トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

*寒中林句

2023-01-31 | 感じるままの回り道
           根上がりを倒せば冬芽多々まろき

           初鳴きや材し曳く昼地の落ち葉

           冬木立残り葉もなく蒼し奥

           橙の向こう奥山稜白し

           梢揺る飛ぶ葉もあらず風の花

           雪雲や風花散華頭上往く

1月定例会

2023-01-30 | 月例会
2023.01.21(土)9:30~13:00

会員 6人
活動 休耕田の再生開始(刈り払い)

 里の農地、休耕地状態だったところを借りられることになった。もともとは田圃だったらしいのだがここ何十年かはオクラ栽培していたという記憶だけである。まずは刈り払いして地表の様子を確かめねばならず、そのあとに耕起して水を張り田圃を復元する作業が続く。
 オクラ栽培していた部分は田圃跡と言うより畑地そのままで耕作していない部分には稈径ソーセージほどもあるネザサの群落が出来ている。3人で刈り払いしたけれど終わらなかった。

 水路も整備しないと取水できるかどうか不明で、作業者が減少していく今日、里山保全とは関わりのない耕作地域でのイベント向け活動展開は会の大きな負担になる事は間違いないだろう。小生に労力を捻出する余力は無いし、核になって世話をやく人材を調達できるかどうかがカギかあ・・・。獅子身中の虫、目の上のたん瘤にならないと良いけどなりかねない着手である。

ニホンアカガエル産卵!

2023-01-29 | 小父のお隣さん
 北極圏並みの寒気団の影響なのか今日の最低気温もマイナス2℃と気象通報にでていたのだがフイールド到着時にもまだ氷点に達していなかった。既に5日続きの氷点下なので水域は凍結中である。
 昨日(28日)Sさんと陽だまりのトンボ池脇で雑談をしていた折、「西でニホンアカガエルの産卵があった」との話が出たものの小生的には「フイールドでの産卵は2月になってから…」と思っていたから話の時にはトンボ池を覗いては見たものの卵塊は見つけていなかったのだ。

 それが本日、S先生とイヌガラシの発芽があるかどうかの話の後でニホンアカガエルの話題になって何気に池を覗いたら一卵見えたのだった。もう、「びっくり仰天卵手箱」であるが残念な事に昨日に卵塊があったのかなかったのか小生もSさんも確信が無い。まあ、つまりはしっかり観察していない事だったのであるけれど氷盤の下に見える卵塊二つは「漸く春到来!」を確信させる存在だった。

 ついでに泥水池、棚田部、二つ池、上の池と見回り探してみたのだが氷盤が厚くてアカガエルが潜り込めそうもない環境だし、当然卵塊は無し。トンボ池は早春の日差しがいち早く届く場所でもあるから薄氷状態のままで、これに助けられて産卵できたのだろう。
 思い起こしてみれば郷里南魚沼の水田に雪解けが始りぽっかりと水溜りが出現する頃に卵塊があったのを想いだす。子ども心にも雪の消えて無い田んぼの水域で産卵するのはアカガエルなんて認識も無かったけれど「すごいなあ」と印象づけられたのは今も残っているのだ。今は雪田の水溜りではない氷田であるのが異なるが「見上げたもんだよ屋根やのふんどし、大したもんだよはみ出た卵塊」…お粗末。

 それにつけても米工場と化したかっての水田には雪解け水の流れる小川も無いし乾田農法が導入されてからは水生生物は絶滅している。田植えが終わり早苗が皐月の風に一面なびく季節になっても稲穂に花咲く頃になってもカエルも鳴かなければトンボも飛ばない。集落に当然住居は並ぶけれどツバメもその姿を見せない環境になっている。畔や農道を歩きつつ田んぼや用水路を覗いても生物の姿は無いし周囲の植生は除草剤の影響でスギナばかりが目立つ貧弱な生物・植物の廃墟と化してしまった。あの名著「沈黙の春」が現実のものとして眼前にあるのだ。

 

