錫 杖 流

我流を貫く自由人です。

ユキワリイチゲ 2019 3.20

2019-03-25 | 花日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

takayanさんご夫妻とはりさんご夫妻とユキワリイチゲに集いました。

3/20

 

 

旅に出て来ます。

今度は九州の春をドライブしながら追って見ます。

 

 

 


東洋のガラパゴス 小笠原諸島へ ファイナル 「いってらっしゃい〜」

2019-03-24 | 小笠原諸島

小笠原諸島を離れるその時が来た。

いつでもそう

この一期一会で終わってしまうのか

この人ともう逢えないのかと思うと

人間は極まって来ますね

滞在はわずか3日間でしたが

私には時間の概念を超えてとても豊かな時間を得ることができました。

太平洋上の島国の文化は、ポリネシア系の風土が影響しています。

沖縄でもなくハワイでもなく唯一無二の風土が培われています。


小笠原の最後のおもてなしは

名物 見送りの儀式

出航する際に気持ちの入った見送りをしていただきます。


私が乗船したした日は地元の高校生が卒業し、

東京に出発する日

ものすごく気合の入った見送りでした。

思わず釣られ涙しました。

 

島の子供達の瞳はとても澄んでいて

滞在中、

夕暮れ時に公園で遊ぶ子供達を見てるだけで幸せな気持ちになれました。


気持ちの込もった言葉や行動は

人の心に響きます。

では、小笠原ファイナル

「いってらっしゃい」の巻です。


小笠原の歌姫okeiさんの歌「大切なもの」に併せてご覧ください。

 

大切なもの/『 u 』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いってらっしゃ〜い

いつでも帰ってこいよ〜
























 

 

 

 

 

 

 








素晴らしい島旅でした。

 

 



そして

また旅に出たくなりました。

 

 


東洋のガラパゴス 小笠原諸島へ その9 高台に上がり

2019-03-23 | 小笠原諸島

 

旅の最後に帰りのフェリー乗船まで3時間程

まだ訪問していない三日月山に登って

街を眺めて見ました。

その山は春の海風が駆け上がる気持ちのいい

展望台でした。

ここで港に上がる花火を撮って見たいなと思いました。

船の配船スケジュール(3泊5日)に拘束される旅「小笠原航路」

知り合った男性からは夏がいいと教わったが

私は、ザトウクジラの来島する

3月半ばから2週間ほどがベストな季節だと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の旅のグルメもアップしておきます。

テツヤキッチン

スパイスカレー

 

 

テツヤキッチン

スープパスタ

 

 

 

あめのひ食堂

天丼

 

 

地魚天丼

 

 

 

3泊お世話になった

境浦ファミリーさん

 

 

 

 

 

 

 

 

女将さん手作りの島寿司

 

 

 

あめのひ食堂

地魚のフライカレー

 

 

 

夜は居酒屋さん

目に付いたメニューに日本酒「鈴鹿川」

主人にどなたか知り合いがいるのですかと尋ねると

「いえ。たまたまネットで知って取り寄せた。」とか

私が飲んだお酒で生涯最高の美味さと大絶賛でした。

私の地元のお酒

なんだか嬉しくなりました。

 

レンタカーを返す時間まで半刻あまり

急いで 釣浜へ

 

ボニンブルー

 

この日の朝一番

見える沖合で鯨が跳ねまくっていました。

 


東洋のガラパゴス 小笠原諸島へ その7 船上よりwhalewatching

2019-03-22 | 小笠原諸島

大リーガーイチローさんがいよいよ引退宣言

ユニフォームを脱ぐのかと想うと

ものすごく切なくなってきます。

彼の言葉に感化されたのは30代の頃

 

 

「目標の為にはどんな努力も惜しまない。

高い目標を立てて、それを実現する為に努力を積み重ねる。

それが私の生きる道。」

 

この言葉を自分に言い聞かせてきました。

イチローさん程

レベルは高くはないけど

あの言葉のお陰で今の自分があるとさえ思っています。

 

 

会見インタビューで「人望が無いから監督には絶対なれない」と言い切っていましたが

彼の背中を見てどれだけの人が彼を追い続けてきたことか

そう考えると

人望ってなんだろうかとふと思った。

彼なりの自分表現の言い回しか

 

