トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

飛び入り・割り込み作業は面倒じゃぁ

2024-05-31 | 今日は真面目に

 代表から電話があって「倒木処理をしてもらいないか⁉」と言う事だったのだが、当方は泥浚い蔓延中でチェーンソー作業などは毛頭も予定に入っていないし、作業できる人員は居るはずなのにと思いつつ無下に断るのもアレだし通行量も無い道でもあるから「そのうち…」程度で受け止めようとしたのだが慌てている様子がある。訊ねてみたら二日後に棚田での田植えが予定されており児童と保護者40人ほどが利用するからだと判明した。くぐり抜けられる状態なので通行には差し支えないものの更に位置が下がれば潰される危険も孕んでいるから急遽の処理になった。写真の範囲に写ってはいないが沢の侵食崖を跨いで向こう側の先端部で支えられ、漸く通路に落下せずにいるのだ。既に小枝の無い倒木で根の腐食で倒れた樹なのでおっつけ先端部で折れ、更に崖下に落ちる経過は樹を見るより明らかある。

 何を隠そう、小生だって予定がタイトの時もあるのであってその上、台風の影響で丸1日は降雨で作業は出来そうもない。そうなると作業できる日はこの日だけなのだったが小生の予定、正午に歯科診療の予約が決まっていたのであるからして、それに間に合うように作業を済ませシャワーを浴びて受診する、となると朝は7時過ぎには出かけないと「現場を見て」「道具小屋に用具を取りに行き」「チェーンソーの整備」もして再び現場に立つ勘定にすると、忙しいの一言である。

 実際の作業は行ってみないと判らない事も多いし、不測の事態だって可能性は零ではないのだ。ましてや切り上げ時間は先延ばしできない理由があるので安全率を考慮するといきおい早立の選択になる。まあ、そうこうして現場の作業は倒木がアラカシだったので切断し難い樹種ではあったけれど、足場の悪さを考慮してもとりあえずは無事終了で祝着至極であったわい。

 ➡  ➡  とりあえずは通れるようになった


ヤブジラミと泥上げ場の刈り取り

2024-05-25 | 今日は真面目に

 刈り払い機の使用は久しぶりである。早春にネザサの刈込を行って以来だろう。フイールドの植生は選択的育成する段階なのでそのバックヤードでは選択的刈り払いが必須だ。年中定例作業と言えども折々に飛び込みで処理をする必要がある作業も多々発生するから定例作業は後回しになりがちなのである。とは言え基本や原則はそっちにあるので粗相のない作業を行いたいもののリスク管理の観点からだと優先順位から外さねばならない事態も多くなった。

 今回のヤブジラミの刈り取りや泥上げ場の確保などはとうに済んでいなければならない作業なのだが「遅ればせながら…」どーもすいません(テヘッ!)って言う感じだ。ヤブジラミは既に結実して付着する状態になっている株もあるから遅い!に違いないけれど刈り倒して置けば拡散散布される機会は減るだろう。刈り払い機の刈り刃を根元に掬うように入れ次々と手あたり次第見つけ次第に刈り払う。遠目には刈り払い作業に見えるけれど近くで観察すればめちゃくちゃ刈り刃を躍らせているとしか見えないし、ましてや終わった跡は踏み荒らした感じでしかない・

 それに比べれば水際の泥上げ場の確保のためにカサスゲを刈り倒した後は明確で「作業しましたね!」と言ってもらえる風だけれどだーれも居らんフイールドではホトトギスとウグイスがが「許可許可・・・」と鳴いているだけである、愛である。とは言えわが身には辛抱努力の泥上げが待っていて哀は否応なく訪れるわい。作業の跡をやぶにらみして見ていれば我が体内外からあいが満ちているのが理解できる。そう、我が人生はあいに満たされているのだった。


バンビーノ通信

2024-05-01 | 今日は真面目に

 なかなか出かけるまでには至らないバンビーノガーデンなのだが茶樹の新芽が出そろう頃とあって久しぶりに出向いたみた。その結果、放任樹だった茶樹を昨年に刈り込んでいた事で樹高は低いけれど発芽は良くて即席の新茶を楽しむことが出来たのだ。その折、全く放棄状態のハーブ、小生的には芳香蒸留水つくりも手当たり次第に行った結果「こんなものか…」と一応の満足を得て関心が薄れた香草をそれでも用立てられる可能性がある事が判明して自宅で邪魔になっていたレモングラスと雲南百薬を移植して来た。