五体投池の後、氷点下が続けば・・・

2023-01-29 | 感じるままの回り道
 10年ぶりとかの最強寒波で全国で最低気温を更新したとの報道があったが「北極圏並みの寒気団」では無理も無い。我がフイールドにも寒暖計を設置してあるけれど最低最高寒暖計では無いので視認した時点の気温しか分からないが報道される気象台の数値より谷地は「数度は低いはず」というのが小生の認識である。
 であるからして最低気温マイナス4℃を筆頭に氷点下が続けば水域の氷盤が厚くなるのは当然であり、それとは別に小生の評判が悪くなるのは環境破壊行為を注意してきた結果なので甘んじるしかないのだった。

 まあ、その結果、腐有陳の如き勝手な言い分には宣戦布告と理解して猛暑の夏でも氷の張っている関係は続いているのであった。だいたい多勢を後ろ盾に無勢のいない場所で誹謗中傷・罵詈雑言を言い放てるなど言語道断、許せるはずも無く名誉棄損ではない誇りの棄損であってあるまじき行為なのだ。折に触れ「リスクマネージメント」などの講習も行う団体ではあるけれど実態が伴っていない。道理があるなら当人に白日の下で堂々と反論すれば良いのである。

 まあまあ、それはともかく評判はいい様に垂れ流されても氷盤に乗っても落ちないこの寒気団の中の小生だったのだ。終半月前にはこの田に没した事など不可能に思える氷の厚さで、これはわが胸中の氷の厚さでもあって、かくして今期も氷点の関係は続く。でもなあ、どう考えても五体投地すべきは向こうなのだった。ハイ!小生が受け手‼。

 

二点位置流「昆虫すこいぜ!」

2023-01-28 | 小父のお隣さん
 最強寒波が到来しこの日で最低気温氷点下が四日続いている。気象台数値でマイナス4℃の表示があったからフイールドは概ね数度は低いはずである。
 そんな中、この日はSさんがアサギマダラの幼虫を観察に行くと言うので同行した。食草園のキジョランは樹木の梢まで這い上がりそこに葉が集中しているから食痕は確認できても幼虫の確認は出来ない。結果的にまだ蔓の背丈が低い尾根突端の株を見に行くことになる。

 緑葉も少し黄色味を帯びて寒さに耐えている感もしたのだが葉裏の幼虫は三頭を数える事が出来て大きさも年末より大きくなって体長12mmくらいは有りそうだった。このまま順調に育ってくれれば蛹化するまでの食料となる葉は十分に間に合うので楽しみと言えば楽しみだけれど捕食者だって冬眠や昼寝をし続けている訳でも無いのでどうなるかは予断を許さない。

 今回、三頭確認できた中でカメラを近づけやすかった二頭だけ撮影した。寒の入りにわが身もろとも水没土座衛門になった先代カメラに変りタフカメラに登場願ったのだが、今回は少ない年金の中から支出し、結果として食費を切り詰めお粥三昧の三食になったけれど接写性能もズーム性能も先代より格段に良くなった結果のカットを見ると一層寂しくなった食卓でも元気が出るという物だ。
 時間を見るにローレックスなど必要なく百均の時計で十分だけれど接写から望遠までカバーできるカメラとなると画質はともかく画像で確認する用途と言えど、ある程度の支出は必須なのだと今回の沈没で学んだのだが年金高齢者にはやっぱり負担増は否めない。

 

オーバーフロー部洗堀部の補修

2023-01-28 | 水辺環境の保全
 二つ池の沈泥池兼分水池のオーバーフローする下側がすっかり洗堀されて今にも堰の崩壊を招きそうにまでなっている。溢れる水流を弱めるために丸太を並べておいたもののその下部の河床そのものが流出したから空洞になっていて役には立たない。予定していた作業が一通り済んだので補修に1日充てる事にした。

 オーバーフローした流水は丸太に当たって勢いを減じ流す算段だけれど浸食で落差も大きくなった結果、丸太も大きくし数も増やさねばならないのが道理で、まずは除伐され林内に放置された丸太を搔き集めて資材に使う。補修部の枯れ枝や枯葉を除き現場を露わにしてから残っていた丸太材を取り外し新たに用意した丸太を並べた。