じっとしていられない性格だと言ってましたね

私も全く同タイプ

 

彼はbaseballに経営者側として携わって行って欲しいな

もっともっとbaseballを

楽しくしてくれることでしょう。

 

小笠原諸島

最終日、whalewatchingお届けします。

 

 

 

 

親子でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ帰りの船に乗るまで粘りの観光をしましょう。

 

 

 

 

 

 


東洋のガラパゴス 小笠原諸島へ その6 南島

2019-03-21 | 小笠原諸島

小笠原諸島を巡る旅も最終日

この日のフェリー乗船時間は夕方3時30分

天気は快晴 言うことなし!

朝早くから行動すれば丸一日遊ぶことができます。

私が選択したのはガイド付きの孤島「南島」上陸と船上からのホエールウオッチングでした。

ガイドしてくれた男性は学生時代に小笠原諸島の素晴らしさにはまって30数年

こんがり日焼けしたナイスガイ

年齢も近いことから

ツアー中、ずっと彼と話していました。

彼と話すことで

小笠原の昨今がよく分かりました。

私もあなたが小笠原にはまった頃

信州の大自然にはまった。

団塊ジュニア

想う処は似てました。

 

 

南島を簡単に説明しておきます。

南島は「沈水カルスト地形」という石灰岩特有の特殊な地形で「ドリーネ」というくぼ地や

「ラピエ」という鋭くとがった岩が見られる父島南西沖の小さな無人島です。
ここは多様な植生に加え海鳥やウミガメの産卵地であり、現在植生回復事業も行なっています。

研修を受けたガイドの同行がないと上陸もできません。

上陸人数は1日100人制限してるものの

ブラタモリの番組をここでしたら

人が押し寄せて

大変なことになると思います。

 

上陸後、展望地に上がり

兄島を眺めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小笠原諸島から帰り早くも1週間が過ぎました。

心身ともにとても充実した毎日です。

 

そして今週末

また離島に向けて出発します。

 


東洋のガラパゴス 小笠原諸島へ その5 母島時間

2019-03-21 | 小笠原諸島

父島から50km南下し母島に到着

滞在時間は約4時間

山登りもしたいし、町歩きもしたい、海風にも当たりたい

レンタバイクを借りようと店を訪問するも

「12時30分までいつもの海で泳いでいます。」と手書きの看板

なんと自由な時間が流れている事か

 

とっても嬉しくなってきました。

限られた時間ですがぶらりと島を歩いてみることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

剣先山に登りました。

 

 

 

 

 

 

 

見えるあの港から剣先山に上がりました。

 

 

 

 

 

 

小笠原諸島最高峰 乳房山

 

 

 

島人が集うガジュマルの木

 

 

 

先ほど登った剣先山は

見えてる右の尖り山

 

 

帰りのフェリーから見送りの親子です。

何をするのかなと思っていたら

 

 

 

 

 

 

回転ダイブで見送ってくれました。

 

気持ちが伝わってきて

じ〜〜〜んと感動

 

気は心ですね

 

母島を後にしました。

 