 レモングラスは分割すれば10株程度には増やせるけれど半割にして2株で様子を見る。自宅の庭では霜害で枯れ死する事もなかったのだが郊外ではどうなのだろうか。まあ、手放した事になるから「後は野となれ山となれ」かもね。雲南百薬はかれこれ20年以上も自宅から消滅せず生き残り、ここ数年はグリーンカーテン用としてまた、チンして喰える簡便野菜として重宝していたけれど今期からはゴーヤに替えてみる。本音は従来種の朝顔でグリーンカーテンを作りたいのだが、そう思うだけで苗を定植するまでには至らないのだった。「花より団子」で行くべきか「パンのみで生きる者にあらず」を通すべきか煩悩のけじめはつかず高年齢低年金の穴埋めにゴーヤになった。これで夏の食卓が豪華になると思えば…豪華には華があるしゴーヤは業爺とも書けるし丁度良いのだ。

 雲南百薬、最近は「オカノリ」と言うネーミングだそうで時流に添ったネーミングなのだろう。植え付けしてある根塊は数年前に自宅から移植した物だけれど波板の陰になる北側に定植したせいなのか発育が悪くて自宅のそれほど成長は無かったままだった。今回の定植は補植と言うより根塊数も増やして波板の東側に定植したから育ちが改善されると期待しているのだが、赤土粘度の痩せた土壌なのでフイールドから腐葉土二袋程度は施してやらねばならないだろうなあ・・・。


二つ池の急速減水・・・

2024-04-22 | 今日は真面目に

 二つ池の棚下、法面基部からの漏水は流入部が不明のまま長らく流れてきたのだが昨年末頃よりより多くの漏水が観られるようになった。それも周囲が水浸しにならない様にとパイプで誘導している脇からの出水なのだ。漏水していると言ってもオーバーフロー部から溢れている間は減水とは言えず、流入部が不明のまま「処置無し!」で来たけれどここ一週間の間に水位の低下が著しく水位で20cmの低下をみて既に一部は底が現われた。

 ここまでに至ると放置は出来ず、かといって流入孔が不明のままでは対処も出来ずで考えあぐねつつ思案投げ首、場合によっては責任を取って思案吊り首も致し方なし、と妄想しつつ二つ池の前段、沈泥分水部も泥浚いに入った。泥を浚いば当然ゴタ濁りの水が流れていく。この泥水の先頭を追跡すれば流入部が判るやも知れんと泥水の遅い流れに合わせ度々作業を中断しつつ注視してみた。池の対辺に濁りが届く頃になって筋雲のような僅かな泥水の筋が護岸木の下に吸い込まれているのを発見して直ちに掘削する。漏水孔は親指程度だったがまずは一カ所を撲滅した。しかしその程度では下棚への漏水衰えておらず、他に主力部があるか小さな漏水孔がまとまって流れ出ているのかまでは判らないのだった。

 僅かな流入部を確認 ➡  護岸木脇を掘り下げ鎮圧復旧

 とりあえず二番手の策として漏水部近くの葦を全て抜去した。葦は古来より漏水の発生源となる嫌われてきた水域植物でもあり、地下茎が枯れたりカニやイモリの侵食や棲息で漏水孔に拡大するのは至極あたり前田のクラッカーなのである。であるからこそクロコノマチョウの食草、トンボの羽化台として残して置いた一画の葦を全数抜去したのだ。これにより葦が生えていた範囲に漏水部があれば判明し易くもなる。ただ抜去当日では濁り水になっているので翌日以降の点検になってしまう。上の棚から流入する水量は毎分20ℓ程度は維持されているのにここにきて急遽減水理由が判らない。流出部の水量も増えているとも思えず何ともこの棚の漏水には泣かされ続けるのだった。


遅まき過ぎますが・・・

2024-04-21 | 今日は真面目に

 「やって嬉しいひな祭り!」どころではない半年も先延ばしした林道上の落ち葉掻きをようやく桜の花が散る頃になって手を付けたのだった。思い返すまでも無く師走の頃は上の池の保全工事で結果として酷い腰痛で年末から1月は全滅したのだった。その上に水源地の破壊が進み已む無く腰を上げざるを得ず、これも足掛けで腰を掛ける暇もなく4月初めまで作業を要した過去最大規模の保全工事となったのである。まあ、自転車操業・水商売の事とて、ぼやいても嘆いても地団駄踏んでも粛々営々と微力を投じなければフイールドの環境放棄になってしまうのは必定だから仕方なし、で「自分を誉めてあげたい」と寝しな・起き掛けにつぶやくしかないのだった。ネットのつぶやきは何のプラスにもならん。

