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慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

「学術会議」の独善&偏向の責任も

2023年07月12日 | 左翼右翼
🌸山極前京大総長「学徒動員発言」が嘲笑招く

 ☆『サンデーモーニング』などでの学者の発言
 ☆「学術会議」の現実を直視しない驕りと甘えが

学術会議に年間10億の税投入している
 ☆政府の「特別機関」である日本学術会議の改革が進まない
 *政府が日本学術会議法改正案の国会提出を見送ったことで
 *会員選考のあり方を見直す改革が宙に浮いたままだ
 ☆学術会議には、年間約10億円もの血税が投入されている
 *人を雇い、給料やボーナスを出している
 ☆学術会議、特定の政治勢力の影響カが強い
 *日本の軍事や防衛研究に反対してきた
 *公金が使われており、人事に政府が関与する余地があるのは当然
 ☆『サンデーモーニング』出演した山極氏の発言
 *山極氏は「平和憲法」を強調して続けた
 *学生が動員されるんじゃないかと不安ですと
 *「学徒動員』という負の歴史を背負う各大学
 *それを肝に銘じなければならない
 ☆学術会議の元トップ
 *こういった短絡的な考えを持っていることに驚く
 *山極氏はいまだに定員210名の会員にも影響力を持っている

「学術会議」は「命令を聞く組織ではない」と
 ☆山極氏は歴代学術会議会長を集め、学術会議法改正の動きに反対
 *「政府による学術会議の改革方針、会員選考の自律性を毀損するとし
 *岸田首相に再考を促す声明を連名で公表している
 ☆山極氏は政府が進める「マイナンバー」についても反対らしい
 ☆日本共産党の志位委員長が賛同のツイートをしていた
 ☆山極氏の主張はあまりにも一面的すぎる
 ☆山際氏は「学問の多様性を尊重せよ!」というが
 *独立独歩の研究をしたいなら
 *自分たちの主張と方針を掲げ、寄付や自身の拠出でやればよい

学者は「仲間はずれ」を恐れる
 ☆番組出演の、田中優子・法政大前総長もおかしい
 ☆浅薄な知識を振りかざす人たちが大学のトップとして君臨し
 *テレビのコメンテーターとして偉そうなことを語っていると思うと
 *学生たちもかわいそうだ
 ☆問題なのは、中立を装って、番組をつくっている関口氏とスタッフだ
 ☆学術会議、会員選考や組織の運営を巡って政府と完全対立している
 *国民の血税を注ぎ込んでいる以上、政治が介入しないわけにはいかない
 ☆中国接近や反日・軍事研究反対を唱えるなら
 *学術会議は、民間法人に移行してやればいい
 ☆学者は群がる、仲間はずれが怖い
 *学術会議は「反戦平和」「軍事研究反対」といわないと
 *仲間はずれにされる
 *山際氏を含む元会長が菅前政権に反対したのも仲間はずれが怖いのだ
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS7月号』



「学術会議」の独善&偏向の責任も
『THEMIS7月号』記事他より画像引用)
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左翼の人物と事件・最終回(田宮高麿氏、永田洋子氏)

2020年01月12日 | 左翼右翼
田宮高麿氏

 ☆赤軍派9名が北朝鮮に亡命した「よど号事件」
 *ハイジャック犯のリーダー田官高麿氏は、平壌で客死した
 ☆田宮高麿氏は、仲間の内では高い評価を得ていた
 ☆田宮に対する共通した評価は行動力と統率力、度胸である
 ☆″同志″以外でも田宮氏に会った人間が抱いた印象

リーダーシツプを発揮
 ☆田宮氏の特性はハイジャックの現場で発揮された
 *振り回したピストルはオモチャで日本刀は刃が立ってないく、爆弾は未完成品
 ☆実行グループの責任者・司令官は、赤軍派の軍事部門の田宮氏で迫力があった
 ☆田宮氏らは、途中でだまされて韓国の空港に着陸している
 *韓国軍を含めた警備側とはギリギリのやりとりがあった
 *リーダーが田宮氏でなければ、 ハイジャックは失敗していた可能性が高い
 ☆自身も認めているように田宮氏は理論にはめっぽう弱かった
 ☆田宮氏の目的
 *労働者の全面的な蜂起に先立ち前衛党が武装闘争をする
 *赤軍派の「前段階武装蜂起論」に則り、北朝鮮で軍事訓練を受ける
 *日本に上陸し、革命戦争を戦うこと
「主体思想」に染まる
 ☆田宮高麿氏は、北朝鮮に行って金日成を論破する予定だった
 ☆″鬼軍曹″田宮氏は、ものの数力月で主体思想に染まってしまう
 ☆田宮氏には、 マルクスよりも″将軍様″が合っていたのかも

永田洋子氏

 ☆連合赤軍は、二つの過激派が合同して結成された
 *永田氏が属していた革命左派は毛沢東を信奉する一派
 *「農村から都市に出撃する」という毛沢東戦略を日本で実現しようとしていた
 ☆永田氏は、連合赤軍事件「山岳ベース事件」の主犯の女
 *連合赤軍は、グリラ攻撃の山岳ベースで、妙義山などの山に立て籠っていた
 *永田氏らは、その過程で12人の仲間を次々と殺していった
 ☆山岳ベースで軍事訓練し、そこを拠点に都市へ出撃する連合赤軍の目的
 ☆永田氏は逮捕され、残った連合赤軍は、警察に迫い込まれて浅間山荘に立て籠る