 今までは水流と直角に丸太を並べたのだが今回は流れに沿った並べ方である。取り立てて理由も無いけれど「水の抵抗が少なくなるのでは?」との思惑がある。そうだとすると水勢は弱まらないから二段に並べて河床部には舗装を剥いだ時の廃棄物を3枚ほど敷き流速への抵抗とする。
 既に水底は基盤層である固い粘土層が露出していて杭も受け付けないので丸太の移動流出を防ぐためにも重量物は必要だ。これでも移動するようなら長めの丸太材を横置きにし気持ちだけ固定したい。これは様子を見ながら決める事にした。

 この丸太材の重力ダム風、水流緩和の設えの先はえぐれて基盤層がむき出しになっており水溜りになった。これだと多少拡幅しても「浅い水溜り」を増やせる環境でもあるから様子を見ながら考えよう。かくして水商売は自転車操業、果てる事も無く老骨を注ぎ込むブラックプールと化しているのだった・・・。

 

枝の集積

2023-01-27 | 今日は真面目に
 前日に処理できなかった枝の集積を行う。水域より動くのは楽だけれど集積場所まで何度も往復するのは単調で楽しくはない。まあ、周囲は裸木だから探鳥しながらなら楽しめるけれど生憎、こんな時には混群はやってこないしヒヨドリの煩い叫びだけなのだった。

 であるからして黙々と片付けをして終了した。霜が降りるほどの温度では無かったけれど日差しも弱く気分転換に陽だまり上手のトンボ池横へ寄ってみたものの生物は蠅さえ見つけれなかった。こんな日は長居をしないのが良い。

 ➡  通路上だから早めに片付け
              ➡  急ぐ場所ではないがネザサ刈りをするからやはり片付ける

**私本「こきんしゅう」都々逸の段

2023-01-26 | 小人閑居して憮然
           氷のたんぼ ダイブの孤爺
           田の神言った 認知症    はあこりゃこりゃ

           氷浸けでも 救命不要
           カメラ身代わり 土左衛門  はあこりゃこりゃ

           沈すりゃ絞る 絞るにゃ脱いで
           チン列罪とは また萎える  はあこりゃこりゃ

           寒の入りには 泥田に嵌る
           炬燵あったら 入りたい   はあこりゃこりゃ

           泥田転んで 目に沁む蒼天
           服は泥染め 手に氷     はあこりゃこりゃ

           天知る池知る 田んぼのダイブ
           氷支えに 起き上がる    はあこりゃこりゃ

           寒中氷田 瞬時のダイブ
           年の始めの 試しとて    はあこりゃこりゃ

           氷はカチン 体はコチン
           股金はソチン 萎えるのみ はあこりゃこりゃ

今日のエッ!品「古里は遠くにありて想う丼」

2023-01-25 | 何よりの楽しみ
 10年ぶりとかの最強寒波到来だとか。生まれも育ちも豪雪地帯の小生としては驚く事も無く思いだすのは「三八豪雪」である。この時は上越線が一週間は埋もれたままだったろう。集落も全て雪の下で除雪で屋根から上げた雪の山で通りは電線を跨いで通らねばならなかったし家の出入り口は二階の窓からという家も多かったのだ。
 実家は家の前の電線が邪魔で階段を掘り進め玄関から出入りしていたが雪の段々は使うに応じて角が丸くなる。早朝の新聞配達員は度々滑り落ちて玄関戸に当たるから「新聞が来た!」と明確に分かったものである。

 上越線を開通させるための除雪列車は前面がロータリー車で蒸気機関車で押していた。見渡す限りの雪原の向こうから汽笛が聞こえ吐き出す黒煙が見えてくると子ども心でも「万歳万歳!」したのだった。開通してからは全国各地から保線区員が動員され駅構内の除雪作業に当たる事になるのだが郷里の駅に救援列車で降りたのは九州管区の職員で手に手に竹箒と塵取りを持って降車してきたのにはびっくりしたものだ。九州在住では積雪4m越えなど想像もつかなかったのだろうと今でも思い出される。
 他の除雪車両はラッセル車が容易に思いだされるけれど「ジョルダン」とか「マックレー」なんて車両も構成されていたはずで、降雪の少なくなった現在は活躍している車両などあるのだろうか。これも懐かしい。

