トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

倒木処理

2012-03-31 | 今日は真面目に

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 遊歩道に先端が倒れてしまった一本を処理する。途中で二股になって挙動を読みづらい状況だ。根起こしされた木元を切断して年輪を数えたら50年生だった。いつもながらもったいない事である。

 枝払いをして、浮いている先端から切断していくと、重心が変わるので幹が動く。その上竹の切り残しに細い方の幹が乗ってしまったから、更に危なくなった。「マーフイの法則」の通りで、次から次へと局面は動いて、それも「厄介な方向へ」で安心できない。

 ここも寸切りして終了したが、これまでの処理は大小あわせて30本ほどになる。小さいので25年生、大きいので80年生もあったが、平均は40年生というところだろう。ただ北向きの侵入竹で覆われていた林内の木だっただけに年齢の割には細い。しかし年輪が密で、見ていても美しいと感じる年輪だ。バウムクーヘンが食べたくなった。


不特定少数

2012-03-31 | 小人閑居して憮然

Photo_3  景観林として手入れをしていた真竹林の荒らされようが酷いのに尻をまくり全伐したら、別の真竹林を写真の様なありさまにされてしまった。特別の出来事でもなく、ごく日常的な光景でもあるが…。

 ここは全伐した真竹林の三分の一ほどの面積しかないから、不揃いの伐り残しと必要な部分だけ持ち去った残りが全面に散乱している。こんな風景では入り込むことも危ないし、小生の二回の肋骨骨折は、こんな環境下だったから、ここも全伐することにした。Photo

 地表から突き出た不揃いの伐り残し、不要の残渣物、これらを処理し地ごしらえして植樹する。生きていく上でのケツの始末は必要不可欠だが、このようなケツの始末は何も生まれない。

  トンボ池の遊歩道脇にも後始末無しの山芋の採掘跡が出来ている。一人の行いでも山は大きく荒れ始める。かようにパイは小さくなってしまった。


*萌え野

2012-03-30 | 遊び子は

            青き踏む小さき靴の舞姿

            額よせ動かぬ母子の野の遊び

            黄花摘み握りし束は萎れけり

            黙々と皆膝折りて四つ葉つむ


ベニシジミの産卵

2012-03-30 | 小父のお隣さん

Photo_2  ベニシジミとモンシロチョウの初見日になった。モンシロチョウは菜の花やカラシナなどがあれば留まってくれただろうに、谷間の駐車地では引きとめる術が無い。せめてタンポポやナズナの花に止まってくれればと願ったが、撮影は出来なかった。

 ベニシジミは産卵だったから接近は容易だったけれど、葉の込み入ったところや裏側に入ったりするのでチャンスを待つには根気がいる。ギシギシやスイバは多くあるし、初冬まで長く姿を見せてくれる蝶でもある。

 ただ日向の撮影になるとケータイの液晶が見づらくて参った。光学ファインダーだと楽なのにと思うが、所詮はカメラではないケータイなのだ。


*気分はそぞろ

2012-03-29 | 遊び子は

          花便り要らぬ里山子らの声

          ジャガイモを植えて黄色き声の畑

          ホトケノザ踏んで飛び出す童かな

          春泥に足とられ泣くママと泣く


昼休み

2012-03-29 | 感じるままの回り道

Photo_2  昼休み、除竹した場所にパレットを持ち出して仰向けに休息していると陽射しが暑いくらいだ。

 まだ春霞には早いようで、空も青々と澄み切って気持ちが良い。真っ直ぐに伸びた杉も地面から見上げていると大木の風情がある。

 でも、良く見れば枝先には花粉の詰まった杉の雄花が鈴なりで、風が出ると小麦粉を振り撒いた様に出てくる。小生はスギ花粉よりイネ科の花粉の方が症状が出るらしいのだが、市販の目薬で落ち着く。目薬一本使い切ることは無い。

 花粉の飛び散る中に居て、帰宅して鼻をかむと花粉まじりの黄色い鼻水だ。きっと肺の中にも一杯入っているのであろう。これで起こる呼吸器疾患も「硅肺」というのだろうか。鉱物質でないから「珪肺」か…。どうでも良いけれど、自分自身を「軽輩」と確定診断した様な締めになってしまった。人間、暇だとろくなことを考えない。


*啓蟄

2012-03-28 | 小父のお隣さん

               雨水なり気泡の如しマツモムシ

               啓蟄は先ぞ気がせくキタキチョウ

               アメンボは初お出ましの日向ぼこ

               コノマチョウ日向伝いに逃げて去り


葦角除去

2012-03-28 | 水辺環境の保全

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 水泥地の葦角を除去する。作業は鍬の方が楽だが、泥水を全身に被るからスコップにした。泥の中に入りスコップを突きたて起こす作業は好みではないけれど、葦を成長繁殖させると、結果的に貯水機能を損なってしまうから、欠かせない作業なのである。