 さて、落ち葉が溜まり舗装脇まで堆積すると絞り水や雨水は路面上まで溢れ、出水の度に勝手気ままに落ち葉と砂泥を混じり合わせていく。そんなこんなで半年も経過すると「落ち葉半分・泥半分」の物質がたっぷりと水を含んで路面に溢れていたのだ。これはこれでスリップし易く早急に片付けたかったのだが優先度としては何時も後回しになる作業と言う事もあり桜が散る頃になってしまった。「身軽孤爺は泣いたとさ 辛い作業を泣いたとさ 桜の花びらが風に散ったよな~」てなもんや三度笠であるが津軽の娘御に思いをはせたのは妄想でもなんでもなかった追憶だったわい。

 まあ、それはともかくガーデンレーキで搔き集めたのは良いけれどそのまま搬出する訳にもいかず一昼夜ほど水抜きをしてから回収集積をする。とは言え、この日は20度越えのいわゆる「良い陽気」なのだったが身体髪膚は暑さに慣れておらず作業には不快だった。結局は身が入らず一車運んではプラプラ、また一車運んではカワトンボ見にご対面、とはかどらず、それでも数日を要すれば終わるだろうと熱意は見られない作業になった。集積した落ち葉と泥土の塊はカブトムシの繁殖場所になってくれるはずなのだが豚コレラを生き延びた一族の跋扈蹂躙が激しく、丸々とした幼虫に育つ頃には掘り返され全滅だろうなあ。まあ、ナニはなくとも我が谷の縁で人生、無駄と分かっていても行うべき事はあるのだった。たとえば高嶺の花マドンナにアタックし万死に値しようともだ・・・。そんな感じ。


河床安定化作業17日目(降雨増水後の手当て)

2024-04-09 | 今日は真面目に

 3月29日、昼までの24時間雨量が190mmを記録した。こうなると取水升は埋没間違いなしの増水になる。それはともかくとして現在安定化作業中の流路に被害が及んでいないかが一番の杞憂だった。まずは取水升の復旧作業を行って上流部の作業現場に行った。

 流路誘導のための大径木と玉石で設えた誘導堤兼仕切り堤はゆるぎなかったけれど、増水流が直接圧力をかける衝突部の侵食が補修しなければならない規模だった。それでも保全構造には支障を与える侵食ではなかったので一安心する。やはり増水して流路の曲がりで衝突される部位の侵食は免れない。ここは護岸丸太の段重ねで保護する必要があり、新たな手当てが増えてしまうが、後々に泣きを見ないためにも必要な手間だろう。

 流路を幅広くして集中流を防ぐ段差工部は下段が底抜けしておりここからの突撃流がコーナー部を侵食した構図である。上段の段差工は中抜け部に玉石を詰めたのが効を奏して平坦さを呈してくれたが二段目が荒れてしまった。とりあえず露出して来た玉石を集めて重ね再度の砂礫で埋まるように期待する。

 流路を誘導されコーナー部を脱した水流はネックになっている幅の狭い誘導路を通るが、ここの侵食は増水で当然進んで河床が低下している。孟宗竹を流路に渡して河床までの高さを図ると作業開始前の河床より70~80cm低下したことになる。今回の降雨量からここの部分は河床低下と川幅が誘導堤いっぱいまで広がれば24時間雨量300mm未満になら耐えられそうに思えて来た。梅雨時と台風の季節までに何とか安定化作業を終えたい。ここが破壊された時は取水不可能になりフイールド水域は成立せず放棄せざるを得ない事に直結する扇の要なのである。ホント、水は命であり命の水である。まあ、だからこその水商売・自転車操業なのだ。