東洋のガラパゴス 小笠原諸島へ その4 父島〜母島へ

2019-03-20 | 小笠原諸島

旅の3日目に父島からさらに南へ50km

ははじま丸に乗って行ってみることにしました。

目的は山登り。

小笠原諸島最高峰の乳房山に登る事。

このフェリー揺れる事で有名の他

ホエールウオッチング船の別名があります。

天気は快晴ですが、波のうねりは3mと高く揺れました。

私はザトウクジラ1本勝負という事で、初めから500mm砲を準備

その時を甲板から待ちました。


父島から出航すると真後ろにでっかいザトウクジラが

跳ね上がりました。


まさかいきなりのジャンプ

撮り損ねてしまった。

そこから、待てど待てど鯨は飛ばない

鯨を見つけるのはまずは、鼻から海水を吹き出す「ブロー」です。





海水のしぶきがレンズにつきまくります。




航海は2時間ほどです。

母島港に入るやいなや

でっかい鯨が出現







手を振って歓迎してくれてるようです。















カツオドリ








母島に到着する前から

鯨の躍動感にノックアウトでした。


小笠原諸島の良さは

鯨との出会いが醍醐味とも言えますね


母島に上陸します。





東洋のガラパゴス 小笠原諸島へ その3 サンセット

2019-03-19 | 小笠原諸島

小笠原での撮影ポイントは、大きく6つを設定していました。

朝焼け・星空・ボニンブルーの海・ザトウクジラのブリーチング・夕焼け・島人の仲間を想う心

今日は、3日目の夕焼け時の撮影記録をお届けします。


右下に見えるは、魚雷攻撃によって沈没座礁した船です。

小笠原の海には太平洋戰爭で沈没したままの船がまだ150隻以上

眠っているそうです。

太平洋戰爭日本国の最後の砦「硫黄島」への物資は

ここ小笠原島が拠点となっていたそうです。

沖縄でもそうですが、日本の離島は戰爭遺恨がたくさん眠ったままにあります。



















鯨の見える丘「ウェザーステーション」へは滞在中5度通いました。

そこには屋根付きの立派な施設が整備されています。

グリーンフラッシュが有名だそうで

この日の夕焼けを見守っていたのは100名程

皆さん,半袖半ズボンにビーサンです。


水平線上に厚い雲があります。

夕日は難しいなと海を観察してると

画像左下の泡にご注目


そうです

鯨のジャンプ

そこからザトウクジラショーが始まりました。








暖かい海です。

鯨も喜んでますね

大海原を自由にダイナミックに泳いでる様を見てると

自然と幸福感を抱きます。

























ブリーチング



ズーム











目的であった、夕焼けとザトウクジラの撮影ができました。

海を眺めていて

鯨を見つけるだけでも感動するのに

ジャンプしてくれるんですよ


なんとも言えぬ充実感が残りました。





東洋のガラパゴス 小笠原諸島へ その2 島の風景

2019-03-18 | 小笠原諸島

小笠原の海は、深く濃い藍色や瑠璃色を混ぜたような神秘的な色で、ボニンブルーと呼ばれています。

島に住む方との会話から、台風の風害がものすごく

大きな木が育たないのだとか

春に来たなら次は夏の小笠原を体感してほしい

特に、海のベタ凪を見てほしいと熱く語ってくれました。

ものすごく蒸し暑くないのか聞いたところ




風が抜けるので日陰はとても涼しい

朝夕と空気が澄んで星が綺麗だよと




猛烈な海風が当たる東海岸

新緑が崖を駆け上がっていました。








小笠原は海も綺麗だが山も良かった。






ザトウクジラ





























パッションフルーツ




レモンの花












台風情報の第一報は父島から




小笠原檳榔(オガサワラビロウ)




アルプスの稜線にいるかの植生




登山道は島の至る所に整備されてますが

ガイドと同伴でないと入れないです。




港を俯瞰する展望台がたくさん整備されています。

もっと滞在時間があれば

場所を変えて星の撮影を楽しみたかったです。


つづく

 

 

 


東洋のガラパゴス 小笠原諸島へ その1

2019-03-17 | 小笠原諸島

1968年6月小笠原諸島はアメリカより日本へ返還され今年ちょうど50周年。

島の歴史を調べてみると文禄2年(1593)、信州深志(松本)の城主であった小笠原長時のひ孫、小笠原貞頼が発見したと伝えられています。
しかし最初の定住者は日本人ではなく、当時欧米からたくさんやってきていた捕鯨船に、水と食料を供給する為に住み着いた、欧米人5人とハワイ人15人でした。
その後、明治9年(1876)に日本が領有宣言をして、国際的にもここが日本領土として認められました。

ここでの農業は、亜熱帯性気候を生かした果樹や冬野菜の栽培、漁業ではカツオ、マグロ漁のほか、捕鯨やサンゴ漁などが行われ、

大正後期には人口7,000人を超え小笠原の最盛期を迎えました。

最終日にお話したご高齢の住民男性は船乗りでインド洋までマグロ漁船に乗っていたとのことでした。

一旦漁に出ると船内冷凍庫が満タンになるまで帰ってこれなかったと。

 