 泥水地、トンボ池、棚田等、今も漏水があるが、これらの原因は総て葦の根茎による防水層貫通の結果だ。「葦角」は季語にもあるが、そんな風流な性質ではない。とは言え、太いのは瑞々しく、竹の子の様にも見えるから、皮を剥いてかじってみたところ、それほど不味い味ではなかった。まあ、人には薦めないけれど食べれる。


ジョウビタキを盗撮

2012-03-27 | 小父のお隣さん

Photo_5  冬鳥のジョウビタキがまだ帰らない。フクロウは既に到着したし、冬鳥の鴨などは市街地の河川から姿を消しているのに…だ。例年ならツバメの初見日の頃でもある。ちなみに小生のツバメ初見日は28日と心待ちだ。

 冬鳥のジョウビタキは身近な鳥だけれど、ケータイで撮影するのは今回が初めてで、それもカーテンの隙間からレンズだけ覗かせ、ガラス越しの撮影でようやく撮った一枚なのである。山では後を追いかけてきて鳴き続けるような行動も見せるが、ここまで近くに来てくれない。

 鳴き声は「ヒッヒ、カッカ」と、お世辞にも美しいとは思わないけれど色彩は冬枯れの景色の中では良く目立つ。今回の様な撮影方法は盗撮に相当するんだろうな…。警察に呼ばれるかも


*一茶翁呻吟行 後編

2012-03-27 | 温故痴新

              きょうからは日本の雁ぞ楽でなし

              大根引き大根で第一教えけり

              ふるさとは寄れば障るよ毒まみれ

              これがまあ仮設の住み家零下五度

              雪融けて村全体はまだ空き家

              悄然として山を見る帰れない


モンキチョウ初見

2012-03-26 | 小父のお隣さん

Photo_2  キチョウが飛んでいる。キタキチョウにしては薄汚い。「もしや?」と思って着地するのを待ちゆっくりと接近したら、紛れもなくモンキチョウだった。

 開けた里地ではないから、このフィールドでは何年ぶりの初見だ。里のほうでは例年、初見日が何時の頃になるか知らないけれど、ここではモンキチョウといえど黄蝶種、いえ貴重種なのである。小父さんとしては「紛れも泣く」のである。

 翅は綺麗ではなかったし、反対側の翅の隣縁は傷んでいたから、越冬成虫だったのかどうか。キチョウが成虫で越冬するかどうかは知らないが、それはともかく「楽黄ー、楽黄ー」、寒かったけれど良い日だった。


*一茶翁呻吟行 前編

2012-03-26 | 温故痴新

              鬱苦死や建屋の穴の蒸気かな

              ともかくもあなた任せの原子力

              ずぶぬれの建屋群みる炬燵かな

              被災の子そこのけそこのけ東電通る

              放射能とってくれよと泣く子かな


処理木を生かす

2012-03-26 | 今日は真面目に

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 風倒木を処理していた横に陥没孔が口を開いていた。ルート脇だし、深さも120cm以上ある。ほっては置けないから風倒木を寸断して落とし込んだ。目分量で切断しておいたまでは良かったが、翌日に投入作業を行ったら量が不足だった。

 木材は多量にあるが、チェーンソーを持たなかったから、そこで作業中断。また改めて仕切りなおしになってしまった。道具の運搬量を少なくしようとすると何度も通う羽目になる…。


富士桜咲く

2012-03-25 | 感じるままの回り道

Photo_4  駐車場の周囲に見切りとして植栽した富士桜が開花した。花も樹形も小振りで目立たないし、その上、下向きの開花だから余計鑑賞しにくい。

 大人はともかく、子ども達には手が届くし目の前で見れるから良いかと思うけれど、子ども達には興味が無いようだ。桜の花に思いを寄せるのは何歳くらいからだろうか。思春期を過ぎないと無理なのかどうか、自分でもわかりかねる。

 「桜の苗が大きく育つ頃、僕らはみんな大人になるんだ」と言う歌があったが、何の歌だったか。テレビドラマの主題歌だったか…。富士桜は侘しい桜だ。


そこにある危機

2012-03-25 | 今日は真面目に

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 風倒木の状況は様々で、一本たりとも同じ条件で作業は出来ないし、一本でも幾つかの危険要素を孕んでいることも多いのだ。今回の一本は谷を渡って三本の木に挟まれていた。横への反発力も位置で異なるし、その上、下に落ちきっていないから、切り離せば足元も危ない。

 立ち木を盾にして切り詰め事無きを得たが、根返しした部分も急斜面だっただけに、木元で切断したら、更に動いてでんぐり返し寸前になった。その心配があったから木元を長めにしたお陰で支えになってくれた。安全策で木元を更に長くすると、根株が戻らなくなる。今回の根株は正中線を越えているから戻ることはもう無い。転落するだけだ。

 挙動は常に予測しながら作業はするものの、チェーンソーを挟まれ手鋸や楔を使用せざるを得ない局面もあって、地上に落ちていない木の処理は神経が磨り減る。危険を排除するためには危険の渦中に入らないと処理不能だし、綺麗ごとでは済まない。原発の処理に当たっている作業者の葛藤が忍ばれるのである。