傍らには常に”強い男”
 ☆永田氏の男遍歴をよく眺めれば簡単な事実がわかつてくる
 *永田氏は常に傍らに強い男を必要としていた
 *永田氏にとつて都合がよい、権力を持っている男であることが多い
 ☆永田氏は、関係により、組織内での影響力を高めた
 *下獄した後は、幹部の坂口と『同志的結合』をした
 ☆永田氏が坂口と別れて森恒夫と結婚したのも自然なのである
 *連合赤軍では森が最高権力者だった
「おとめ乙女」した女
 ☆拘置所内で永田氏と文通をした人物は永田氏の印象述べている
 *『おとめ乙女』していて、実に純真で無邪気な女
 ☆女性同志に対する永田氏の『総括』は、陰湿なものだった
 *大小便を垂れ流しにさせ、自分で自分の髪の毛を切らせたりする
 *耐えがたい恥辱を味あわせるのが常だった
 ☆永田氏は、獄中で「総括」と称するリンチ殺人をボールペン画を描いていた
 *年齢不相応の、少女漫画チックな異様な絵である
 ☆死刑執行を前、脳腫瘍のため東京拘置所で獄死
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詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』












左翼の人物と事件・最終回(田宮高麿氏、永田洋子氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)




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左翼人物と事件9(黒田寛一氏、本多延嘉氏、重信房子氏)

2020年01月11日 | 左翼右翼
黒田寛一氏、本多延嘉氏

 ☆「内ゲバ」とは、暴力が内部に実行されること
 *仲間同士の揉め事一般にも使われる
 ☆1970年以降、内ゲバは中核派、革マル派の流血の抗争で行われた
 ☆両派の死者は100人近くを数え、、重傷を含めた負傷者は千人単位

異なる内ゲバ論
 ☆両派は、争いを内ゲバであることを否定する
 *中核派書記長、最高指導者の本多延嘉氏述べる
 (二つの集団での闘争では死者が出るのは当然)
 *革マル派の最高指導者は黒田寛一氏述べる
 (中核派の殺人行為に対する組織防衛)
 ☆同じ内グバでも両派によって意味が違う
 *中核派は大衆運動・直接行動優先
 *革マル派は革命を行う党の構築を優先する
 ☆本多延嘉氏、黒田寛一氏
 *日本共産党の議会主義に反旗を翻した時の主要メンバー
革マル派に殺された本多氏
 ☆本多氏は隠れ家で、革マル派に襲撃され、殺される
 ☆中核派は報復戦に出たが、世論の風当たりは強く両派の内グバは下火となる
 ☆本多延嘉氏は名家の生れで、中学生で日本共産党に入党
 *弁舌と組織づくりの巧みさは、新左翼内で注目されていた
 *カリスマ性もあつたため、たちまち人を集めた
 ☆黒田寛一氏は独学でマルクス主義を学んだ
 *黒田氏の人格が、革マル派の秘教的性格をつくつた
 *中核派の襲撃を逃れ抜き、埼玉の病院で78歳で死んだ

重信房子氏

 ☆日本赤軍の重信房子が大阪の高槻で逮捕された
 *日本を出国し丸々27年間、姿を消していた
 ☆オランダで起きた「ハーグ事件」の共謀共同正犯の罪で起訴された
 *無期懲役の求刑に対して懲役20年の刑が言い渡された
 ☆日本赤軍のリーダーだった重信房子氏

「戻るな」と言った父
 ☆日本赤軍によるテルアビブ空港乱射事件が起きた
 *パレスチナに渡った日本赤軍幹部として重信房子氏の名が報道された
 ☆2年前の浅間山荘事件
 *重信氏の父のもとには嫌がらせや脅迫が殺到していた
 ☆重信の父は、「重信房子の父として」と題された手記も残している
 *「房子が外国へ行くとき、わたしは『戻るな』と言った
 *どこへ何をしに行くのか知っていたわけではない
 *革命家というのは、大きな流れの中で寂しくてきびしい思いをする
田宮高麿との結婚を嫌う
 ☆重信房子氏は家に学生運動のメンバーをよく連れて来ている
 ☆重信房子氏の父の手記の結びの言葉
 *房子は海のかなたに去った
 *アヒルは岸にはもどらないだろう
 ☆房子氏は、パレスチナヘ入ったのは、パレスチナ人と共闘する為
 *パレスチナを根拠地として世界同時革命を闘おうという目的
 ☆重信房子氏逮捕の変貌ぶりから「ふつうのオバサン」と椰楡された
 *重信房子氏を罵る言葉は右からもない
 *重信房子氏は、左にとっては今も「全共闘のジャンヌ・ダルク」
 ☆重信氏のパレスチナ行き
 *田宮高麿が関連しているという話がある
 *赤軍派議長から房子氏に、北朝鮮に渡って田宮と結婚せよとの指令
 *結婚を嫌った房子氏が思いつきでパレスチナ行きを決意したとの噂も
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左翼人物と事件9(黒田寛一氏、本多延嘉氏、重信房子氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)





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左翼の人物と事件8(浅沼稲次郎氏・太田龍氏)

2020年01月10日 | 左翼右翼
浅沼稲次郎氏

 ☆浅沼氏は、巨漢に独特のだみ声で、右翼に暗殺された
 *社会党の戦闘的な左派だったと誤解されている
 ☆浅沼氏は自らを”正統派”と呼び、社会党の激しい派閥争いからは距離を置いた政治家
 ☆出身は右派であり、天皇・皇室尊重というよりは、崇拝者だった

”日中共同の敵”
 ☆浅沼氏が、右翼の目の敵にされて暗殺された大きな要因
 ☆右翼がとりわけ問題にした点
 *浅沼氏が語った「アメリカ帝国主義日中共同の敵論」
 *社会党内部からも批判があった論だが、前後を読めば偏った反米論ではなかった
 *演説の原稿を書いたのは浅沼氏ではなく同行していた左派の社会党員
 ☆浅沼氏は、社会党の委員長の職にあったから暗殺されたともいえる
 *浅沼氏は、国民的人気ものでもあった
 ☆浅沼氏の生活は、粗末なアパートに暮らし
 *浅沼氏は、背広も靴も鞄もボロボロで頓着しなかった大衆政治家
 ☆戦前から、左翼の闘士であり、逮捕歴もあり、警察から凄絶なリンチも受けている
2回神経を病む繊細さ
 ☆理論家ではなかったが、浅沼氏の演説はわかりやすかった
 ☆運動で培われた声の迫力もあって、時に国民を熱狂させた
 ☆風貌と行動力から「人間機関車」とあだ名された
 ☆浅沼氏を豪傑と見る国民も多かった
 *誤解で、浅沼氏は2回神経を病んで入院している
 *浅沼氏の病歴を殺害者は知らなかった
 ☆浅沼氏に関して、殺害者が知らなかったことが更にある
 *浅沼氏は庶子(私生児)であった
 ☆浅沼氏の死後、日本社会党は国民の生活からかい離した理論闘争となる
 ☆浅沼氏という大衆政治家の損失は大きかった