 さて当然、雪の便りを聞けば郷里を想いだすのは自然の成り行きでついでに郷土の食事も記憶の端に上がる。てなもんや三度笠でこの日は昼食に一時間ほどを掛けて郷土食を再現してみた。手に入らなかった食材は「朧豆腐」と「あまんだれ」で「アマンダレ」はナラタケの方言だけれど栽培種では無いからヒラタケで代用した。市販のヒラタケはエノキをホダ木にして栽培したのと比較すると香りが全く無い!と言って良いほど異なるものだ。まあしかし、贅沢は言えない。

 魚沼のコシヒカリに大根菜の微塵炒めをまぶして「菜飯」とする。ハーブ塩をひとつまみ入れ炒めたから少しだけお洒落だ。まあ、気分でしかないのだが・・・。丼飯にすると量が多いので大きめのご飯茶碗にしてトッピングは「しょうゆの実」、「イナゴの佃煮」、「食用菊の甘酢和え」で、これは冷蔵庫で保存していた自家製だ。
 前日から用意したのは「ゼンマイ」で、普通は熱湯で戻しながらアク抜きするのだけれど今回は常温水で戻しながらアク出しを一昼夜行った。水換えも5回ほど行い灰汁水の吸水を出来るだけ防ぎ最終回のみ80℃でアク抜きである。

 加工する時に茹でてあるから「戻すのに高温は必要ない」との理屈なのだが、ネットの情報を閲覧していると「戻してアク抜きする」段階で「沸騰させる」と記述してある記事がいくつかあった。この人たちは実際に調理した事があるのかどうか怪しいものだと正直、思ったのだ。そんな扱いをしたら溶けてしまいかねない。

 さて、このゼンマイに添わせたのは車麩である。これも郷里のメーカー品だがゼンマイは次兄の加工品だ。もう一品「さらしえごの味噌漬け」も添えたかったけれど既に「エゴ」の手持ちは無く新潟の海岸で採集されたエゴを味わうには地元まで出向くしかなくなった。折に触れ郷里の食材を送り続けてくれた長兄・次兄・次姉らも既に80歳の大台を超えた身になって栽培や採集からは手を退いたので食材の調達は難しくなった。
 それでもフイールド行きを寒波襲来にかこつけてさぼったおかげで久しぶりのまともな食事を食する事が出来たのだ。あの三八豪雪の折り、集落もひっそりと雪に埋もれて人々は穴倉住まいみたいなものだったのだが麦飯にしょうゆの実や野沢菜漬け、大根汁などで食を摂りつつ春を待ったのだ。今日日みたいに大騒ぎなどしなかったなあ。

       

日照の回復

2023-01-24 | 今日は真面目に
 昨夏、クヌギの枝にはびっしりと青葉が茂って林床は心地よい日陰を醸し出していたけれど、そんな事で喜んでいる場合では無かった。数本しかないウワミズザクラに陽光が当たらなくなるのだ。ウワミズザクラも既に開花期を迎えた頃なのに未だに開花しないのは日照不足なのであろう。その上、樹高の割には幹が細いからそうとしか考えられなかった。
 そう理解していて日陰を作るクヌギ二本を除伐しなかったのは他の樹木も多くの葉を茂らせていたこともあり伐倒させる方向空間が手狭に思えて決断しなかったのだ。

 師走からの水域保全作業がようやく一区切りついたので二本の伐採を行う事にし一輪車に道具を山積みして現場に向かう。一本目は目の高さで二股になった重心の捉えどころの無いクヌギなのだが、これはウワミズザクラ側に張り出した幹を除伐するだけに留め片方は残し夏頃様子を見ながら更に伐採するか決める。二又の片方を除伐しただけでもウワミズザクラの成長空間も出来たはずだし日照も回復したはずだと思うからである。
 しかしながらこの伐採は枝の傾きもありロープで伐倒方向制御はしなかったのだが、倒れる途中で周囲の枝と絡んで地上に落ちてくれない。上方にロープを掛けて牽引して落とすと言う手があるけれど周囲の枝と絡み合っているからロープを投げて通せない。結局は「やってはいけない玉切り」作業で下側から切り詰める事にしたのだ。
 最終的には梢部分の数メートルが二股部と二股部が組み合って落ちなくなった。今のところ宙ぶらりんなのだけれど突然落下する心配はないので翌日以降に高枝切りでゴシゴシ切断して落とす事にした。
  ➡  


