立像・十一面観音立像・石造り五百羅漢像阿弥陀三尊・お七地蔵・とろけ地蔵 等が安置されています。
『目黒不動』不動明王を本尊とする関東最古の不動霊場である。
『東光寺』1365年、世田谷城主 吉良治家が、我が子の菩提を弔うために建立したと伝えられていますまた 軍事・政治上の拠点とする意図もあったようです。
碑文谷村の政治、文化の中心的役割を果たしてきた臨済宗であったが、江戸時代の初め頃に曹洞宗に変わりました。
『円融寺』起源は平安初期 天台宗 法眼寺と名づけられ、約400年後日源上人によって日蓮宗に改宗され、法華寺と改められその約400年後法華寺は取り潰しにあい、再び天台宗の寺に戻され、円融寺と三たび名を改め 今日に至っています
『常円寺』日蓮宗の寺で、1590年小杉常円が開基日信上人により開山、始めは法華寺の末寺でしたが、後に身延山久遠寺末となっています。
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