太田龍氏

 ☆『300人委員会』本の内容
 *国際的な秘密組織があり、300人が世界の歴史を牛耳っているとの内容
 *ケネディ暗殺もコンピュータ2000年問題もその委員会の陰謀によるとされている
 ☆日本版の訳者は太田龍氏

「革共同」結成の立役者
 ☆太田龍氏は、日本の左翼運動に名を残す一人
 ☆新左翼運動の黎明を告げる日本トロツキスト連盟の設立者の一人でもある
 ☆日本共産党が「六全協」で武力革命を捨てて以降
 *革命を指導する党をどうつくるかが日本の左翼の最大の課題だった
 *太田氏はそこに参加した一人、その後はポジションを転々とする
 ☆太田氏は、実際の活動の実績はないが、言葉だけでカリスマになった
 ☆「東アジア反日武装戦線」の理論は、太田氏の影響を受けたものだった
 ☆「東アジア反日武装戦線」組織による三菱、三井爆破事件
 *三菱重工業ビル、三井物産、鹿島建設が連続爆破された事件
 *三菱重工業ビルの爆破では8人が死亡、376人が負傷
エコロジーから反ユダヤヘ
 ☆太田氏はエコロジー運動にのめり込んでいく
 ☆「日本みどりの党」の結成に参加して参議院選挙に立候補する
 ☆エコロジーの次に選んだのは”反ユダヤ主義”である
 ☆最晩年の太田氏
 * 靖国神社に参拝し玉串料を捧げるナショナリストに変貌していた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
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詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』












左翼の人物と事件8(浅沼稲次郎氏・太田龍氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)

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左翼人物と事件6(荒畑寒村氏、松本治一郎氏)

2020年01月07日 | 左翼右翼
荒畑寒村氏

 ☆明治末期、若き荒畑寒村氏は、社会主義運動に身を投じる
 ☆『平民新聞』の編集にも携わるようになり、多くの左翼活動家たちの知己を得る
 ☆荒畑氏は、自由を標榜する無政府主義者たちと活動することができなかった
 ☆荒畑氏は、共産主義や無政府主義者と位相を異にした社会主義者の典型を目指した
 ☆荒畑氏は何度も検挙されながらも、終戦まで生き抜く
 ☆日本社会党の結成にも参加し、代議士を二期努め左翼運動の語り部となった

松本治一郎氏

 ☆地区の出身で「解放の父」と呼ばれている松本治一郎氏
 *松本氏が、解放運動に打ちこんだのは明治から大正に代わる頃
 ☆徳川幕府によって制度として固定化された身分
 *明治政府の「解放令」によつて廃止される
 *それでも、差別は変形するか潜在し続いていた
 ☆松本氏は、日本各地に点在する被差別民の声をひとつのものにした
 ☆松本氏は、土建業経営と解放運動に携わって生涯を過ごす
 ☆松本氏が主役になった「カニの横ばい拒否事件」
 *一般の教科書には載っていないが、国会を揺るがした大事件

天皇への拝謁を拒否
 ☆第二国会開会式で、衆参両議院の正副議長が天皇に拝謁することになっていた
 ☆拝謁する人間は、天皇に顔を向けたまま横向きに退出することが習慣化していた
 *天皇に尻を見せるのは失礼であるとしてつくられた慣習
 ☆松本治一郎氏は拝謁を拒否した「カニの横ばい拒否事件」
 *「カニの横ばい」は、松本が名付けたもの
 *占領軍が松本を支持して、国会内の騒動は収まった
 *松本氏のもとには多数の脅迫状が送られてきた
 ☆この時以来、衆参両議院正副議長の拝謁は廃止された
 *その後なし崩しに復活したという話もある
松本氏の複雑で深い人脈
 ☆松本氏は戦後、解放同盟の結成を推進して中央執行委員長に選ばれた
 *今も解放運動の象徴的な存在
 ☆松本氏の経歴は、単純ではなかった
 *土建業ではヤクザとの流血の抗争も、またつきあいもあった
 *政治社会の人脈は左右に及んだ
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左翼人物と事件7(荒畑寒村氏、松本治一郎氏)
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左翼の人物とその事件5(徳田球一氏、野坂参三氏)

2020年01月06日 | 左翼右翼
徳田球一氏

 ☆破防法(破壊活動防止法)は、日本共産党の活動を対象として制定された
 *戦後対象とされた日本共産党の活動とは、武装闘争
 ☆今の日本共産党の党史では”分派による跳ね上がりの冒険主義”とされている
 ☆武装闘争は、党中央の機関決定とソ連が牛耳る上部組織の支持を得た
 ☆日本共産党が正式に採用した路線だった
 ☆武装闘争は、"1955年の六全協で正式に終止符を打った
 ☆その時代の象徴だったのが徳田球一氏であった