 もう一本は真っ直ぐに成長しているから伐倒方向は制御し易いと判断したのだが周囲にはシナノキやクリ、ウワミズザクラが下敷きになる範囲に点在しているから結局は空間が広く他の樹木を傷めない方向にロープで牽引し伐倒した。通路を隔てた向かいのエノキの枝二本を損傷したけれど、この枝自体が空間を求めて通路方向に大きく伸び出していた枝なので後々、枝元を高枝切りで切断すればよい。参考までに伐採長を計ったら15m超あった。さすがに15mともなると威風堂々の感がある。まあ、そうでも無くても威風堂々の最強寒波が来ようとしている寒なのである。

 倒れた樹の枝払いを行い、払った太枝はそのまま落ち葉山の上に被せた。こうでもしておかないと盛り上げた後から崩されるのが経験値で、「落ち葉プール」として使うのも初めは「あり」としても山がある間、崩されるのは堪らない。
 一言断ったり、ひとしきり遊んだ後は元通りにしておくくらいの気遣いは当たり前だと思うけれどまあ、入域して痛めつけると言う姿勢は変わる事は無いだろう。おチビちゃん達には遊んでもらいたいけれど引率する大人の仕打ちから防衛術を工夫したり禁止したりしなければ保全できないのが現実だ。

 

雨後の筍ならぬ雨前の竹屑拾い

2023-01-23 | 水辺環境の保全
 三が日も明けないうちからの土木作業でいささかヘタレ気味。天気はようやく下り坂になるようで翌日は雨天の予報が出た。「漸く休める!もう一日」と老骨に鞭打って出かけた。
 もとよりまとまった作業をするつもりはなく昨日までの作業で散乱している竹材の切り残しを片付けて田んぼの周囲の凹凸を多少は均すつもりなのだ。帰路は図書館で本を借りる。

 周囲の竹の切り片は一輪車1杯分。これを林道まで運び向かいの斜面の侵食溝に投げ込んであっけなく片が付いた。田んぼの周りの整地も唐鍬で削り均し余った分は堤の上端面へ敷いた。これで数センチは高くなって安全率は格段に向上するのだが、まだ敷き残っている部分が数メートルある。けれどネックと言うほどでも無くなっているからおいおいの作業で良いだろう。

      

 それよりも写真右の分水池からのパイプが低くなってきた。これはもともとのV字侵食溝に土嚢を積み分水池として下棚の泥水池に入る水を制限するための塩ビ管なのだが浚渫土を盛り上げ盛り上げ上端面を高くしてきた結果だ。
 このままで困る事は無いのだが水資源の少ないフイールドなのでパイプの位置を分水路と同じ高さにすれば結構容積のある水溜りが出来るし沈泥量も増えるのだ。
 しかし掘削は深さ1m、長さは2mあるから掘り出すのも覚悟がいる。連続しての作業はつらいけれど設えれば水域が増えるのは間違いなく、さーて如何しよう。休む気分になっているのにもう次の作業が頭に居座ってきた。

「わっぱか、わっぱか!」とはいかないけれど

2023-01-22 | 水辺環境の保全
 寒の入りから8日間に渡って作業してきた棚田部の改修・補修がようやく一段落した。この日は田圃護岸材の交換残りの1辺を孟宗竹材から丸太材に取り換えたのだ。しかしながら残り3m分が不足してとりあえず外した古竹材を切断して仮置きしてある。当座はこれで十分に用を足すし、わざわざ3m分のために林内作業を急ぐほどでもない。
 堤の上端面への積み増しも行いたいけれど数センチ水位を下げた事でリスクは大きく下がったと考えてよいので、これも余裕が出来た時点の作業に回した。