 俗に「風が吹けば桶屋が儲かる」と言う諺があるが我がフイールドに当てはめれば「降雨があればフイールド干あがる」のであって相反する中での道理には膝小僧も腰娘も親のせいで泣かされ続けるのであった。まっこと、良き親御になるのは難しい・・・。まあ、手足8本ある蛸様でさえ自らの手足を食べなければならない事態もあるようだから人生粛々、昼河原で蠢くのも因果であり業であるか。まあまあ、「届かないブドウ理論」で考察すれば生きる事とは直接の関係は無いにしても活きる事には大いに寄与している事として、さあさあ明日のために今日も湿布だ、三里に灸だよう。

     


河床安定化作業 16日目(玉石の詰め込み)

2024-04-05 | 今日は真面目に

 翌日から数日間傘のマークが出ている。フイールド作業は休まざるを得ないだろうし降雨出水ともなれば段差工への影響も考えられるので、先日に大径木を曳き下ろした河床の杭の破損を修復し、ついでに取水升横の段差工部への杭打ち本数を増して来た。都合十本ほどを加えたから増水時の水圧にも今までよりは耐えてくれるだろうと信じている。しかしながらまだ番線で締結してないので越流すれば流される可能性もゼロでは無いけれど24時間雨量で200mmを越えなければ大丈夫だろうと正常性バイアスが働く。

 まずは杭の増設 ➡  玉石の敷き詰め

 杭打ちを終えれば玉石の詰め込み三日目に入った。底抜けした部分を含め基盤に玉石を並べ、更にその上に半分ほどの玉石を広げ、その上にコブシ大の石で覆って終わりなのだが、結局はこの日も終える事が出来なかった。膝小僧に湿布を貼り保温サポーターを装着し厚手のズボンをはいているから河原に膝をついても多少は大丈夫なのだが、今回の河床安定化作業は何時もに増して膝小僧と腰娘に負担と難儀を強いている。「明日から雨模様で数日休むから」とナデナデ・スリスリしつつなだめすかしての日々である。そろそろご褒美をやらねばなるまい膝小僧と腰娘に・・・。

 つらつらと思案投げ首、考えても膝小僧にはグミでなくゲルを、腰娘は美白パックでなく貼り膏薬が喜ばれるかなぁ。プレゼントを選ぶなんて久しぶりで心が震えるのだがよくよく分析すれば疲れと痛みのせいだった・・・。やはり人生は業と因果で輪廻するのだった。

     


河床安定化作業 15日目(玉石詰め)

2024-04-04 | 今日は真面目に

 この日の作業は「玉石運び」と決めていたので荷運びは軽く、唐箕と飲料水・カメラだけで済んだ。一日で済ませたかった作業なのだが大きめの玉石を敷き詰め、中くらいの玉石を集め、握りこぶし大の石で表面を覆うまでには至らなかった。河床の砂礫だけで埋めれば上部に堆積したのを崩せば事足りるけれど、それでは増水時の段々を落ちる水流で洗堀され底抜けし、全ては流亡・台無しになってしまう。保全のためにはリスクを少なくする手間暇も必要になる。取水継続できる河床を維持し送水を滞らせなければ隣り沢の生態系は保たれるし送水不可能となれば環境は激変してしまい、単なる谷合に戻ってしまうのだ。

       譬如為山、未成一簣、止吾止也、譬如平地、雖覆一簣、進吾往也

 この日の作業は河原にしゃがんで、跪いて両手で玉石を唐箕に入れて運ぶ事の繰り返しだったのだが上掲の一節が思い起こされた。まあ、唐箕を使う作業だけでなく全ての活動に言える事なれど、やはり語句の一節と作業が響き合うとより一層実感する。この日の道具運搬は身軽だったものの玉石運びは膝・腰、肩に優しくは無い。まあ、姥捨て山で優しくしてくれるのはトンボやカエルくらいなのであるけれど承知の上とは申せ、抹茶と桜餅など切株の上に出てくると嬉しい。今のところ魔法瓶のほうじ茶とミカンが一服の相手なのだ。深夜になるとヒソヒソ話を始める両ひざのためにこの日は気持ちだけ早上がりした。頑張ったところでワッパカにはならず全てはわが身の一進一退に掛かっているし膝が萎えても腰が萎えても意志が萎えてもそこで終わる。さざれ石の巌となるまでとは到底いかない。


山に入ろか庭で過ごそか…

2024-04-03 | 今日は真面目に

 雨は降らないらしいがスッキリしない空模様なので迷ったあげく夜間の小雨でフイールドは濡れているはず、と庭に目立ってきた春草を始末する。ケマンソウやらカラスノエンドウなどが主なので庭と言うより荒れ地に近い。とりあえず引き抜きはせず地際で草削りで刈り取り生垣の根元に敷いて終わり。