コミンフォルムの指令
 ☆徳田氏自身は、武装闘争を考えていなかった戦後の当初の資料では読み取れる
 ☆コミンフオルムの平和革命論批判より
 *朝鮮戦争が始まった翌年、日本共産党が武装闘争路線を採用した
 ☆コミンフオルム(ソ連共産党)の狙い
 *日本共産党の武装闘争
 *アメリカ軍の前進基地化していた日本国内に混乱を起こすことだった
 ☆これらの動きは、アメリカの情報機関が知るところだった
 *治安維持を目的とした日本の再軍備が提議され、警察予備隊が設立される
 ☆徳田氏に率いられた日本共産党は武装闘争を実施した
 *破防法はさほどの反対もなく成立した
 *共産党は「山村工作隊」「中核自衛隊」などの武装組織をつくって活動した
 *展望も指導者もない活動だった
血のメーデー事件
 ☆武装闘争は、現在の日本共産党では、″なかったこと″のように扱われている
 ☆実際に中核自衛隊や山村工作隊員として武装闘争に身を挺した元共産党員もいる
 ☆日本共産党は占領軍により公職追放(レッドパージ)を受けた
 *徳田氏たち指導部は地下に潜り、「人民艦隊」と呼ばれたボロ船で中国に亡命した
 *スターリンが死に、朝鮮戦争が終ってコミンフオルムの方針が変わる
 *武装闘争路線は捨てられる
 ☆日本共産党は、六全協で徳田氏らの指導を分派行動と断定して批判し、闇に封じこめた
 ☆その後、共産党の実権を握った宮本顕治

野坂参三氏

 ☆日本共産党のシンボルだった野坂参三氏は、101歳で死去した
 *共産党の機関紙『赤旗』は社会面の片隅で小さく報じた
 *野坂氏は、1年前に共産党を除名されていた
 *除名の理由は同志を密告したというもの
 *『赤旗』は「恥ずべき行為」であると糾弾した
 ☆当時、モスクフのコミンテルンには世界中から共産党員が集まっていた
 *日本人共産党員は、野坂参三氏と山本懸蔵が中心
 *野坂氏は、ソビェト内務省人民委員会に山本懸蔵がスパイだと密告する手紙を送った
 ☆ソビエト市民になっていた山本
 *国家反逆罪で死刑が宣告され、翌日、銃殺された
早くからあつた密告説
 ☆野坂氏が山本を”売った”疑惑は戦後早くから口にされていた
 ☆この時代のスパイの告発はほとんどノルマ化していていた
 *他人を密告しなければ自分が疑われた
 ☆野坂氏がスターリンの大粛清を無傷で生き残ったこと自体奇跡
 ☆治安維持法により日本で逮捕された野坂氏
 *眼病の手術で釈放され、そのまま日本を脱出してモスクフに渡っている
「何も言うことはない」
 ☆野坂氏がモスクフに秘かに渡った時、世話をしたのは山本懸蔵夫妻だった
 *山本夫妻はソ連で悲惨な生活を過ごした
 ☆野坂氏は、敗戦の翌年、夫婦ともども凱旋将軍よろしく日本に帰国した
 ☆密告の手紙の存在が明らかになる
 *共産党は13回、野坂を査問しているが、その内容は漏れてこない
 ☆日本共産党除名処分の決定に関して
 *「何も言うことはない」として野坂氏は口をつぐんだ
 *その後はマスコミの取材にも高齢を理由にして姿を現さなかった
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左翼の人物とその事件5(徳田球一氏、野坂参三氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)






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左翼の人物と事件4(小林多喜二氏・宮本顕治氏)

2020年01月04日 | 左翼右翼
小林多喜二氏

 ☆権力に殺害された結果、期せずして伝説となった作家
 ☆現代ても、日本共産党の支持者やシンパから、愛されている作家小林多喜二氏
 *権力による弾圧の悲劇を語り継ぐための大きな存在になっている

貧因と向き合う
 ☆小林多喜二氏は、多くの労働者たちの姿を見ながら育った
 *苛酷な開発工事に従事する労働者たち
 *タコ部屋から逃げ出すといった事態も珍しくなかった
 ☆貧しさと、働くことの厳しさを目の当たりにしてきた多喜二氏
 ☆共産主義的な思想に傾いていったのは、自然ななりゆきだった
 ☆多喜二氏は、北海道拓殖銀行に就職するが、小説を書いた
 *『一九二八年三月十五日』という小説が大きな反響を呼ぶ
 *治安維持法で、左翼を大弾圧した「三・一五事件」を題材にした作品
 *特高警察の度の過ぎた権力行使を決定づける事件を書いた作品
 *特高では殴る蹴るどころか、女性活動家への性的拷問さえ行われた
 ☆その後、多喜二氏は代表作といわれる『蟹工船』を発表した
 ☆多喜二氏は、プロンタリア芸術ムーヴメントの中心となる
 ☆多喜二氏は、非合法だった共産党シンパとしての政治活動にも足を踏み入れた
特高警察の体質
 ☆多喜二氏は、宮本顕治らとともに、東京で地下活動に入っていった
 ☆プロンタリア文学の作家たちが続々と逮捕されていく
 ☆多喜二氏は警察官に捕えられ、築地署に拘引される
 *名のある作家への、過酷な取調べが始まった
 *彼らの拷間が、残酷なものであった
 *多喜二氏は、遺体となって馬橋の家に運ばれる
 ☆治安維持法での左翼勢力の弾圧
 *天皇制国家を守るためという大義があった
 ☆密室で被疑者を拷問死に追い込む特高警察官
 *権力者の醜い特権意識に根ざすものでしかない
 ☆多喜二氏の死は、横暴な権力の犠牲として象徴的な出来事であった

宮本顕治氏

 ☆立花隆が『文藝春秋』に連載した「日本共産党の研究」タブー「スパイ査問事件」

硫酸、焼け火箸
 ☆日本共産党中央委員宮本顕治氏ら4名の関与が疑われていた事件
 *党員を監禁して暴行を加え、2人のうち1人を死亡させた、アジトの床下に埋めた
 ☆暴行は焼け火箸や硫酸も使った陰惨なもの
 ☆宮本顕治氏らは逮捕され治安維持法違反、殺人・同未遂、死体遺棄で起訴された
 *裁判では無期懲役に処せられた
 ☆立花の記事が出て事件が話題になる
 *スパイ査問事件を巡る立花vs共産党の論争は長く続いた
 *宮本氏らとこの査間に加わった古参共産党員・袴田里見
 *リンチ、暴行はあったと発表
 *袴田はこの発言で共産党を除名された
多数のスパイが暗躍
 ☆事件当時の共産党は君主制の廃止、天皇制の打倒を主張していた非合法団体
 *治安維持法は共産党を対象につくられたもの
 ☆共産党の内部に特高警察のスパイが潜入していた
 ☆伝説的な”スパイM”によって党は壊滅的な打撃を受けた
 *党員の逮捕はおおむねスパイの暗躍によるものだった
 ☆共産党も、コミンテルン経由で入手した拳銃などで武装していた
 ☆不破、志位体制が成立し、宮本氏の影響力が消滅する
 *論争もいつしかなくなってしまった
 ☆宮本氏は、共産党系の代々木病院で老衰のため死去した
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左翼の人物と事件3(難波大助氏、朴烈・金子文子氏)