 作業部も当然、凍結中 ➡  竹材から丸太材に交換したが手前が不足している。次の機会に回した。

 ミズアオイの播種床も前日、木枠を竹枠に交換して置いたからこの日は長柄のジョレンで泥土を引きこみトンボで均してようやく完成したのだった。これで何時でも播種が出来る状態にはなったものの氷結が緩んでからでないと播種が出来ないから気は逸るのだが、それまでは辛抱辛抱するしかない。
 それでも年始早々からの大仕事を片付けていくらか肩の荷が下りた。しかしながら肩凝りや肘・腰の痛みが増したのはどうしてだろう。まだ保証期間中のデジカメも土左衛門にしてしまったし・・・。「火中の栗を拾う」「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という諺があるけれど「ドボンでカメラ失う」「氷田に倒れれば泥鼠となる」のが小生の新年の解であったわい。てなもんや三度笠!。

 しかしながら厚さ2㎝の割れ氷の浮いている泥田にスライデングし泥鼠にはなったものの意外と冷たくも寒くも感じなかった。高齢者に年金も世間も冷たいけれど、きっと田んぼの神様がハグしたかったのだろうと思えたのだった。小生は見守られていると深謝・深謝なのだが本心を言えば「人肌が良かった・・・」。まあ、人肌と言えど「温めの燗が良い」向きもあろうがおしなべて熱めの棺になるのが人生の究極である。

    
 まあまあ、さてさて飲酒せぬ身は人肌など無縁なもので入浴剤を入れた風呂に浸かるのだが年明けから氷点の棚田部で作業していた結果、足の指が霜焼けになってしまい痒くてたまらん。遂に軟膏を塗付せざるを得なくなった。生まれも育ちも雪深い南魚沼の雅な百姓家なのに暖地で霜焼けなどとは更に哀しい…恥ずかしい・・・。

水位の調整

2023-01-21 | 水辺環境の保全
 氷の張った棚田の補修中なのだが次から次へと課題が出て来る。腰を入れての補修は久しぶりだしまた、そうしなければならない瀬戸際に至っているからだ。前日、埋め戻した排水管、というよりオーバーフロー部の水位を決定する役目もある管なのだが堤の上端面と水位との差が少なく増水時には越流しかねないから掘り出して3cmほど水位を下げたのだ。
 翌日、つまりはこの日なのだがミズアオイの養成床を設えるにまだまだ水位が高い。枠囲いの中に泥土を盛り、床を作れば済むのだが高すぎると崩れ易い泥の床では低いところと同化し易くなるし水位がゴム長の上縁近いと水域での作業に支障も出る。そこで前夜のうちに水位を下げる判断はしたのだが、なにせ泥まみれの管なので再度掘り出して位置決めするのは大変だし微妙な調整もし難い。

 そこで太い鉄筋を差し込み回転させて微妙な調整を図る事にしたのだ。20Φの電動ドリルと更に穴を広げるための切り出しナイフを用意して管を貫通する穴をあけた。後は鉄筋を通してじりじりと体重を掛け所定の位置まで回転させる。
 この作業の前に水位面に木片で指標をしておいたから、これを基準に開口部の下縁を決めれば良いのだ。これだとホントに微妙な位置決めが楽に出来て実用新案程度の機構は作れるのではないかと何時もの妄想が始まる。水位が安定するまでの時間稼ぎに孟宗竹を用材として使うために林内に上った。林道に近い場所は除竹済みなのでいきおい高所まで行かねばならなくなった。

 太めの1本を二分割して棚田部へ運び、後は切断と杭作り。用意が出来たところで氷盤の田に入り設えて完成した。枠囲いを二段にしたのは竹が沈まず囲い枠の用をなさないからで上段の竹は重しでしかない。

        

**私本「こきんしゅう」寒中余話の段

2023-01-20 | 温故痴新
         寒の日の泥田にダイブ我なれどカメラお釈迦となるはかなしも
          春の日の光にあたる我なれどかしらの雪となるぞわびしき     古今集・文尾康秀