 汚れついでに花だよりも聞こえてきたから冷蔵庫内に保存していた種をケースに蒔いた。キジョラン、ホトトギス、イガホウズキ、アシタバの四種を種蒔き用土に浚渫土、落ち葉堆肥、庭土などを細目で振るって配合した用土を用いる。鉢上げ適期に掘り上げた時に細根を傷めない様に工夫した配合土である。市販の種蒔き用土はピートモスやヤシ殻繊維などフカフカ素材が多いので掘り上げには楽だけれど土壌成分や腐植土が少ないのが気に入らない。

 まだクララの種子が残っていたのだがクララを食草とするオオルリシジミは当地には生息してはおらず飛翔して定着する可能性もほぼないだろう。だから植栽しても無駄だと思っていたのだが、たまたまウラギンシジミも食草にしている事を知った。クララもマメ科なので考えられる事だろう。そこで急遽、クララの種子すべてを播種した。これで5種を用意する事になったけれど、どれだけの苗が出来て利用してくれるかどうかは「あなた任せ」なのだった。

 それはともかくそれぞれの容器に播種を済ませ軽く鎮圧し薄く用土を掛け水を与えて一件落着である。フイールドに直播したいのはやまやまなれど発芽率が極端に悪くなるので苗作りし定植するのは欠かせないのだが、ポット苗を定植すると周囲の土壌と臭いが異なり、早速威之志士様の跋扈蹂躙に遭うのもお約束みたいなものだから比較しての活着率は多少良い程度だろう程度である。今回、出来た苗をポットに上げる時は定植地の土壌を用意して鉢上げしてみるつもりだ。これで定植地との臭いの違いは薄れよう。

 キジョランは30粒ほど播種したけれど発芽するのは梅雨に入っての頃なので、それまで時間が長く水の管理を忘れそう。発芽するまでのしばらくは新聞紙を掛けて雨滴からの被害を防がなくてはならぬ。


河床安定化作業 14日目(大径木の据え付け)

2024-04-02 | 今日は真面目に

 この日の作業で丁度14日目、佳境であると言えば佳境だろうけれどまだまだ道半ばなのだった。それでも身体的負担を別にすれば他人様の見た目には「凄い事やってる…」と映るだろう。それはともかく小生的にはどうしても行いたかった巨木の据え付けである。これは「見てくれ!」ではなくすべからく実用効力を期待しての設えで大きさ重さは安定を保障する事にあるのだ。「大男総身に知恵が回りかね」とも言うものの知恵よりも重量が役に立つ場面が「ここ」なのであり、「そこ」は既にお念仏である。

 さて、大規模出水時に直進してきた水流はこの地点でカーブをさせられていた。それは本来の沢の流路で、そのままなら何も問題は無かったのだけれど度重なる集中豪雨で斜面の崩壊から流路が変わり、結果として直進して取水堰の左岸まで破壊したのだった。それが苦労の始まりでかれこれ10年以上も河床安定化作業を行ってひとまず安定を満たす段階になっての一昨年に再度の奔流で直進水路が形成されたのであった。

 「危ないなあ、補修せねば…」と感じていた箇所なのだが幸いな事は既存の段差工は破壊されつつも倒木の根株が引っ掛かりその抵抗で自然堤防が出来た事だった。段差工の破壊で新たな流路形成がされれば万事休すであり、その時点で取水不可能になったはずだ。結果はそうならずにそれ以前と同様な小さな手直しでつじつまを合わせられたので後回しして来たツケが今回の大規模作業の必然につながる。小事は大事と思うても扇の要を後回しでは「さもありなん」結果だ。結局は水商売・自転車操業の避けられない逃げられないオンパレードなのである。

 さてさて、悔恨はここまで、この日は前日の曳き出しの続きからの作業だ。下流方向に2mほど前進させて横たえれば所定の位置になる。その位置は既に玉石を敷き詰めた上、のつもりだったのだがいつも通りの深夜の小用時、「上ではなく下側こそが河床安定に役立つ!」と朝令暮改、いいえ深夜頻改の結果、現在の玉石の下手側に降ろす事にした。越水防壁材の高さと重さの作用は損なわれるけれど高さを沈めた事で「底抜け」のリスクは大幅に低下したはずで、底抜けや流出が無く耐えてくれれば流路の安定は保たれる。時折の越流は増水すれば当たり前、と安心できよう。