2019年12月31日 | 左翼右翼
難波大助氏

 ☆虎の門事件
 *貴族院開院式に向かう途中の摂政官(後昭和天皇)の車を、ステッキ銃の凶弾が襲った
 *摂政官は無事で、取り押さえられた男は、警官にさんざん殴られた挙旬連行された
 *男は難波大助氏という青年
 ☆難波氏は犯行動機に、「大逆事件」を引き合いに出した
 ☆難波氏の、自分の学業不振という現状、東大、京大に進んだ兄弟への劣等感があった
 *極度にケチだつた父親への怨みもあった
 *こうした不満が凶行に結びついたという見方も出来る
 ☆大逆罪として難波氏は死刑になった

朴烈・金子文子氏

 ☆1923年は無政府主義者たちへの弾圧が最も激しかった年
 ☆朴烈事件もその一つ
 *朴烈氏は、朝鮮半島から、来日し社会主義、無政府主義の活動家たちと交流を始める
 *朴氏は、金子文子氏と恋に落ち、二人はお互いの気性の激しさに惹かれ合う
 ☆朴氏と金子氏は無政府主義者のグループを組織
 *皇太子(のちの昭和天皇)の爆弾襲撃を計画したとされ、逮捕された(朴烈事件)
 *計画は空想的で、現実味は薄かった
 ☆朴氏と金子氏は、法廷で反天皇制を激烈に主張した
 *金子氏は獄中で首つり自殺した
 *朴烈氏は、朝鮮戦争の際、北朝鮮に連行されたといわれている

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左翼の人物と事件3(難波大助氏・朴烈・金子文子氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)






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左翼の人物と事件2(古田大次郎氏・大杉栄氏)

2019年12月30日 | 左翼右翼
古田大次郎氏

 ☆明治末期から大正期、無政府主義者たちの運動は、権力による激しい弾圧にさらされた
 ☆彼らを勢いづかせてしまうと足元が揺らぐという権力者の危機意識
 *大逆事件や大杉栄の惨殺といった弾圧に結びついた
 ☆幸徳秋水の『社会主義神髄』に影響を受けた古田氏は早大を中途退学し、「ギロチン社」を結成
 *彼らの狙いは、やんごとなき人物へのテロ
 *本富士警察署や、東海道線の鉄橋に爆弾を仕掛けたりもするが、不発に終わる
 ☆彼らは強盗にまで及んでいた
 ☆ギロチン社のメンバーは、ほとんど逮捕され、壊滅し、古田氏も死刑に処されている

大杉栄氏

 ☆戦前戦後を通じ、現代に至るまで、大杉栄のファンは多い
 ☆多くが無政府主義にシンパシーを感じる個人主義者であり、反権力主義者
 ☆甘粕正彦以下の暴挙によって、大杉氏は非業の死を遂げる
 ☆その結果が、彼を無政府主義者のスーパースターにした

女にモテる無政府主義者
 ☆大杉氏は女性にモテたのが、国家権力の反感を買ったであろうことは間違いない
 ☆大杉氏は、女性に痛い目にも遭っている
 *女性にモテたキャラクターが、ファンを増やしていった理由のひとつだろう
 ☆大杉氏が、天皇制リゴリズム(厳格主義)を主導する国家権力に目障りであった
 ☆大杉氏は、関東大震災の混乱に乗じて殺害される
 ☆殺害したのは憲兵大尉・甘粕正彦、憲兵曹長・森慶次郎らであった(甘粕事件)
杉よ!眼の男よ!
 ☆甘粕事件の後、過激性を増してテロに走り死刑となった無政府主義者
 ☆中浜(ギロチン社)の追悼詩が、大杉氏の眼力を描写している
  *『杉よ! 眼の男よ!』と俺は今、骸骨の前に起って呼びかける。彼は黙ってる
 ☆大杉氏は「個人の力」を誰よりも知悉(ちしつ)していた
 ☆そのため強い個人主義の行使として派手な女性関係を演じる
 *保守主義者たちの反感を買うことになった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』










左翼の人物と事件(古田大次郎氏・大杉栄氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)



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左翼の人物と事件1(幸徳秋水氏・堺敏彦氏)

2019年12月29日 | 左翼右翼
幸徳秋水氏

 ☆日本の社会主義運動、無政府主義運動者
 *近代日本では、幸徳氏をおいて他にない
 ☆彼が死刑に処せられた「大逆事件」
 *日本の国家権力と左翼運動の対立関係を予見させる出来事だった
 ☆大逆事件は、明治天皇を爆弾で晴殺しようとした計画が発覚したもの

具体性なき爆殺計画
 ☆裁判は審理らしい審理もなく、強引な決着は大逆罪」の規定によるものだった
 ☆大逆罪
 *天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子に危害を加えようと計画したら死刑規定
 ☆天皇を中心とした国家体制維持のため、幸徳氏以下12人を死刑に処すという決着
 ☆この事件の裁きが不当であったと、疑問をを投げかける研究者は多い
 ☆幸徳氏は見せじめ的に死刑になったという理解が一般的になっている
『萬朝報』から『平民新聞』ヘ
 ☆大逆事件に巻き込まれるまで
 *幸徳氏は新聞記者として精力的に言論活動に取り組んでいた
 ☆幸徳氏『萬朝報』紙面において、非戦論を訴えた
 ☆左翼の源流である幸徳と反戦思想は、切っても切り離せない
 ☆幸徳氏は非戦論を主張できなくなった『萬朝報』を去る
 ☆『平民新聞』を創刊し、言論の場を自ら確保した
 ☆そして非戦論や韓国併合反対を訴え続けた
 ☆言論人としての幸徳氏
 *議会制による段階的な社会主義革命を支持していた
 *渡米後、無政府主義思想を強めていった
 *無政府主義はマルクス主義に敗北していく
 ☆幸徳秋水氏は死刑判決を受けた法廷で
 *「無政府党万歳!」と叫んだ
 ☆左翼の原点と称される彼の誇りが、この叫びを生んだ