太平洋戦争を境に、それまでの平和で美しい島の様子が大きく変わります。

昭和19年(1944)には、6,886人の島民が本土へ強制疎開させられ、

硫黄島では日本軍が玉砕し、日米両国を合わせて28,721人の尊い命が奪われました。

戦後、小笠原は米軍の統治下に置かれ、一部の欧米系島民しか帰島を許されませんでした。

全ての島民たちの帰島が許されたのは、それから23年後の昭和43年(1968)6月26日、小笠原諸島が日本に返還された時です。

内地での生活基盤が出来上がった人たちも多く、小笠原へ戻ることを諦めざるを得なかった人も少なくありません。
昭和54年(1979)4月に村政が確立され、自然と共生する村をめざして新しい村づくりが始まりました。

 

学生時代を過ごした信州

松本深志という地名に少なからず縁を感じつつ

旅を楽しみました。

 

行きの船内(雑魚寝部屋)で同室だったのは

W大ダイビングサークルの10名だった。

話を聞いていると卒業旅行だという

与那国や座間味

セブ島にも潜りに行ったとのこと

皆一人一人いい目をしていて

大学生活の充実さを物語っていました。

 

このフェリーで最もいいなと思ったのは

ネットが通じない事

太平洋の大航海

学生さんは大いに語らっていた。

長編の小説を読まれている方も少なくなかった。

夕焼け・星空・朝焼け

そして南下するにつれて湿気を伴い気温が上がっていく様を甲板で感じ取る

五感を刺激してくれるフェリー旅でした。

 

 

3日目、ご来光を待つ若者たちと共に

都会を離れ小笠原に移住してくる若者は多い

島時間の豊かさに反応するのですね

 

 

3日間過ごした父島の繁華街

おがさわら丸が停泊してる間は街が賑わいます。

 

 

 

 

2度目の天の川撮影

海抜0mで天の川が見れます。

 

 

小笠原諸島の雰囲気は

アルプスで例えるなら

島そのものが森林限界の標高にいるかのようでした。

 

次は父島の風景をお送りします。

 
 

乗鞍高原 

2019-03-09 | 乗鞍高原

今晩からまた旅に出かけます。

北海道から帰還し、次の旅の候補を考えながら

自分が今まで時間が無くて出来なかった事

訪問してみたい地を

ノートに書き上げてみました。

結果、日本を時計回りに巡るコースに

着地しました。

訳あって長旅は出来ませんが

1週間単位のプランで

まずは東京から南へ1,000km

小笠原諸島に旅して来ます。


晴れたら・・・良かったのにと結果論的な

考え方は一切しません。

雨でも嵐でもどうしたら最高のパフォーマンスが得れるのか

という「お題」を持って旅しようと思ってます。


目的を達成するために

努力を惜しみません。

物事の良し悪しに否定的な観点は捨てます。

全て受け入れる肯定的な行動指針を持とうと思います。


今日は、北海道の帰り道

お会いして来ました。

乗鞍高原の「友達」です。


ミズナラの巨木です。

夏前



盛夏




紅葉の終わり頃




冬支度前




そして今回

冬の姿





 

では、行って来ます。

今日は、夜行バスで東京まで

明日、竹芝桟橋からフェリー小笠原丸に乗船

24時間の船旅です。

 

 

 

現地(小笠原諸島)はネット環境OKですので

現地ダイジェスト

アップする予定です。

 

どんな出会いがあるかな(^0^)/

 

 


史上最強寒波の北海道旅 保存版

2019-03-06 | 北海道・史上最強寒波の中

2019 2月 北海道の冬景色を追う旅保存版

たくさんの感動を得ることができました。

例えるなら標高3,000mアルプスの稜線で朝を迎えるあの感動に似ている

北の大地は平地においても自然力がしっかり感じ取れました。

また、旅先でたくさんの方と一期一会の心の対話

これも素晴らしかった。


一つ一つの思い出はこれからの人生路において


大いなる財産(引き出し)になることでしょう。


やはり旅はいい

 


 


Titanic(タイタニック)Celine Dion(セリーヌディオン)  HD  高音質

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうございました。

2019.3.5

 

 

 