 下手に曳く ➡  右岸に曳く

 結果として侵食溝を遮る形で防護材として設えが出来たのだった。トビ口で制御できない重量物なので牽引器を前後左右と支点を変え変え材を移動させる手間暇は数えてもいなかったけれど、その手間暇手数があったればこその据え付け完了だ。取水に難があれば行って解消してやり水路が変われば手直ししてやり、ほめられもせず疎んじられる事も無く気にもされず暑い日はトボトボ歩き冬の日陰沢も粛々と自転車操業・水商売に掛かりきりの、そういう孤爺にワタシハナッタ・・・おみゃ沢の賢爺 談。

 


流絽安定化作業 13日目(大径木引寄せ)

2024-03-30 | 今日は真面目に

 この日の作業は「可能か不可能か⁉」とまあ、年老いたベルテルの悩みとでも言おうか「やるべきかやらざるべきか⁉」とロミオの苦悶みたいなもんだった。この歳になると夜間頻尿で目を覚ますのだが、悩みは夜間頻尿でなく床に入ってからの煩悶なのであった。「ああでも無い、こうでも無い」から「こうするか、ああやるか」と我が哲学的探究は眠気を覚ますには十分な課題だ。相手は直径50cm、長さにして9メートルの大径木であって、これを増水で突破され洗堀溝となった部分の更なる浸食防止に据えたいのである。

 使える道具は牽引力500kgの携行牽引器だから重量計算をするまでも無くオーバー重量なのだった。危険を避けるためには「無理をしない」のは鉄則であるけれど仕上がりの耐久品質を高めるには無理も無駄も必要なのであって、それはとりもなおさず孤老の膝腰肩の負担を更に増加させるのである。深夜の悶々も「楊貴妃にするか、クレオパトラか、はてまたソフェア・ローレンか⁉」のような悶々ならば大歓迎で深夜頻尿も睡眠障害も屁の河童なれど現実は厳しい。深い思索に没入するために「オペラ・アリア集」をBGMとして光頭部に置いたラジカセで聴きながら出した結論は「そうだ孟宗竹を使おう!」という結論である。このやり方で失敗ならば大径木の長さは分割するしかなく、その結果は水流や水圧に対する抵抗力は大幅に減じてしまうだろう。重量物の移動にはコロが使われるけれど今回はコロではなく滑り材として河床砂礫の抵抗を減じ重量物を滑りやすくする方便だ。

 曳き始め ➡  支点を変えて ➡  寄せれた

 孟宗竹を運搬できる長さで用意して横たわった大径木の下に差し入れてから7mの長さに切断した。中折れ木なので先端部は割れや裂けがあるから2mほどは使えない。これで気持ち分だけ重さが減って、後は牽引器で据え付け場所まで引寄せるだけである。とは言え牽引器で一回に曳ける距離は10m未満なので、この距離を有効に使いながら右岸左岸の樹木を交代させながら支点として曳きを開始した。金梃子は重いので荷揚げが嫌で携行しなかったから先端の向きを変えるのもすべてが牽引器によってだったから左岸右岸それぞれ3回ほ支点として曳いたのである。これだけでは所定の位置に寄せるのは難しく、更に林内の立ち木に支点を取ってどうにか寄せる事が出来たが、この日の作業はここまでだった。更に下流側に曳きたいのだけれど使いたい支点となる立ち木まで届かず、そんなときのためのロープを用意しておらず「馬鹿ね!」てなもんや三度笠。

     

 


河床安定化作業 12日目(用材の伐採)

2024-03-27 | 今日は真面目に

 当初の目論見には整えられたけれど護岸丸太として並べたのは腐食が進んだ材なのだった。それでも径が大きいので中心部だけに見当をつけても十分な使用条件はある。苦労して据えた丸太材だけれども、ここにきて「やれやれ目星がついた…」と思える時期になるとぞろ浮気の虫が蠢きだした。「もう少しましな材を据えよう!」てなもんや三度笠は何時もの手太楽で、この日は年度末総会に出席要請が出てしまったのでその時間を見込むと作業時間が小一時間も少なくなる。仕方が無いとあきらめ用材の伐採だけ済ます事にした。使えたかった用材は立枯れたままの二本で木筋もよく腐食も進んではいない。現場につく前から「あの二本」と決めていたのに立ち会ってみると意外に太く胸高直径60cm、樹高20m以上の大径木だ。伐倒するに河原に倒すので支障木はないものの、やはり太すぎて長尺では移動が不可能、結果として使いない部分が半分以上の見通しとなったので急遽、細めの傾斜木や沢に倒れ込み土砂ダムを形成している倒木の中から使えるのを選ぶことにしたのだ。