堺敏彦氏

 ☆堺氏は幸徳とともに「平民社」を設立し、『平民新聞』を発行する
 ☆ここで反戦・平和運動の原点ともいうべき非戦論を展開していく
 ☆日本の左翼にとって、反戦、平和のスローガンが定番
 *この時期の活動家による影響が大きい

赤旗事件という分岐点
 ☆社会主義者、無政府主義者たちは、一枚岩だったわけではない
 ☆現代の左翼陣営にも通じる内部対立、分裂の図式は当時からすでにあった
 ☆「赤旗事件」は、左翼活動家たちのスタンスの違いが浮き彫りになる事件だった
 *赤旗事件は、集会帰りの社会主義活動家たちと警察官が小競り合いになった事件
 *一人の巡査がだれかの持っている赤旗を無理やり取りあげようとしていた
 *多くの男女はそれを取られまいとして争っていた
 *堺氏は制上に飛び回ったが、結局、検挙される
融和的な社会主義活動家
 ☆堺氏が無政府主義者ではなく社会主義者
 *何度も入獄はしているが、堺氏は融和的な社会主義活動家
 *極左的なラディヵリズムとは縁遠いキャラクターだといえる
 ☆堺氏のバランス感覚
 *無産政党の組織への尽力と、選挙への出馬というかたちで表れている
 *東京市議会議員にトップ当選して政治家となった
 ☆晩年は苦しい日々が続いた
 *脳出血で倒れてからの堺氏は、狂気じみた状態に陥った
 *混乱して暴れることもあり、かつての冷静な人格は見る影もなかった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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左翼の人物と事件(幸徳秋水氏・堺敏彦氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)





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右翼の人物と事件7(野村秋介氏・葦津珍彦氏)

2019年12月27日 | 左翼右翼
野村秋介氏

 ☆戦後の日本のあいまいさを批判
 ☆”右翼のシンボル”の壮絶な最期
 *野村秋介氏が、朝日新聞本社役員室で短銃自殺した

3発の銃弾が貫通
 ☆野村氏は長年にわたって激しく朝日批判をしてきた
 ☆朝日新聞のあり方に対する抗議だった
 ☆野村氏は、朝日新聞が容共親左翼的であるとかの表面的な批判をしてきたのでない
 ☆戦前戦中の記事までさかのぼって、その言論機関としての無責任さに抗議をしていた
網走刑務所で右翼に
 ☆野村秋介氏が右翼活動に目覚めたのは
 *網走刑務所に入所していた時、五・一五事件の三上卓の門人と出会ってから
 ☆出所すると三上の門を叩き、野村氏は傑出した行動派として知られるようになる
 *国政を腐敗させる元凶として河野一郎の屋敷を襲って火をつける
 *「ヤルタ。ポツダム体制」の安住者として経団連を襲撃して立て籠もる
 ☆野村秋介氏の純粋さ
 *朝日新間に代表されるような、言論の無責任を野村氏は許せなかった

葦津珍彦氏(あしずうずひこ)

 ☆戦前・戦中を貫く”右翼文将”としての重み
 *葦津珍彦の戦前からの一貫した冷徹な理論
 *右翼陣営のよりどころとされ、存在感は「文将」という言葉にふさわしい
 ☆神社本庁設立に尽力

「鎮魂」の重要性を説く
 ☆GHQの指令のもとに日本の神道界は厳しい状況に置かれていた
 ☆神社信仰は、太平洋戦争を引き起こした諸悪の根源のように見なされた
 ☆天皇制とともに廃止抹殺の声があがった
 ☆政治体制だけでなく、日本の歴史や伝統までもが否定されようとしていた
 ☆葦津氏は、民間にあって神社本庁の設立に尽力した
 ☆葦津氏の信念
 *祭祀を中心とする文化のなかにこそ日本が存在するという
 *日本人の精神として「鎮魂」の重要性を説いた
 *志というのは、逝った友を偲び、帰幽した人を追憶する心によって保持されるとした
西郷隆盛、頭山満に信服
 ☆右翼の系譜につながる二大巨人といわれる人物(西郷隆盛、頭山満)
 ☆葦津氏が戦前に私淑していた頭山満と、頭山が敬愛していた西郷隆盛
 ☆葦津氏は、西郷を”絶世の英雄”と讃えた
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(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)


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右翼の人物と事件6(山口氏・三島氏)

2019年12月14日 | 左翼右翼
山口二矢氏

 ☆山口二矢による浅沼稲次郎社会党委員長刺殺
 *日米安保条約反対運動抜きにしては考えられない
 ☆新安保条約は、国論を二分して争われた
 *最大時には35万人という国会を取り囲んだデモ隊
 *主役は学生と労働団体だった
 ☆「アンポ反対」の声
 *右翼から見れば、共産主義者が扇動してるとしか見えない
 *右翼には、日本の国体を崩壊させようとする叫び声に聞こえた
 ☆浅沼稲次郎刺殺事件の犯人は、当時17歳の山口二矢氏