小樽雪あかり2019

2019-03-05 | 北海道・史上最強寒波の中

襟裳岬を後にして今日の宿「小樽市」を目指しました。

太平洋をずっと左に見ながら快適なドライブでした。

日高本線は高潮被害の為、現在鵡川〜様似間は不通区間になっていました。

過疎化のスピードと比例するかのような鉄道網の縮小

昨年来の地震災害と北海道の現状を知るに

道内の高速道路の拡大も含め

考えさせられるものが多々ありました。

厚賀から高速に乗って苫小牧へ

ここから一気に札幌・小樽でも良かったのですが

まだ昼前

洞爺湖経由で羊蹄山・余市・小樽と進めました。


有珠山は青空の下

くっきりとその雄姿を見せてくれましたが真狩に入ると

ホワイトアウトの如し吹雪が始まる。

ニセコでは除雪車の作業が追いつかず

危険を察し

この旅初めてのタイヤチェーン装着


小樽市到着は夕暮れ間近になりました。

昨年、イワンさんがブログにアップされてました「小樽雪あかり」のイベント日と重なっていたので

今回の旅のフィナーレを飾るエンターテイメントと位置ずけていました。

ホテルにチェックし5時頃から7時頃までメイン会場と運河を往復しました。


後で知ったのですが

この日、同じ時間帯にイワンさんもこの会場にいらっしゃったのです。

逢いたかったです。


そして何千もある雪あかりの作品の中から

同じ作品を撮っていたことにもびっくりです。


では、「小樽雪あかり祭り2019」ご覧ください。

































































運河も氷り始めてます。




















郵便局コーナー
















以上が小樽の夜でした。






翌朝はゆっくり起きて小樽駅前や余市町の観光をした後に

小樽水族館に遊びました。











旅の記念に1枚




長旅にお付き合いいただき

ありがとうございました。


長年の夢

厳冬期の北海道撮影旅

ミッション完了



来週はミッション2

南の島に行って来ます。





 


襟裳岬 サンライズに想う

2019-03-04 | 北海道・史上最強寒波の中

旅は5日目

襟裳岬の先端でその感動的な瞬間を待つは私一人

厳冬期ならではの貸切でした。

 

撮影していてふと思った事に

太陽は昇ってくる

雨の日でも嵐の日でも

必ず昇ってくる。

今ままでそう思っていた。

いや違う、

実は人間は太陽を迎えに行っているのではないかという事でした。

うまく説明できませんが

そんな事を考えながら

神々しい朝陽に手を合わせるのでした。

 

人生は心身が健康であれば

いつでも前向きな思考になれるものです。

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極寒にあって暖かさを感じ取ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前浜は昆布を敷く砂利場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不思議なパワーを頂いた襟裳岬サンライズとなりました。

 

ぜひ、また訪問したくなりました。

 


刺身旅館さんすいかく 〜襟裳岬最南端の宿〜

2019-03-03 | 北海道・史上最強寒波の中

2月12日宿泊の「さんすいかく」さん

宿の確保ができただけでもありがたかったのですが

予想にしていなかった料理のクオリティの高さとコスパに大満足

宿の主人は私と同世代

大学時代から東京に出て社会人として首都圏に在住されていたそうです。

宿のリニューアルと同時に帰省されました。

夕飯は主人が担当

朝食は主人の母上が担当してくださいました。


印象に残ったは要約して3つ

朝、母上と会話した時の事でした。


1つ目 昔は襟裳岬は観光地だけでなく漁師の町として盛況だった。

でも去年町で亡くなった方は72名

新生児は12名

ものすごい勢いで過疎が進んでいる


2つ目 母上が襟裳岬に来て宿を始めて50数年が経ったが

目の前の海が凍りついたは今年が初めて

こんなに寒い冬はない


3つ目 人間元気に生きていなければ罪だよ

人の世話になってまで生きようとは思わない



短い朝食時の会話ではあったが

なんだか考えさせられる内容でした。


次くる時があったら今日みたいな暇な時に来てね


サメガレイのエンガワ

生まれて初めてこんなに脂が乗ってコリコリの刺身を食べたの



つぶ貝




サメガレイの煮付け





刺身旅館ならではの内容

これで終わりと思っていたら

ジビエステーキ登場




ものすごくジューシー















そして日が変わり

襟裳岬灯台

日の出前のひと時の撮影を楽しみます。














あまりの寒さにカメラのシャッターが降りない

 








朝食


この内容で税込1万円ポッキリ


ブログで知り合ったみなさんと

この宿で一献

いいなあ


日の出を撮りに岬に出ます。