 ➡  まずは段差工を施した場所の至近距離にある立ち枯れ木、幹元は50cmはあるが中折れしており高さは10mほどである。「近いから据えやすい!」と選んだ1本だけれど河床に倒れた姿は「太い!太すぎて移動できない…」が第一印象である、先端部の裂けた部分を切り離して7m材を採りたいのだが500kg用の牽引器では無理かも知れない。

 ➡  ➡   そこで適正径と思えた河原の斜行木を使う事にして伐採する。斜め木は既に重心が外側で倒す方向は選べず、不用意に切削開始すると撥ねて裂ける場合もあるので気を使ったものの無理なく地上に倒せたのだった。ところが反対側の斜面に届いて弓なりになってしまった。どちらにしても先端部は不要なので8mの用材とするべくチェーンソーで切断を開始したのだが内部応力の見込みが誤っていた。通常のこのようなケースは丸太の上部は圧縮力があり下半分は引っ張り力があると判断する。小生も当たり前のようにそのつもりで対応したのだが「弓なりになっていたのは木の自重のせいで、その中に元に戻ろうとする復元力も内在していた」結果、下側から切り離すべく刃を進めていたらしなりからの復元がありガイドバーもろとも狭間れてしまった。さーて、こうなるとにっちもさっちもウンコもいかない。手鋸が無いと外せないので林道終点まで戻り手鋸を持ってくる羽目になった。で、2本目落着。

 ➡  ➡   3本目、河床に押し出され流木ダムとなった中から素性の良い1本を選んだ。樹皮は無くなっているものの幹本体の腐食は進んでいない硬質の材である。恐らくヒノキなのだろうが折り重なり合い土砂が覆っている部分を外しても6mほどを取り出せる。これも護岸材として活用すべく切断する。写真では見えないが中央から先端部は半分が土砂の圧力で孕んでいる結果、これも不用意に切断すると跳ね返りで大怪我をする事になりかねない。そこで弓なり著しい中央部から鋸目を入れつつ応力を逃がしながらまずは片側を切断する。これで反発しないから幹元を切断するのは上下の応力の違いを計算に入れるだけだと作業開始したのだが、ここも思わぬ伏兵が居てまたもや挟まれてしまった。先端部の弓なり部分は切断したのだが押し出して来た土砂を排除した訳でも無いので押し出し圧が残っていた。その結果、またもやチェーンソーが挟まれてしまった。

 一難去ってまた一難であって、女難去ってまた女難ならもろ手をあげ歓迎する孤爺なれど姥捨て山では女子衆や花魁はおらんのであった。そんなわけでイジイジと幹に掛かる土砂を棒で掻きだしながら応力を減じたのだった。由ってようやく危機脱出する。後は牽引器で河床を引き下ろすだけなのだがこの日は時間が無く総会のために早めの撤退だ。総会に顔出しするだけの手間より作業続行の方がなんぼか保全に役立つと思うのだが浮世の義理や付き合いを全てスルーする訳にもいかない。かくして残りは明日以降だ。

  


河床安定化作業 十日目(不足した杭作り)

2024-03-24 | 今日は真面目に

 この日も晴天、しかし現地へは出張らずフイールドの道具小屋横での作業を行う。使用できる杭が尽きてしまい前日に購入しておけば続けて作業は可能だったけれど、何とか理由をつけて一息つける日を入れないとご老体に堪える。てなことでストックしてあり「使う機会が有ったら・・・」と思っていた6尺の杭を半分にして尖った先端を持つ方はそのまま、単なる丸棒になってしまった片側はチェーンソーで3面カットして杭に加工したのだ。