山口氏テロ決行を決意する
 ☆愛国党を辞め、いくつかの右翼団体に出入りした山口氏
 ☆家に戻り、その家には刃渡り1尺のヒ首があった
 ☆テロ決行の機会を待った
 *多摩川の河原で木の枝をヒ首に見立てて持ち、テロの練習を重ねた
いくつもの偶然同時に起こった
 ☆山口氏がテロのターグットとしていた人物
 *日本共産党の野坂参三、日教組委員長の小林武、浅沼稲次郎の三人
 *山口氏の眼に入ったのが、日比谷公会堂での三党党首演説会の記事
 *そこに、浅沼稲次郎の名があった
 ☆山口氏は、党首会談入場券の切符を持っていなかった
 *人り口の係官が入場券を”好意”でくれたので入ることができた
 ☆偶然浅沼の警備に隙ができていた
 *山口氏はヒ首の鞘を払って浅沼の巨体をめがけて突進した
 ☆山口氏は東京少年鑑別所で自決した
 ☆部屋の壁には歯磨き粉で「七生報国、天皇陛下万歳Jと書かれていた

三島由紀夫氏

 ☆陸上自衛隊東部方面総監部は市ヶ谷台の上に置かれていた
 ☆三島氏は同志らと市谷台訪問し、クーデターの呼びかけた
 *失敗するや自害して果てた
 ☆著名作家の驚天動地の自殺、切腹というショックに世界中が驚愕した
 ☆自衛隊を舞台に挙行されたクーデター未遂事件
 ☆誰よりも驚いたのは政府関係者であったろう

すべてが「死」に向かった
 ☆この時代、日本は高度成長の真っ只中
 *政府は左翼過激派対策だけを考えておけばいいと考えていた
 *憲法改正、国防など重要課題は、先送りという体たらくであった
 ☆三島由紀夫氏は孤独な闘いをしていた
 *三島氏は「楯の会」会員と自衛隊の体験入隊を繰り返していた
 ☆自衛隊との窓口になっていた山本舜勝、「楯の会」の事実上の指導官
 *山本は、事件後に三島氏が政府に提出したという『建白書』を月刊誌で発表
『建白書』
 ☆内容は「武士道と軍国主義」と「正規軍と不正規軍」という2本仕立
 ☆三島氏はこの『建白書』で
 *戦後の国際戦略の中心にあるものは核であると規定している
 ☆核により、世界大戦が回避され、どの国も総力戦態勢をとれないとしている
 ☆防衛問題の前提として天皇の問題を指摘
 *人命よりももっと尊いものがあるという理念
 *国家のなかに持たなければならないと主張
 ☆『建白書』は、現在の安倍内閣の教育や国家防衛の基本方針に近い内容
 ☆憂国の絶叫が三島氏への評価を変えた
 *世界を駆け巡った彼の壮絶な死、日本の右翼陣営にも激震を走らせた
 *「新右翼」が三島氏に続けと活動が活発になる
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右翼の人物と事件7(赤尾氏・児玉氏)

2019年12月13日 | 左翼右翼
赤尾敏氏

 ☆銀座の数寄屋橋で毎日のように「親米反ソ」のがなり声で、時局演説を繰り返す
 ☆赤尾氏は、青年時代には一時社会主義運動に傾いた時期があった
 ☆赤尾氏は突飛なことを考えた
 *労働者の祭にメーデーがあるなら、国民的な祭り「建国祭」を思いついた

「建国祭」を実現
 ☆第一回建国祭は、皇居前広場で、10万人以上の人が集まった
 *赤尾敏氏は右翼として鮮烈なデビューを果たした
 ☆建国会は、単なる右翼団体ではない
 *社会主義思想も加味した理論的にもしっかりした団体だった
 ☆国家主義団体のなかで、最初に「国家社会主義」を標榜した
数寄屋橋の反骨右翼
 ☆赤尾敏氏が数寄屋橋で時局講演を始めたのは“64年頃から
 *日本愛国党の総裁として、雨の日も風の日も街宣車の上に立った
 ☆赤尾氏の信念を支えたもの
 *戦後台頭してきた左翼勢力に対する警戒心だった
 *街宣車には、いつも日の丸と並んで星条旗が翻っていた
 ☆赤尾氏は児玉氏や笹川氏のリッチな右翼にくらべて清貧のイメージ
 *大企業のガードマンをやったり、債権取り立て等はしてない

児玉誉士夫氏

 ☆児玉氏は、日本の政治経済の裏面で糸を引いていた人物

”超”黒幕の誕生
 ☆戦前は右翼テロリストとして名は知られていた
 *戦後の巨大さを想像させるような大物ではなかった
 ☆中国に渡って、海軍の委託をうけて物資の調達に当たる
 *資金面での才能が開花したようだ
 ☆戦後、鳩山一郎が総理になれたの、児玉氏が提供した莫大な資金があったおかげ
 ☆児玉氏は、政界・財界・CIAを通じてアメリカにも広範なネットワークを持つ
 *情報網のなかで依頼事や揉め事を処理できる最高度の技術を持った人物だった
 ☆児玉氏は、ヤクザや暴力団といわれる組織へも顔がきいた
 ☆ある一つの事件が起こる
 *児玉氏が一方の当事者につく、敵対する当事者には児玉に親しい某がつく
 *児玉と某は表に顔を見せることはない
 *裏方同士で話を決めてしまう
 ☆こういう芸当ができる日本一の腕を持っていた
60年安保で右翼を結集
 ☆60年安保改定を前に岸内閣は窮地に陥っていた
 ☆国会周辺は学生、労働者のデモが連日押しかけ、”革命前夜”の様相を呈していた
 ☆国会議事堂南通用門で繰り広げられた学生と機動隊の死闘
 ☆社会主義革命への危機感を募らせた右翼陣営は、児玉氏を頼った
 ☆児玉氏は見事にこの期待に応えた
 *一人一党、バラバラの主張を唱える陣営をひとつにまとめた
 *左翼勢力に対して、武力闘争も辞さないと右翼の気迫を見せつけた
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右翼の人物と事件6(津久井氏・三浦氏)