         寒の田に転べば泥の飛沫立ち花なきあぜの霜に散りけり
          かすみ立ち木の芽もはるの雪降れば花なき里も花ぞ散りける    古今集・紀貫之

         ヤゴのため霜の田に入り泥を打つ我が足指はアカネのごとし
          君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ     古今集・光孝天皇

         我だけで誰にも見せぬ泥まみれ田んぼ沈した知る人ぞ無し
          君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る      古今集・紀友則
          
         ひさかたの光さえざえ寒の日に氷割りつつ爺は散りなむ
          ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ      古今集・紀友則

         泥の色うつりにけりな六尺の我がみ田に落つ悶えせぬ間に
          花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に 古今集・小野小町

         服ひちて絞りし水は凍れるも寒入る今日の風のやさしさ
          袖ひちてむすびし水の凍れるを春立つこの日風やとくらむ     古今集・紀貫之


※ 表題の「こきんしゅう」、感字三案あったのだがいかにも妖しく不適切でイチジクの葉も無く、泣く泣くひらがな表記とした。我が心を汲んでくだされ!

今日の素労風努「麦糀と塩昆布でしょうゆの実」

2023-01-19 | 何よりの楽しみ
 郷土の基本メニューは米糀と大豆の背中合わせに塩を加え熟成させるのだが、昨秋から何種類か試みて年明けには食べ尽きてしまった。炊きたてのご飯に大匙一杯ドンと載せて食べると幸せな気分になる。「しょうゆの実」で幸せな気分になれる日々・人生など他人様に言える内容は皆無と言う事になるのだがそれはそこ、方便の出番で「武士は食わねど高楊枝」を地で行くしかない。
 「制限なし」の世となってもグルメも旅行も無縁でエンゲル係数など出したくもない姥捨て山の孤老なのである。

 さて、今回は沖縄の「おみき」を試作するために購入した麦糀が残ったままなのでなんとか消費を考えた。独特の匂いがあって甘酒では好みに合わなそうだから「しょうゆの実」に使ってみる。越後地方とは異なる地域で麦糀のレシピが存在していたのであながちミスマッチではないだろう。せっかくだから塩の代わりに「塩昆布」を代用して試作する事にした。

 冷凍麦糀300gは前夜に水を300g加え50℃で10時間加温して戻しておいたものを使う。大豆250g(1袋)はフライパンで乾煎りし外皮が割れた加減で角材をゴリ押ししながら外皮を外しつつ半割にしていく。この過程は水の中で行うやり方も見られたが時間がかかり過ぎる。フライパンの中でゴリ押ししながら「フーフー」と外皮を吹き飛ばせばものの10分ほどで済むのだ。

 半割大豆は3倍の水で、この場合は1ℓにしているが圧力鍋で沸騰後は15分中火で加熱して終了。であるから灰汁取りは無く茹でこぼししたのち水道水で冷却を兼ねざっと洗うのみである。

 塩分は3%として塩昆布を用いる予定だったが110gほどしか残っていなかった。いくつかのメーカーでも概ね塩分10%程度なのでこれを基準に用意したいのだが10g前後の塩分量では不足だったから荒塩を加え3%で混合する。混ぜ合わせた段階で味見をしてみたが熟成前であるにもかかわらず美味しい。塩分が少ないから常温保存と言う訳にもいかず冷蔵庫での保存だ。
 年明けに食べきった「17穀のしょうゆの実」は冷蔵庫保存していたが乳酸発酵が始り酸味も強くなっていた。これでは津軽地方の郷土食「ごど」に近づいた感じもしたのだが納豆菌は入っていないから本質は異なると言えども食味は近くなったと思える「えっ!品」になった。

 考えてみるまでも無く日々酸っぱくなっていく食品を食べ続けるなど当世風ではない事ぐらい耄碌していても判断は出来ている。決して「もったいない…」としての利用ではなく変化していく味わいも又楽しみの一つなのである。腐敗と発酵を混在してしまうリスクもあるけれど全てはわが口と体内で終結するのであるから誰憚る事も無い。さーて、今回の新機軸「塩昆布仕立て」はどうなるやら五郎次郎・・・。
 混ぜ合わせた段階でまろやかに感じたのは塩昆布に由るのだろう。熟成せずにすぐ食べられる味わいになっている。