 分割するのに丁度よい台がありそれに並べて次々と切断する。台になったのは既に使われなくなって久しい半割ドラム缶の架台である。取手の部分が固定するに塩梅が良く、切断して抜き取れば傾斜があったので手元に次の杭が来る。まあ、機銃の自動装填みたいな感じだった。丸棒になった半分の先端を尖らす作業はそうもいかず朽木の塊にV字溝を切りそこに丸太を載せて先端をカットした。今までに自作の杭のカットは今までは四角錐だけだったので今回の三角錐は見当がつき難い。そこで端面に正三角形を油性ペンで描き、それを当てにしてチェーンソーで切ってみたのだが三面とも正確に切り出すのは難しい。四面体より基準が取り難い。まあ、それでも河原に打ち込めればそれでよいレベルだから「見え無くすれば全て上出来」なのである。これは永田の御先生様と同じ感覚であろう。民として御上のように何としても言い逃れする、窮地を脱するを習うのは正しい。なんたって国や民草を導く先生様なのだ。この杭打ってもお小水振りかけてもクルスを当てても光明真言唱えても絶滅しない危惧種なのだから・・・。


河床安定化作業 九日目(取水部段差工の復旧)

2024-03-21 | 今日は真面目に

 この日、未明までの24時間雨量が90mm超だったから作業地の河床は何らかの影響を受けているはず、と経験則から思案していた通りで上流部の平滑化段差工の底抜け、取水升の埋没とまずは手当てをしなければならなくなった。

 それもようやく終わり、この日のメイン作業は取水升水平線より河床を下げないための段差工の設えである。長くて据えきれなかった丸太を切断し据え、埋もれて抜き取れなかった丸太の先端を切断排除して漸く杭打ち作業が終わったのだが、まだ番線で括る作業は後回しである。段差工は設えたものの埋め戻しまでは出来ていないし、埋め戻すには爺力非力で孤軍奮闘せねばならず、腰や膝の状態を鑑みるに「先送り」が妥当と思える。

 24時間雨量で200mmから300mmほど降れば段差工の上部からの越流水が発生するはずで、この水流に混じり砂礫が沈下して埋めてくれるのを期待したいけれど、現実は底抜けして河床の流出につながる公算が大なのである。だからこそ玉石を運び各段を補強しておく必要があるのだけれど蟻ん子みたいに一個一個運び据え置く作業は思っただけでも唖然茫然愕然悄然だわい。しかしながらこの段差工部を突破され河床流出が水平面で取水升より低下すれば取水不可能で、そうなると孤爺の0,2馬力程度では撤退するしかないので、やはり「千里の堤防も孤爺の石一個から」と言われるように古人の知恵に従うしかないのだろう。


河床安定化作業 八日目(取水部段差工の復旧)

2024-03-20 | 今日は真面目に

 自分で作成しながらカテゴリーが移動する。だからと言ってどうだと言う事も無い作業気分次第なのだった。端的に言えば水辺の保全作業でもあるし里山の保全作業の一環でもあるから正確さを期すれば(♯)をくっつければ良いのだろうけれど別に支障も無いので統一性も無い、で来た。さて、八日目のこの日、段差工据え付け場所まで丸太材を曳き込む事だったのだが現場に二本そろえしげしげと設えた部分を眺めていて設えを変更した。まあ、いつも通りの朝令暮改・ケセラセラなのであった。真摯に判断すれば「極めて柔軟性が高い判断力」であって、これも耄碌脳軟化症のお蔭ぞ!。

 前日、トビで河原を移動させてきたのだがどうしても高みを越えさせられず、牽引器を運ぶ元気もなく放置して帰宅したのだった。この日の目標は最下段に据えるつもりだったものの、既に最下段としていた横木は一本材なのだが細目なので曳いてきた丸太材と交換する事にした。この設えの方が底抜けを発生させる事態は減少するし外す事になった細めの一本材下流側に据えれば防護性能が高まる。てなもんや三度笠、となって一旦は据えた材を曳き出して太目の二本を並べてみたのだが当然の如く長すぎる。この日はチェーンソーを携行しておらず切断できないので、またまた放置撤退となってしまった。帰宅して直ちにチェーンソーの刃研ぎを行い次の作業に備えた。日々生き方に統一性も方向性も無く「鶏の脳味噌」なんだろうなあ…。芳香は加齢臭、彷徨は認知症の発症かもしれないものの「夢は儚く破れてもくじけちゃいけない山孤爺・・・」。男爺、志を立て蟻の一砂如きの作業でもいつかはきっと朝日に匂うヤマザクラ花となるだろうから。