2019年12月12日 | 左翼右翼
津久井龍雄氏

 ☆戦後強くなったものは、女と靴下、弱くなったのは、男と右翼
 ☆戦前から日本の右翼運動を見つめてきた津久井龍雄氏
 ☆戦前の右翼は、時の政権や政局を左右するだけの巨大な力を持っていた
 ☆戦後になるとGHQの右翼団体の解体、運動資金パイプの崩壊など
 *右翼の力は一気に弱体化した

戦後右翼に喝!
 ☆津久井氏は、敗戦を群馬県の疎開先で迎えている
 ☆東京に戻って来た津久井氏の目に映る日本はやはり大きな違和感を抱かせた
 *占領軍のいいなりで新しい国づくりがはじめられていく状況
 *次々と断行されていく改革という名の日本人の精神をないがしろにする制度の変化
 *敗戦を食いものにして私腹をこやす一部の政治家や役人、資本家、言論人
 ☆津久井氏は、右翼団体の結集を呼びかけた
 *「敗戦ボス」を駆除し、アメリカの隷属下から自立した日本を建設する目的で
 ☆津久井氏強大な運動体が必要と考えた
 *津久井氏が自ら先頭に立って「東風会」を結成、右翼勢力の大同団結を呼びかけた
 ☆「敗戦ボス」に堕した右翼人も多く、この運動は1年で崩壊
共産中国へ右翼一番乗り
 ☆共産主義、何ら恐るるにたらずと意気軒昂な津久井氏
 *右翼勢力の結集がままならなと知る
 *マコミを通じての活動を積極的に展開する
 ☆中国に毛沢東政権ができて5年しか経っていない頃
 *中国を視察して来ようという感覚を持った津久井氏
 *やはり凡百の右翼とは一味違った人物であった

三浦義一氏

 ☆戦後いち早く右翼人として活動した人物
 ☆「無謬(むびゅう)の黒幕」などと呼ばれて、政財界への影響力を誇った
 ☆多くの伝説も生まれ「東条英機の引渡し」伝説が有名
 ☆三浦氏が提案した終戦工作
 *東条を説得してアメリカに連れて行く
 *ホワイトハウスで切腹させ、介錯は三浦氏自身がやるという奇想天外なもの

東条英機を”売る” 
 ☆戦後三浦氏自身も戦犯容疑で身柄を拘束され、病気を理由で釈放されている
 ☆昭和電工疑獄事件が政界中枢を襲う
 *この事件が三浦氏の発言力を大きくしたといわれている
 ☆昭電疑獄の背景には、GHQの内部対立がからんいた
 *三浦氏は自由党に接近するG2側に立つ
 ☆G2側勝ち、これを機にGHQの占領政策が変化する
 *社会党を含む中道路線から自由党に重心を置く保守路線に変わった
 *G2内に情報網を持ち、多くのシンパを有した三浦氏
 *吉田内閣の黒幕として隠然たる存在感を示す
室町将軍
 ☆三浦氏は東京日本橋の室町の三井ビル内に事務所を構えていた
 *マスコミ関係者などの間で「室町将軍」と呼ばれた
 *”将軍”の全盛時代は、5分刻みに訪問客が現れた
 ☆三浦氏は、一万田氏の裏方をやっていたようだ
 *一万田氏は、日銀総裁、蔵相歴任
 ☆三浦氏の晩年はちよつぴり悲しい
 *オレのやったことで書き残すに値するようなことは一つもない
 *恥多き人生、 つまらん一生だったと述べている
 ☆政界への絶大な影響力を誇った三浦氏
 *孤独に悩む一人の人間だったのかもしれない
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右翼の人物と事件5(笹川良一氏)

2019年12月10日 | 左翼右翼
笹川良一氏

 ☆一般の男にとって欲しいものは金と女
 ☆人前でいい格好がしたい。これがごく普通の男の願望であろう
 ☆これらを、全て高いレベルでやり遂げた男が笹川良一氏
 ☆生前、自らテレビコマーシャルに出て訴えている
 *「お父さんお母さんを大切にしよう」「戸締り用心、火の用心」と唱和
 *何のために、何千万円、何億円という金を使っていた
 ☆笹川氏に正面きったケンカを挑む人間はいなかった
 *彼は日本政府の治外法権、タプーであった
 *思想、信条を言い合う前に人間としてのパワーが違った

「桁はずれの男だ」
 ☆沖縄返還交渉のため、佐藤栄作首相が訪米しようとした日
 *公安筋から笹川氏のもとに過激派集団の襲撃目標との連絡が入った
 *笹川氏は警視庁の警備を断り、自前の私兵で迎え撃つことにした
 *彼の私兵は、彼が関係する宗教団体や武道関係者
 ☆笹川氏は、遠足の日の子供のように楽しげな様子だったという
アジア反共組織を推進
 ☆笹川氏は、資産家の家に生まれ、相当の遺産を手にした
 ☆笹川氏は、右翼団体「国粋大衆党」を組織して総裁になる
 *党員数1万5000人の大組織
 *自前の飛行機を20機以上所有
 *本人自らも自家用機でローマまで飛び、ムッソリーニに会いに行っている
 ☆笹川氏は戦後も黙ってはいない
 ☆戦犯リストA級戦犯を志願
 *法廷でアメリカに言いたいことを言うのだと意気軒昂
 *巣鴨刑務所に向かう時は軍艦マーチを奏でながら行進した
 ☆笹川氏は収監中
 *アメリカの雑誌『ライフ』を見てモーターボート事業を思いつく
 *戦後も競艇事業のドンとして見事に復活
 *莫大なテラ銭のあがりで政財界に睨みをきかす
 ☆反共右翼としての顔
 *「原理運動」への並々ならぬ傾倒
 *原理運動とは、韓国人、文鮮明が創設した統一教会という宗教団体の運動
 *反共産主義運動の砦となっている
 ☆笹川氏がこの運動のスポンサー、推進者となった理由
 *文の純粋な信念に基づいた行動に感動したから
 *行動的な新しい宗教を育てることで、共産主義と対決できると考えた
 ☆文鮮明が来日した時には、アジア反共連盟結成準備会を開催している
 *この時の集会が発展して国際勝共連合となった
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